俺たちはもう一度“知恵の実”を食べたほうがいい
──「堕天使のように」は神(=権威)のルールにはやすやすと乗らず、常に自由な意思を持った反逆者であり続けたいというJOEさんのスタンスを提示した歌のように感じましたが、一方では驕り高ぶり地に堕ちた現代人への揶揄にも取れたんですよね。欲にまみれて大切な何かを忘れてしまった人間に向けた痛烈なカウンターパンチというか。
JOE:そういう皮肉は込めたつもりだけど、どう取ってもらっても構わない。パッと読んでも何のこっちゃいみたいな歌詞だと思うんだ、「堕天使のように」は。何が言いたいのかよく分からないだろうし。でもそれでいいし、正解なんてないからね。
──神、天使、悪魔の相互関係に以前から関心があったんですか。
JOE:そういうわけじゃないけど、世界が対立するのは宗教が根幹にあるからでしょ? それに比べて日本は神の国のはずなのに無宗教だと言われるし、多神教でごっちゃになってて、宗教に対する意識がわりとラフだよね。でも海外を旅して痛感するのは、宗教を生活の軸にして暮らす人たちがいかに多いかってことなんだよ。イスラム教も原理主義の一部の連中だけが過激な行動にのめり込んでるだけで、それ以外の人たちは熱心に信仰する穏やかな人たちなわけで。そうやって世界の大半が宗教を軸に動いているのを見て、自分でも本を読んだりいろいろと調べるようになった。一昨年はギリシャへ行って、神話に登場する神殿や遺跡を巡ったりもしたしね。
──神話というか、旧約聖書の『創世記』に出てくる“知恵の実”が「堕天使のように」の歌詞にもありますね。
JOE:『創世記』ではアダムとイヴが蛇にそそのかされて禁断の“知恵の実”を食べてしまうんだけど、その蛇が実はルシファーという堕天使の化身だったんだよね。神様が土の塊からアダムを作り、アダムの肋骨からイヴを作り、その2人の世話をしろと神様から天使長だったルシファーに命令が下った。でも自分みたいによくできた天使がなぜ泥人形や肋骨ごときの世話を見なくちゃいけないんだ!? ってことでルシファーは神様に反抗心を抱き、こっそり蛇に変身してアダムとイヴをそそのかして“知恵の実”を食べさせる。それでアダムとイヴは自分たちの裸の姿を恥ずかしいと思い始めてイチジクの葉で陰部を隠すようになるんだけど、それを知った神様はアダムとイヴをエデンの園から追放してしまう。食べると不死になるという生命の木の実まで食べられちゃかなわないってことでさ。そういう話を知ると、俺たち人間はもう一度“知恵の実”を食べて恥を知ったほうがいいんじゃないかと思うわけ。
──なるほど。続く「スパイ大作戦」はJOEさんの批評性と諧謔精神が健在なのを知らしめる一曲で。狐と狸の化かし合いというか、スマホ一つで簡単に誰かを陥れたり、互いを監視し合うイヤな世の中になってしまった現代を腐す歌詞が痛快ですね。
JOE:昔みたいに本を読んだり、ちゃんとした文献に当たることもなく合ってるかどうかも分からない答えを何でも簡単に導き出せちゃう世の中、それに振り回されてる人たちに対する猜疑心っていうのかな。デマやフェイクニュースが横行するネット社会だからこそ自分なりの見極めが大事なんじゃないの? っていうさ。俺の好きな劇団のある芝居を観て、それが探偵ものでね。探偵が乗る自転車のハンドルに風ぐるまが付いてて、それが止まらないように走るみたいな話だったんだけど、そこから「あんたの風車はアッと言う間に壊れて落ちるだろう」という歌詞が浮かんだわけ。それにGoogleのアイコンって風車っぽいじゃない? 検索エンジンもプロペラみたいっていうか。そこにも引っ掛けてあるんだよね。
──「スパイ大作戦」はディランの「Like a Rolling Stone」を彷彿とさせる曲調とアレンジ、ボ・ディドリー的ジャングルビートに乗せたブリッジも新鮮ですね。
JOE:原(敬二)君が作ってきた元の曲調から二転三転したんだよ。もっとロックっぽくしようとか何度もアレンジを変えたんだけど、どうもしっくりこなくてね。結局、大きく言えばフォークっぽかった大元に近い形に収まったんだけどさ。
──ここまで来ても従来のG.D.らしいシンプルな3コードのロックンロールが出てこないのが目新しいと思うんですよ。「桃色の雲に」から「水槽のサカナ」までずっとミディアムテンポの骨太なナンバーが続くじゃないですか。あえてそうした狙いもあったんですか。
JOE:パンクに感化された世代なので、唄うには速いテンポのほうが安心するんだけどね。でもこういうコロナ禍だからなのか、いろんなアーティストがミドルテンポの曲を多く出してるみたいでさ。家にいて音楽をゆっくり聴きたいから速い曲調を求めてないというニュースを見て、ウチもそこに乗っかったろかと思って(笑)。とはいえ今回もアルバムの最後のほうでG.D.らしさが出てると思うし、テンポがどうであろうと自分たちの持ち味にこだわらず、先入観なしで聴いてほしい思いもあった。
──四面楚歌の状況を唄った「水槽のサカナ」では“魔法陣”という言葉がキーワードになっていますね。魔法使いが魔術を用いる際に儀式の一環として地上に描く模様のことですが。
JOE:“魔法陣”は子どもの頃、水木しげるの『悪魔くん』を読んで知った。魔法陣の中で呪文を唱えると悪魔が現れたり願いが叶ったりするっていう。たとえどこかに閉じ込められても自分だけの魔法陣、自分だけの場所を思い描けば何かできることがあるんじゃないか、出口がないのなら視点を変えてここを入口にしてしまえばいいんじゃないかっていう歌だね。もっと長い歌詞だったときは水槽の中と外の視点の違いを唄ってたんだよ。自分が水槽というガラスに囲まれたサカナだとして、こっちからもそっちを見てるんだよっていうかさ。そっちは人間のつもりでこっちを囲った気でいるけど、もしかしたらこっちよりも大きい水槽の中にいる同じサカナかもしれないよ? っていう。見られる側も見る側も実は同じ立場で水槽の中をぐるぐる回ってるイメージだね。