ロンドンのBBCセッションはマジで最高でした!
──ロンドンでは、かのBBCでスタジオ・ライブ・セッションも実現しました。現場ではドン・レッツも同席していましたが、いわゆる「BBCセッションズ」はバンドにとってどんな体験でしたか? BBCのスタッフは、とても作業が早いという話を聞いたことがあります。大変だったこと、やりやすかったことなど感想を教えてください。
あっこりんりん:私だけ仕切られたボーカル・ルームに閉じ込められてのレコーディングで、初めての録り方だったのですごく緊張しました。でも初めての方法でみんなで集中して、いいテイクが録れたので良かったと思います。ミックス・ルームのスピーカーが良すぎるのもあると思いますが、ラフミックスの段階で良すぎてびっくりしました。BBCのエンジニアに褒めてもらえたことは自信になりました。ドン・レッツが普通に遊びに来て普通に私たちの動画を撮って、普通に私たちのミックスを聴きながら足でリズムを取っていて、意味わからんなと思いました。
よよよしえ:BBCセッションはマジで最高でした。超いい経験。セッティングの段階では「声ぜんぜん聴こえねえ…」など不安面が多々あったのですが、みんなで向かい合って一発録りすると、「えー! こんなにいい音出ちゃう!?!?!?」ってな感じで普段の5割増しでギターもかっこよくなった気がします(一発録りと言うてますが、「シルブプレ」に関してはめちゃくちゃギター直した)。うちらがやりたい感じとかバランスをばっちりわかってくれていて、プロフェッショナルってすげえな! とただただ感嘆。スタジオで聴いた音源も爆音ということもあり、かなり良かったのですが、ラジオから流れた音源もこれまた良くて感動しました。BBCにはドン・レッツが夫婦で遊びに来てくれて、彼がその様子を撮ってくれました。この映像、もちろんドン・レッツしか今は見れへんのですが、その場でちょっと見ただけでもほんまにイケてる映像で…!(みんな衣装じゃなくてジャージ姿なのになぜかイケてるんです)いつかドン・レッツ監督で長編ミュージック・ビデオ作ってくれたらなー!
ひろちゃん:レコーディングの時は少し緊張していて、どんな雰囲気で曲が録れているかわからず不安だったのですが、仕上がりを聴いてとても感動しました!理想的な音!私は英語が苦手なのですが、やりたいことを汲んでくれてとてもやりやすかったです。
かほキッス:とても良い体験ができたと思います。作業スピードの速さと技術は言わずもがなですが、一番の収穫は初めて見るドラムのミュートの仕方をエンジニアさんから学べたことです。BBCセッションの次のライブから取り入れさせていただきました。ありがとうございました!
──「BBCセッションズ」は数多くのアーティストが作品化してきています。オンエアされたテイクを聴いて、どれもすごく良いと感じましたが、将来的にCDなどにしていく考えはないですか?
あっこりんりん:何も考えてなかったです!(笑)いいアイデアですね!
お笑いから受けた深すぎる影響
──BBCでも演奏された「呼ばんといて喪女」は、テレビドラマ『猪又進と8人の喪女〜私の初めてもらってください〜』の主題歌として提供されました。外部からの依頼に応える形での作詞・作曲というのは、いつもとは少し違う取り組み方になったのではないかと想像しますが、いかがでしたか?
あっこりんりん:その通りで、自分は人から依頼されて曲を書くなんて無理だと思っていました。さらば青春の光のマネージャーさんから頼み事があるから電話すると連絡があって、内心これは…私に頼み事なんて作曲依頼しかない…と察していたので、めっちゃOKしたいけど無理な仕事かもしれん、どうしようと悶々としながら電話を待ってました。実際お話を聞いて、私の思うようにやっていい、口出しはしないと言ってくださったのと、テーマが「喪女」で、女の負の感情を唄うなら君しかいないと言われて、ぜひやらせてくださいと答えました。
電話で軽く話のあらすじを聞いた時にすでに「喪女って誰が決めてくさんねん」と思って、その目線で書くことに決めてました。20秒くらいのオープニングなのでちょっきりで提出したいと思ったのと、地上波で聴こえてこないようなハウリングをさせたいとか、曲のイメージは電話を切った時点でありました。ちょうど依頼が来る前に「いかんせん難ありの女ですから…」という、自分はこんなに欠点だらけだけど頑張って生きてるんだよう! という歌を書きかけだったのでタイミングがめちゃくちゃ良かったのもあります。
一番ネックだったのが締め切りがあったことでした。いつも自分のタイミングでできひん時はできひんで寝かせたりしてたのが今回は通用しなかったので、毎日この曲のことばっかり考えて眠れませんでしたが、スタジオでそんなに煮詰まることもなく予定通り仕上がってホッとしました。
──他のミュージシャンやバンドからよりも、お笑いからの影響について積極的に語られていますが、どのようにハマってきたのでしょう? 自身の音楽を通じた表現に、お笑いの影響が反映しているという自覚を持ち始めたのはいつ頃からでしたか?
あっこりんりん:こないだ亡くなった志村けんさんのドリフ、だいじょうぶだぁから始まり、ごっつええ感じ、吉本新喜劇、baseよしもと等々、小さい頃から常にお笑いはそばにありました。志村けんさんが自分の根本にあったなんて当たり前すぎて自覚なかったですもんね、めちゃくちゃ影響受けてます。だから自覚とか本当にごく最近やと思います。なんで音楽聴く気にならへん時もお笑いは見れてしまうんやろうとか。ごく普通に笑った後に、なんでこんなに楽しい掛け合いのテンポなんやとかツッコミの言葉選びなんやとか、演技力とかトーク、間の取り方一つとっても、なんて芸人さんはすごいんだと尊敬してます。スタジオで「(芸人名)の(ネタ中のセリフ)と同じイントネーションねんけど」とみんなにメロディを教えたりとか。DNAみたいな、お笑いはもう体に染み込んでしまってるからあんまよくわからないです。
よよよしえ:大阪でテレビをつければよしもとの芸人さんを見ない日はないので、まずはそこからの影響でした。ハリガネロックとロザンの漫才が衝撃的に面白かったことがきっかけで、テレビ欄にハリガネロック・ロザンがないか探すようになり、夕方にやっていた『べえぇす!』『?マジっすか!』というところから『吉本超合金(F)』『クワンガクッ』などの深夜番組を見るようになりました。一通りテレビで満足できなくなった頃からbaseよしもとの芸人さんが出演する深夜ラジオを聴くようになり、そこで音楽に少しずつ興味をもつようになりました。小学校高学年から中学3年間の間は1日5時間以上ラジオに費やしていました。お気に入りの番組で麒麟のラジオ(『金曜生です麒麟です』)があり、そこで麒麟の川島さんがくるりが好きだということを知り、そこからどっぷりくるりにハマり、高校生の時に立命館大学を目指すようになりました。
なので、麒麟のラジオを聴いていなければ立命館大学に進学していませんでしたし、もちろんおとぼけビ〜バ〜は結成されてなかったので、私のバンド道を決めたのは麒麟の川島さんといっても過言ではないです。『KOYABUSONIC』で一度ご挨拶をさせていただいたのですが、緊張のあまりそのお礼を言えなかったことを今でも悔やんでいます。
ひろちゃん:小学生の頃から家に帰ったら録画していたお笑い番組、中学生の時は寝る前に『GOYODA』という芸人さんが日替わりでパーソナリティを務めるラジオを毎日聴き、高校生になるとbaseよしもとに週2、3回は通い、完全にお笑いにどっぷりな学生時代を送っていました。その頃、芸人さんの出囃子で知ったバンドがたくさんあって、たとえば私はかまいたちが好きだったので今でもAlaitz Eta Maiderの「Amets bat」は聴いています。出囃子に使われていた曲を聴くと、バンドより先に芸人さんの顔が浮かんでしまいますね。
かほキッス:私は小中学生の頃にお笑い好きな姉の影響で吉本新喜劇や爆笑オンエアバトルなどを見て過ごしました。そして高校生になって劇団ヨーロッパ企画に出会い、それからずっとファンです。思い返せばヨーロッパ企画のおかげで私の文化の世界が一気に広がった気がするので、いろんな面でかなり影響を受けていると思います。言葉選びが面白すぎるので、いつも本公演を見ながらセリフを覚えて、帰り道に一生懸命思い出しながら帰るのをもう何年も繰り返しています。
後編に続く!