昨年、結成35周年の節目を迎えたG.D.FLICKERSが6年振りとなるオリジナル作品『堕天使のように』を結成記念日の10月30日(土)に一般発売した。チャック・ベリーやキース・リチャーズが取り上げたことでも知られる「Run Rudolph Run」のカバー(「走れルドルフ」)を含む全6曲収録のミニアルバムながら、フルアルバムと同等のボリュームとインパクトを感じさせる逸品だ。細部まで練り込まれた楽曲の随所から感じるのは柳に風と受け流す柔軟さとタフネスの共存。しなやかで軽妙だが質実剛健の趣きと言うべきか。40年近いキャリアの重みや熟練の妙味をひけらかすことなく、一貫してこだわり続けてきたロックンロールにまた新たな可能性を見いだそうとする彼らのピュアな探究心、無邪気な創造と想像のアンテナが一向に錆びついていないのが窺えるはずだ。その一方、天地創造の神話を下敷きにした歌詞で描かれる人間の業、生きる上で大切なことがなおざりとなる現代社会へのシニカルな視点も健在。結成37年目に入り到達した、軽くて深いロックンロールの真髄と醍醐味についてバンドの牽引役であるボーカルのJOEこと稲田錠に聞く。(interview:椎名宗之)
この世とあの世をつなぐ“桃色の雲”
──何はともあれ、去年の10月30日を始まりとした35周年モードの期間内に作品を発表することができて良かったです。
JOE:ギリギリね。バンドのオフィシャルサイトではすでに先行販売してるものの、一般発売はこれからだから間に合ったんだか間に合ってないんだか微妙だけど(笑)。理想としては去年の10月30日に何らかの作品を出せれば良かったんだろうけど、まあオリンピックも延びたことだしと事務所のシャッチョ(ピーシーズの柳沼宏孝)が言うので。
──このコロナ禍でも前向きな歌詞を書きたい、現状をただ批判するだけの歌詞にはしたくないと去年のインタビューで語っていましたが、歌詞作りはやはり難産でしたか。
JOE:いざ書き始めたらそうでもなかった。それに「桃色の雲に」と「水槽のサカナ」は3年くらい前にライブでやったことのある曲だったし。その2曲は今回のアルバムに入れようとアレンジを変えたんだけど、もっとテンポが速くてサイズも長かった「水槽のサカナ」はアレンジするうちに歌詞が半分くらいになっちゃってさ。そうやって短くなった分、練り直して言葉を変えたりして完成させた。
──「水槽のサカナ」は外出行動を自粛せざるを得ないコロナ禍の現状を主題にした歌詞にも思えるし、まるで時代のほうから曲にリンクしてきたみたいですね。
JOE:面白いね。一昨年、新曲としてライブでやった曲なのに。
──アルバムタイトルにもなっている「堕天使のように」ではなく、3年前から存在していた「桃色の雲に」を1曲目に据えたのは意表を突く構成と言えるのでは?
JOE:曲が全部出揃ってみんなで曲順を決めたんだけど、俺は「堕天使のように」で始まるのがいいんじゃないかと最初は思ったんだよ。でも今までにない流れだし、結果的にこれで良かったと思う。
──“桃色の雲”とは何ものかの象徴、何かの暗示なのでしょうか。
JOE:それは聴いてくれた人がどう受け止めてもいいことなんだけど……俺の中ではこの世とあの世の狭間にあるものっていうか、志半ばで俺たちより先に逝っちゃった奴らのことを歌にしたかった。4年前の5月から6月にかけて、The STRUMMERSの岩田(美生)、ロフトのシゲ(小林茂明)、亜無亜危異のマリ(逸見泰成)と近しい人が立て続けに亡くなってさ。その後に「桃色の雲に」の歌詞の原型を書いたんだけど、いろいろ調べたら仏教の世界では死者が極楽浄土へ辿り着くまでに桃色の雲を越えていくみたいでね。俺たちももういい歳だし、終活じゃないけど人生の終わりに向かいつつあるイメージで書いた歌。まあ、桃色の雲の向こうと言っても俺が行き着くのは地獄かもしれないけど(笑)。
──悪魔に極楽浄土は似合いませんからね(笑)。歌詞に出てくる“石積の塔”は裏ジャケットのイラストにも描かれていますが、JOEさんがネパールやカンボジアなどで何度か目にした経験からイメージを湧かせたそうですね。
JOE:うん。東南アジアとかいろんな国で石積の塔を見てきたんだけど、ネパールやブータンだと山の上にあるんだよね。この旅が無事に終わるように祈るためのものだったりして。
──日本にも五輪塔のような供養塔が各地にありますよね。石造美術の側面もあるんでしょうけど、基本的には死者や祖先を供養するために建てられたもので。そんな所に、埃まみれのいつかの期待は置いてきたという意味深な歌詞ですね。
JOE:叶わなかった自分の夢は石積の塔に置いてきたっていうかさ。歌だからどう取ってもらっても構わないんだけど、石積の塔に自分も含めていろんな人たちの思いが積み重なっているというニュアンスかな。死ぬことや人生の終わりが近づくことは俺の中で決して悲しいことでも寂しいことでもないし、「桃色の雲に」は残された時間にやれることを精一杯やろうって歌だね。
──「残された坂道を残酷に走り抜けろ」と自身に発破をかけるように。
JOE:その坂道も、世代によって受け止め方が違うはずだよ。若い世代ならそれを上り坂と感じる人が多いだろうけど、俺みたいなジジイは下り坂一本だから(笑)。だけどその下り坂をフルスピードで駆け抜けてやるぜ! ってことなわけ。捉え方は上りでも下りでもどっちでもいいんだけどね。
──それにしても『堕天使のように』とは言い得て妙なタイトルですね。キリスト教の教理では悪魔は堕落した天使のことを指すそうですし、前作が『悪魔』というアルバムだったG.D.にはうってつけの言葉だなと思って。
JOE:それこそ『悪魔』を作ってるときから“堕天使”という言葉が頭の片隅にあった。俺は別にキリスト教信者でもユダヤ教信者でもないけど、天地創造にまつわる逸話、世界各地で語り継がれてきた神話や伝説に興味があってさ。神が善をなすためには悪魔という存在が不可欠で、神に仕える天使の中でも特に優秀なルシファーという大天使が神と対立して天から追放される。地上まで堕ちた天使は人間になり、さらに深く堕ちた天使は悪魔になる。天使が堕落した理由として、神よりも優れた力があるんじゃないかという驕りから味方の天使を集めて神に刃向かったとか、神が天使よりも人間に愛情を注いだことで嫉妬したからとか、自由な意思を持って反旗を翻したとかいろんな説があるんだけど。つまり堕天使とは神に逆らって悪魔に堕ちた天使のことで、前作で悪魔をテーマにしたから今回は堕天使のことを唄ってみたかった。次の作品では天使をテーマにしたいと思ってるし。
──なるほど。悪魔、堕天使、天使という三部作の構想があると。
JOE:うん。それは『悪魔』を作ってるときから考えてた。