2021年6月11日、『「宇宙戦艦ヤマト」という時代 西暦2202年の選択』の上映が始まる。物語のみならず音楽も世代を超えて愛されている『宇宙戦艦ヤマト』。1月にリリースされ、父から子へと引き継がれたこの交響組曲。新たに創り出された『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト2202』について作曲家の宮川彬良さんにお話を伺いました。
[interview:柏木 聡(LOFT/PLUS ONE)]
おいそれとできるものではないという思いがありました
──『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト2202』を制作するに至った切っ掛けを伺えますか。
宮川:一番近いきっかけは2019年10月14日のコンサートで宣言してしまった手前、作らざるを得なくなったというのがきっかけとも言えなくもないんです。それは自分で自分を後押ししたという面もあるんです。もう戻れない状態にしないと書けないくらい怖くチャレンジングなことだったんです。なので、言わせた自分と言われた自分が二人いるみたいな感覚なんです。
──それだけ覚悟を決めないといけないほど大きな挑戦という事なんですね。近いところでとのことですが、それまでにもいくつか布石のようなきっかけがあったという事なのでしょうか。
宮川:はい。遠目に見るとそれこそ父の『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』を最初に聞いたとき、「これだ」と思ったことが大元の切っ掛けになっていると思います。劇伴の楽曲は長くて4分で大体の曲が1分半じゃないですか。そういった音楽の根元には1曲40分くらいのクラシックの交響曲があるということを父の交響組曲を聞いてピンと来たんです。現代的でどことなく聞き覚えのあるカッコいいアニメ音楽の曲を元にして40分台の作品が新たに生まれた。それは僕にとってはまさにこういう物を目指したいというものだったんです。そういった作品作りは当時流行っていたプログレッシブロックの考えとも合致したんです。
──複数の曲のからなる1つの作品としてのアプローチということですね。
宮川:そうなんです。そういった作品は少なくともA面とB面、トータルで聞いてというのがヒシヒシと感じられるものだったんです。クラシックの勉強とともにそういった音楽に触れて「こういう物を作らないといけないよな。」という思いがあったのでそこからすでに始まっていたんだと思います。それから『宇宙戦艦ヤマト(以下、ヤマト)』に関わるようになり、最初に言ってくれたのはコロンビアの八木(仁)さんなんです。『ヤマト』以外の作品でも会うたびに「彬良さんバージョンの交響組曲を聞きたいな」と言うんですよ。その時は「何を言っているんだ」って思っていました(笑)。おいそれとできるものではないという思いがありましたから。
──言われていたのは『宇宙戦艦ヤマト2199(以下、2199)』が始まる前ですか。
宮川:多分、前ですね。
──『2199』がスタートし参加することになって、その気持ちが変わったということなんですか。
宮川:変わりましたね、参加したことは大きかったです。出渕(裕)さん(『2199』総監督)と『ヤマト』に対しての思いが一緒だったので、その船にひょいと乗っちゃいました。でも、その船の行きつく先に「これは『さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち』が来るだろうな」とかいろいろ考えるじゃないですか。成功させたら次がある、しかも成功させないわけにはいかないですから。
──そうですね。もちろんどの作品でもそうですが、『ヤマト』だとさらにその思いも強くなりますよね。
宮川:さらにイメージの中では、その先の先の先くらいに交響組曲って言われるだろうなということが明確になってきたんです。その頃には「もう言わないでくれ」ではなく、「今じゃないよね。まだ言わないでくれ」と気持ちも変わってきていました。でも、いずれはやるという気持ちのスイッチがその頃には入っていました。
──気持ち的にはその辺から準備を始めていたということなんですね。
宮川:交響組曲を作るならこの曲は入れられるよなとか、断片的にはよぎりましたね。
全く別のものになっていたと思います。
──CD発売という意味での具体的な作業に入るきっかけは先ほどおっしゃられていたコンサートになるんですか。
宮川:具体的に動き出したのはコンサートがきっかけでした。バンダイナムコアーツの吉江(輝成)さんからも「『宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち(以下、2202)』良かったよね。あの劇伴のCD聞いているだけで、交響組曲入ってますよね」と言われ、「交響組曲のことで話をしましょう」と具体的に話を始めたんです。そういう集まりを2回くらいやったかな。
──それはコンサートからスグだったんですか。
宮川:2019年の10月・11月ころだったのでスグですね。で、本当は2020年6月に録る予定だったんです。そしたらコロナがあり全部の予定が崩れたわけです。
──そこにもコロナの影響があったんですね。
宮川:録音は一切できないじゃないですか。その時期、たまたま僕が大きな舞台の仕事がひと段落付いたところだったんです。だから大きな書き物は何もなかったわけで、ほかの仕事もできないので自分の書きたいものを書くしかなかったんです。時間はあるわけだから、これは書けということだなと自問自答して意を決し作品を見返すところから始まり、本当にきれいに100日掛けて書き上げました。コロナがなかったら全く別のものになっていたと思います。
──短めの楽曲作業と今回の交響組曲というトータル50分くらいの楽曲を作るというのは違うお仕事なんですか。
宮川:違うと思います。交響組曲はここで盛り上がって、ここで転調してといった、図面・グラフを描く感覚に近い作業も必要になります。最初はそういう全体的な道筋を考えて、その道筋を考えながら断片的に思い浮かんでくるものも大事に大事に育てながらちょっとずつ伸ばしていくんです。「これとココと繋がるよな」とか「最初に思っていたのとこれは違うから、こっちに変えよう」とかパズルを組み立てるようなことをやっていくんです。1曲の中にいろんな要素があるけれど、その繋がりを構成する事がすごく重要なんです。ミュージカルやオペラを作っているのと凄く似ています。
──物語を作っている感覚なんですね。
宮川:音楽そのものが物語るんです。なので順番やキイが凄く重要になってきます。
──劇伴は映像に沿わせる形ですが、交響組曲は音楽が全部になりますよね。そこのインパクトの違い、聞かせ方の違いがあると思いますが、交響組曲だからこそのアレンジの工夫もあるのでしょうか。
宮川:当然あります。今回の制作にあたり父が最初の交響組曲をどうやって作っていたのかということを改めて勉強しました。聞いてみると本当にヤンチャにいろんなことをやっているんです。
──ヤンチャなことというのは。
宮川:例えば木村好男さんが泣きのギターをやっているんです。美空ひばりの相棒ですよ、劇伴だとあり得ないじゃないですか。それから『真赤なスカーフ』がサンバになっているとか、劇中にはなかった曲が出てきちゃうとか、かなり自由にやっているんです。それなのにB面の『イスカンダル』という曲になると、「やっと着いたんだ。」って涙が出てくるわけなんです。おかしいですよね、曲もストーリーの順番通りじゃないのにですよ。
──それでも『ヤマト』をイメージさせるというのは凄いですね。
宮川:TVアニメ26話の物語とはまた違った物語が音楽の時間で進んでいくんですよ。僅か40分なんだけど僕も26話を見たような感じがしました。あらためて聴き・勉強したことで、交響組曲というものはこうあるはずだと思い、父や西﨑(義展)さんたちに対して改めて敬意を感じました。