ホテルよりもテントで寝泊まりするのが性に合う
──池畑さんは日本屈指の剛腕ドラマーとしてフジロックのステージに立つ一方、屋台骨を支えるスタッフとしてボードウォークの設置活動(フジロックの森プロジェクト)に参加したりするのが独特の立ち位置だと思うんです。輝かしいステージに立ちながら裏方の作業も務めるバンドマンは池畑さんの他にいらっしゃらないじゃないですか。
池畑:フジロックが始まった当初はミュージシャン寄りの立場だったけど、いつからか自分も何か手伝えることがあればやってみたいと思うようになった。そこで何かをする役割があったわけでもなく、今も実は役割があるわけではないんだけど、日高さんとのやり取りの中で「やるのか? やらないのか? どっちなんだ?」という日高さんのいつもの口調に対して「やります!」とその都度決めてきたことが多い(笑)。具体的に何か手伝えることはないかな? と俺のほうから話をしたのが確か2007年だったかな。そしたら「ロンドンチームに行ってくれ」と言われて、いろんな作業に参加するようになった。ボードウォークの整備をしたり、グリーンステージに向かう橋を作ってみたり。ロンドンチームのジェイソン(SMASHのUK代表)やゴードン(ゴンちゃんストーンを生んだアーティスト)も随分昔から知っていたし、彼らや日高さんとしばらく会っていない時期があって、その距離感を縮めたかったのもあるかもしれない。ミュージシャンとしてドラムを叩くだけの関わり方ではちょっと遠いというか、一緒にキャンプをしてきた経験まで含めてフジロックで活かせることは何かないかなと思った。プリンスホテルに泊まるよりもテントを張ってそこで寝泊まりするほうが性に合うし、純粋に楽しいしさ。
──フジロックのもっと根幹の部分から仲間と一緒に携わりたいと思うようになったわけですね。池畑さんにそこまで思わせるフジロック独自の魅力もあるんでしょうし。
池畑:俺自身、身体を動かしながらみんなと一緒に何かを作り出すのが楽しくて好きなんだよ。若い頃に土木系の仕事をしていたのもあって。
──ボードウォークキャンプで池畑さんが普通に作業をしていたら、周りのボランティアの人たちも驚くんじゃないですか?(笑)
池畑:でもね、最初の頃は俺がドラムを叩いているのを意外とみんな知らなかったよ。ある年からよく気づかれるようにはなったけど。
──フジロックでの池畑さんの名演は数あれど、2004年のルースターズのオリジナル・メンバーによるラスト・ライブは屈指のステージでしたね。調整を兼ねた新宿ロフトでのシークレットGIGを含め、個人的にも一生忘れられない思い出です。
池畑:なんというか、有り難かったなという思いは今もあるね。自分たちで意図的にフジロックにつなげたつもりはなかったけど、いろんな流れの中であの特別なステージを用意してもらったというか。
──池畑さんと日高さんの関係性がルースターズという物語の背骨を支えていたところもあったと思うし、だからこそ2004年のグリーンステージで日高さんがバンドを呼び込むところからグッときたんですよね。
池畑:ルースターズを辞めた後、俺は九州に戻っててね。その頃の日高さんはSMASHを始めて、ビリー・ブラッグを招聘したりしていた。日高さんがビリー・ブラッグを連れて小倉の街を回ってて。
──まさか池畑さんがアテンドを?
池畑:うん(笑)。ビリー・ブラッグがキン肉マンが大好きって言うから、おもちゃ屋へ連れて行ったりして。日高さんも俺ならそういう仕事をやるのに信用できるというか、間違いはないだろうみたいな感じだったんじゃないかな(笑)。たまにそういう仕事を手伝って、海外のミュージシャンはビジネス的な部分ももちろんあるんだろうけど、それだけではない、人とのつながりみたいなものを大切にするのを学べたのは良かったね。
▲2014年の“ROUTE 17”
Ⓒ Yasuyuki Kasagi
──ルースターズのメンバーでそこまで深い仲というか、日高さんと濃密な時間を一緒に過ごしているのは池畑さんだけですよね?
池畑:たまたま趣味が近かったというか、俺の好きな類のものを日高さんが持っていることが多くてね。たとえばルースターズの事務所に行ったとき、ビルの前に俺が欲しかったハーレー(ダビッドソン)が置いてあって。誰が乗っているのかと思えば持ち主が日高さんで、「乗るか?」なんて言われて(笑)。
──資料によると、池畑さんのフジロック初出演は2002年で、ROCK'N'ROLL GYPSIES(以下、ジプシーズ)とJUDEのメンバーとしてでした。意外にもフジの初年度から間があいていたんですね。
池畑:自分が出られるとは思わなかったというか、そういう場所じゃないと考えていたんじゃないかな。海外のミュージシャンが集まるフェスという印象も強かったし。ジプシーズとJUDEで出演が決まったときも「ああ、出るんだ…」とピンとこない感じだった。