曲であの場と時間を共有している
──この作品は生で会う・共有するということを強く描いている作品だなと感じました。今はSNSやビデオ通話など距離があっても繋がることのできるツールが身近になっています。今作で生で会う・時間を共有することを強く描かれたのは何故ですか。
イシグロ:文字は確かに距離も時間も飛び越えますが読むタイミングを相手に委ねるので、双方が向かい合っているようで向かい合っていないんです。生で会うというのは目の前にいるので感動も直ですし、言葉以外の感動もあると思うんです。本当に意図した通りに思いを伝えるには目の前に居なければいけない、そのことが僕の中では重要だったんです。なので、生で会って時間を共有することの大切さを描きました。対比になる文字の部分はやきもきして、都合よく解釈されてしまう、なので思考が良い意味でも悪い意味でもドライブしてく姿を描きました。
──その対比は作中で俳句がタギングされているという形でも表現されていましたね。
イシグロ:思い出の表現で言うとレコードジャケットはフジヤマさんの思い出を大貫(妙子)さんの「YAMAZAKURA」とともに表現してあのデザインになっています。
大:記憶のベースはリアルタイムに体験しないとダメというのがあったんです。そこが最後のシーンに象徴されています。文字・配信・通信でその瞬間を体験していても、こっち側と向こう側では時間的な体験が共通じゃないんです。ココだけは解消できないから最後のシーンがある。そういう瞬間をチェリーとスマイルは一緒に生で体験したから強くなったし、その体験をフジヤマ夫妻もしていて、それがリンクする物語になっています。
イシグロ:場と時間を共有しているという意味では音楽も記憶とリンクしているということを表現しています。
──おっしゃる通り、音楽と記憶のリンクが描かれていることも印象的でした。
イシグロ:いい曲だからリンクしているのがいい記憶とは限らないし、悪い曲でもいい記憶とリンクすることもあります。じゃあ、フジヤマさんの記憶はどうなんだろうということで「YAMAZAKURA」という曲であの場と時間を共有している。
大:それが本質的な音楽ものだと思っています。
──作品の象徴的な曲「YAMAZAKURA」を大貫さんにお願いすることになったのは何故なんですか。
イシグロ:これは僕からの発信ですね。「YAMAZAKURA」のシーン制作に入った時はデモ曲すらなくて、具体的にシナリオ・演出が思い浮かばなかったんです。そこで、まずはフジヤマさんたちの若いころ70年代のアーティストの曲を元にイメージを膨らませていこうとなった中、僕が好きな大貫さんが良いんじゃないかと思い至ったんです。最後のシーンに合う大貫さんの曲ということで『春の手紙』を聴きながらシナリオを書いていきました。シナリオが完成し制作が進む中「曲を誰にお願いしますか。」となった時に『春の手紙』を聴いていたので、「大貫妙子さんにやってもらえたらいいですね。」と話していたら本当にやってもらえることになったんです。しかも大貫さん本人に歌ってもらえるとなったんです。それを伺ってからは緊張の日々でした。
──本当に凄いことですよね。実際の曲も作品にピッタリで。
イシグロ:『YAMAZAKURA』は本当に作品に合った曲で、僕は特に歌詞に感動しました。歌詞が、さくらさんがフジヤマさんを元気づけるために作った曲になっているんです。曲をお願いする際に作品のプロットを大貫さんにはお渡ししていて、二人のバックボーンについての説明もさせていただいているんですけど、そのプロットをちゃんと読んだ上で書いてくれているということが初見で解りました。この感動は言葉にできないものがあります。レコーディングも見学させてもらったんですけど、そこで「ありがとうございます。」とお礼を伝えながら握手してもらいました。大貫さんも楽しんでレコーディングしていただけたそうなので本当に良かったです。
──大貫さんの声がまた良いんですよね。
イシグロ:透き通っているなかで、印象に残る、本当に素晴らしい声ですよね。贅沢させてもらいました。頑張って作ったご褒美かなと思っています。
──もう1曲の印象に残る曲『だるま音頭』。これは大さんが作詞をされていますが。
イシグロ:これも僕がオーダーしました。音楽と記憶の話にも絡んでくるんですけど、凄い変な曲・ダサい曲でも人によっては良い記憶に繋がる、そういう演出が必要になると思ったんです。そうなると『ダルマ音頭』は変な曲である方がより感情の揺れ幅を表現できると思ったので、ダサい曲を作って欲しいとお願いしました。それを気軽にお願いできるのは牛尾(憲輔)さんと大さんしかいない。
大:しかも詞先ですから(笑)。歌詞をよく見ていただくとプレス工場だったころに作られたエピソードになっています。そこがフジヤマさんのショッピングモールを徘徊してるという所にも繋がっているんです。自分の体が覚えている、体の記憶として、施設の周りをウロウロしていたという話ですね。
──フジヤマさんは記憶をたどり、チェリーとスマイルは思い出を作るという形で繋がっている物語なんですね。
大:音楽にまつわる思い出を個人的なベースからみんなが共有できるものに落とし込んでいったという感じです。だから作詞も漫然と書くのではなく、どう記憶と関わりがあるかということを考えて作っていきました。