メロディに寄り添い、反発しない歌詞がいい
──myeahnsにおける鍵盤の果たす役割は絶妙なスパイスのようでなくてはならないものだと思うんですけど、その匙加減もちゃんと推し測っているんですよね?
Quatch:最初に俺がだいぶ弾きすぎるので、後で削りつつ考えていきます。やっぱりメロディが大事だし、亮太にほとんど頼ってますね。メロディライン的なものを考えるのが亮太はすごく秀でてるので、彼にアイディアをいっぱいもらってます。音色も亮太と相談しながら決めてますし。
逸見:上物が過剰になりすぎないようにっていうのは雄介とQuatchが特に意識してるんじゃないですかね。2人で会話してるのをスタジオでよく見かけるし。
Quatch:あまりごちゃごちゃしてると気持ち悪く感じるのはみんな共通してると思うんですよ。それぞれいろんな音楽を聴いてきてジャンルもバラバラだけど、無意識のうちにシンプルでストレートなロックにベクトルが向いてる。そういう5人の嗜好が楽曲の幅にも広がってる気がします。
──メロディと分離しない平易な言葉が並ぶ歌詞もまたいいんですよね。説明的すぎず、それでいてイマジネーションを掻き立てられる理想的なロックンロールリリックとでも言うような。
逸見:歌詞に関しては茂木君がしっかり聴いてくれるんですよ(笑)。「歌詞見せて〜」って言ってくれるし。
茂木:どれもいい歌詞だけど、今回は「くたびれ天国」が一番好き。マジいい曲だよね。
コンノ:「くたびれ天国」はいいね。まあ全曲いいんだけど。
──逸見さんから真っ先に新曲を聴く齊藤さんはどうですか。
齊藤:メロディに寄り添うというか、メロディに反発してない歌詞ならわりと何でもいいんですよね。逆にメロディに合わないと、どれだけいい曲でもどれだけいいことを唄っててもイヤなんです。とはいえ今回そんな歌詞があったわけじゃないけど。
──「Summer of Love」の歌詞も詩的かつロマンティックで秀逸なラブソングですが、1967年の夏にアメリカで巻き起こった“サマー・オブ・ラブ”のことも念頭にあったんですよね?
逸見:うん、それも落とし込めたらと思って。あの時代への憧れもあったし。
──あと、音の録り方も前作と比べて変わりましたよね。従来の野性味が増幅されてはいるけど、繊細さや整然とした一面もまた際立った音作りになっている気がします。あまり情報量を詰め込みすぎていないというか、ボリュームを上げても耳心地の良い音の鳴りがしますよね。
齊藤:それは個人的にすごく気に留めました。余計なこともしたくなかったし、前回のレコーディングの反省点を活かしたところはあります。
逸見:音の面に関してはスタジオでメンバーがよく話をしてくれたし、ファーストよりも良くなったんじゃないかな。
齊藤:ファーストのときはQuatchが入る前の曲もいっぱいあったし、そこはQuatchが大変だったと思うんですよ。俺も上物が2人いるからどうやっていいか分からなかったし。でも今回は最初からQuatchがいる状態で作った曲がほとんどだったので、その面ではやりやすかったですね。
──では制作進行はわりとスムーズでした?
逸見:アレンジを考えるのはスムーズじゃない曲もあるにはあったんですけどね。「Baby Blue」と「Summer of Love」と「マイ・ネーム・イズ・エレキトリック」にはちょっと手こずったし。
齊藤:「ビビ」も相当手こずったよね。
逸見:レコーディング自体はスムーズでしたけどね。
──「Baby Blue」は平歌でテンションが潜るように下がってからサビで一気に開けていく進行がクセになるし、これまでのmyeahnsにはないタイプの曲ですよね。
逸見:そういうmyeahnsの新しい要素も入れたかったし、それで手こずることもありましたね。
齊藤:「Baby Blue」は最初に亮太君の弾き語りを聴いた瞬間からアルバムの1曲目だなと思って。俺が茂木君に「これはドラム入りがいいんじゃない?」って言った気がするんだよね。茂木君のドラム入りが俺は大好きなんで。だからなのか、ファーストのときからドラム入りの曲が多いんですよ。