来たる2月25日(ジョージ・ハリスンの誕生日!)の回を皮切りに、ライブハウス「ロフト」グループ各店舗で『ビートルズの世界 Around The Beatles トーク・イベント 2022』を1年にわたり主催していただく(予定の)"ビートルズやくざ"(他称)こと藤本国彦。古くはビートルズ・シネ・クラブ(当時)の会報関連記事や"速水丈"名義の音楽誌掲載記事で名を馳せる一方、『CDジャーナル』編集長として長らく研鑽を積み、7年前からビートルズの著述業に専念してからはその関連書籍の編集や原稿執筆、講演スピーチなどビートルズの魅力を伝える活動に従事している。昨年末にディズニープラスで配信されたピーター・ジャクソン監督『ザ・ビートルズ:Get Back』(以下、『ゲット・バック』)では日本版字幕の監修を務めるなど現在ではアップル・コア公認の仕事まで担う当代きってのFAB4伝道者に、解散後半世紀以上を経ても決して色褪せることのないバンドとメンバー4人の魅力、自身の信条や仕事に向き合う姿勢を聞いた。(interview:椎名宗之)
“ビートルズやくざ”(他称)誕生秘話
──ご自身の肩書きを訊かれたらどう答えます? やはり“ビートルズ研究家”ですか。
藤本:強いて言えば“ビートルズやくざ”です(笑)。『気がつけばビートルズ』(2021年、産業編集センター刊)にも書いたけど、“研究している”という自覚が自分では全くないので。『CDジャーナル』編集部を辞めた後に“ビートルズ研究家”がイヤで“ビートルズ愛好家”を名乗っていたら、それはファンの延長みたいで軽いと周囲に言われて。もともと肩書きなんて要らないタイプで、名刺も作ってないんです。かと言って“社会的”にはそうもいかないようなんだけど、“元『CDジャーナル』編集長”というのもしっくりこないし、そもそも“長”の付くものになりたいわけでもない。名誉欲もないですし。以前、アップリンクのイベント(『藤本国彦プロデュース ビートルズの世界 Around The Beatles トーク・イベント』)で元『ミュージック・ライフ』編集長──と言ってしまいますが(笑)──の星加ルミ子さんとご一緒したとき、「こうしてイベントでもいろいろ話しているので自称“ビートルズ語り部”はどうでしょう?」と訊いたら「“語り部”は私よ」と言われ、「そりゃそうですよね」と(笑)。それからずっと“研究家”ではない肩書きを模索し続けて30人くらいに相談しているんですが、未だに決定打がないんです。
▲藤本国彦・著『気がつけばビートルズ』。ビートルズとの出会いから現在までの約50年にわたる“ビートルズとの旅"を振り返った極私的音楽グラフィティ。気がつけばビートルズが生業となっていた一人の音楽狂の半生を、当時の克明な記録と写真で振り返る。2021年4月、産業編集センター刊。
──“研究家”が一番通りが良いように感じますけどね。
藤本:研究家って本来、自分が知り得たこと、発見したことを誰よりも早く発表して賞賛を浴びる人のことだと私は思うんです。遺跡の発掘とかもそうですが“誰よりも早く”というのが一つの大きなポイントで、尚且つ、それを公表することで“賞賛を浴びる”、あるいは“浴びたい”。それが研究家の定義なのだとしたら、自分は全然タイプが違うなと。名声欲や権力欲が皆無なのは元来編集者という裏方志向だからなんでしょうけど、たとえば富と名声を得たジョン・レノンでも結局は「ヘルプ!」みたいな曲を唄わなきゃいけなかったわけだし、功名を立てるのが必ずしも幸せなこととは言えない。みんなに知られることが良いこととは思ってないし、今で言うSNSの承認欲求からも逆行しているし、そもそも私はSNS自体が苦手なんです。告知として使うには便利ですけどね。FacebookとTwitterは辛うじてやってますけど、特にTwitterのように匿名でやれるSNSは自分には向いてないですね。自分のことは自分で責任を取りたいし、自分の名前でやるのが筋だと思うので。それにそういうSNSの世界は負のエネルギーが強いから、受け手も思考的にマイナスのほうへ流れが向かいがちじゃないですか。それもたとえばジョンとヨーコが提唱した“YES”の精神に逆行していますよね。そんなふうに常に物事をビートルズ軸で考えてしまうんです。それに私の知る限り、プロフェッショナルな人は謙虚に振る舞うことが多い。結果的に目立ったり賞賛を浴びることになっても、決してそれが目的じゃない。つまり私利私欲が第一優先ではないわけです。関心の対象をこつこつと掘り下げながら謙虚に振る舞う方々と仕事をご一緒するたび、自分も同じようでありたいと思いますね。
──ちなみに、“ビートルズやくざ”といういささか物騒なネーミングの由来とは?
藤本:それも他称で、当時カーネーションのマネージャーだった壇慎一郎さんによる命名なんです。2003年に『レット・イット・ビー...ネイキッド』がリリースされるということで、東芝EMI(当時)でビートルズの担当ディレクターだった藤村(美智子)さんに呼ばれて、門外不出のCD-Rを直枝政広さんといち早く聴かせていただいたんです。“フライ・オン・ザ・ウォール”という、短い曲を繋いだ20分くらいのボーナスディスクもあり、でも、そこにどの曲が入っているのかは一度聴いただけでは到底覚えられません。『CDジャーナル』の特集記事用にゲット・バック・セッションの“最新完全リスト”を入れる予定もあったので、藤村さんが部屋を離れた後におもむろにそれを録音したわけです。その姿を見た壇さんに「おっ、ビートルズやくざ!」と言われたのがきっかけです(笑)。今だから話せる“誕生秘話”ですね(笑)。
▲「ザ・ビートルズ『レット・イット・ビー...ネイキッド』大解剖!」の特集が組まれた『CDジャーナル』2003年12月号。この「“ゲット・バック・セッション”全演奏曲リスト」ページ作成のために“ビートルズやくざ”と呼ばれることに…。
──今回、ロフトグループの各店舗でトークライブをやっていただくことになった経緯を聞かせてください。
藤本:昨年末、新木場のスタジオコーストでGLIM SPANKYのライブを観て、終演後に軽くご挨拶をして帰ろうとしたんです。そのとき松尾レミさんから「『ゲット・バック』のあのジョージの…」と訊かれたんですが、後ろは長蛇の列でもあり、続きはまたゆっくり…ということでその場を去りました。そこでふと、2022年は映画『ゲット・バック』を中心に語る定期的なイベントをやるのもいいかなと思って。それまでイベントを定期的にやっていたアップリンク渋谷は2年前、元従業員の方々が社長からパワーハラスメントを受けたとして提訴する事態になりましたが、その元従業員の中の1人が私のイベントを担当されていた方だったんです。その後、社長が謝罪したことで表向きは和解となりましたが、現場の方々が心の底から納得しない限りは本当の意味での和解とは言えないし、事実、円満な解決には至っていないと聞きます。すべての問題が解決されるまでアップリンクへは二度と行かないし、イベントもやらないと決めていたら、去年の5月にアップリンク渋谷が閉館してしまった。それで以前からお世話になっていたロフトの椎名さんに相談に乗ってもらった形ですね。