突き破れなくていい。前向きに考えられないことは悪いことなのか!?
──その自分への焦りは「パラノイアで踊れ」に、ものすごく表れていますね。
DEATHRO:はい。全然打ち破れなくて。けど、自分はここで生きていくしかない、そんな自分でいるしかない、という感じですよホント。
──特に、「『フツー』になんてなれなくて、『突き抜ける』事も出来なくて」という歌詞の、自己認識の厳しさには驚きましたよ。
DEATHRO:この「『突き抜ける』事も出来なくて」という言葉はずっと温めていた言葉なんです。ソロ1年目の時にドラムの川又(慎)くん(Not it? Yeah!)が、俺らがお世話になっているある人から「DEATHROさんは突き抜けきれていないね」というライブの感想をもらって。黙っていればいいのに、川又はそういうのを悪気なく言ってくるんですよね(笑)。
──(笑)。しかし、大分辛辣な感想ですね。
DEATHRO:けど不思議なことに「悔しい!」とか「よし、ぶち破ってやる!!」という意識にならなかったんですよ。確かに、全て振り切ってしまえるカッコイイ人はいますが、そうじゃない良さもあるはずだと常に思って。例えばある日テレビを見ていたら、モデルのけみおさんが出演していたんですね。けみおさんはカミングアウトをされていて、今LGBTQへの風当りが強いことに対して、「マイノリティであることに後ろ指を指されても気にしない。むしろ笑い飛ばしてやった方がいい」と語っていたんですね。その姿勢がものすごくカッコイイと思った反面、世の中には何気ない言葉を笑い飛ばせず、その一言に躓きウジウジと悩んだり、ムキになって怒るヤツだっているんですよ……俺自身まさにそういう人間で。決して生き方が器用ではないのは先ほどの話でも分かってもらえたと思いますが、前向きに考えられない人が悪いのか?と聞かれたら絶対にそんなことはない。“笑い飛ばせない”“打ち破れない”ことについて、ストレートに書きたい、歌いたいと思ったんです。
──バンド時代も自意識についての曲はありましたが、スタイルは違っていましたよね。
DEATHRO:昔は悩みや葛藤を歌ったとしても「殻を打ち破れ!」と最終的にポジティブシンキングに落ち着いていましたね。この言葉をもらってからは、突き抜けられなくてもいいから普遍的に良い歌を作りたい!と思えるようになりましたね。
――「突き破れないこと」を後ろ向きにしないところに“らしさ”が現れていますよね。
DEATHRO:ロマンチストなので、希望は必ず入れたい。アイロニカル、ニヒリスティックになるのは簡単ですから。
──DEATHROさんのステージは、エネルギーを感じさせる一方、どこか自分に対して思慮深いと言うか後ろ向きで見ている部分を感じるのは、そういう意識があったからですか。
DEATHRO:いやぁ、メチャメチャ自己嫌悪を毎日抱いていますよ……って、毎日は言いすぎですが。未だに「俺はここにいていいのか!?」と思うことがあります。けど、ムリやり変えようとしても無意味。いつか自然に楽しく振舞える日が来るまで、俺はこのままでいようと。そういう立ち方も悪くないだろう?って。
これからも常に「軽薄なロックンロール調歌謡曲」であり続けたい?
──今回のアートワークも特徴的ですね。今までは写真でしたが、今作ではイラストレーターのカナイフユキさんを起用されています。
DEATHRO:カナイさんとは一度も面識が無かったのですが、彼の描くイラストは大好きでよく拝見していたのでぜひお願いをと。完成作が送られて来た時にはビックリしました。今回は中学生の青春時代から始まったものの凝縮された部分が強いので、制作しながらふとアルバムにテーマカラーがあるなら「青」だと思っていたんです。そうしたら、カナイさんが、青を基調にした絵を作ってくださって。カナイさんもこの作品を聞いて「青」ぽいと思ってくださったんでしょうね。
──また、このイラストのDEATHROさんがいい。キメた表情に見える一方、目線と口角の上がり方からどこか物憂げさも感じられるんですよ。
DEATHRO:依頼の際に細かい注文はしなかったのですが、一つだけ「美意識と生活感の挟間」というコンセプトを提示したんですよね。そうしたら見事にそのコンセプトを汲んでくださいましたね。最近お会いする機会があったのでお話をした時に、俺の勝手な印象で恐縮なのですが、カナイさんもきっと辛さなどを笑い飛ばせないタイプ側の人だなぁと感じて、逆にカナイさんも俺の自意識に苛む部分に何かを感じてくれた気がしました。またスピリチュアルな話になりますが、シンクロニシティはあるんだなと思いました。
──偶然が生んだジャケットも含め、ものすごいDEATHROさんという人の人柄が強く滲む作品になりましたね。
DEATHRO:ありがとうございます! ……ってこれで大丈夫ですか? 固くなってませんか? 今後の展望みたいなのを話しておくとかやっておいた方が……。
──アハハ! では、2020年のDEATHROの展望をお伺いできますか。
DEATHRO:11月25日からツアーが始まり、最終日の5月12日には渋谷WWWという今までにない大きな会場でやらせていただきます。最高のものを見せますのでよろしかったら。あと、すでに何曲か形が見えてきたので、もう1枚何かリリースしたいですね……今のところミニアルバムとして構想中です。個人的には今後もブレることなく、カルチャーヒエラルキーゲームとは無関係なところにずっといたいなぁと思ってます。
──それはどういうことですか?
DEATHRO:マニアックにはなりたくないんです。このスタイルをやっていると、90年代音楽へのアイロニーとか、「狙った音」、「斜め目線」という見方をされるんですよね。いやいや、もう単純に好きなことをやっているだけなんで。そうやって何かをやる度にまとわりつく、“枠”に押し込まれるのはなんかむず痒い。なんなら「○○チャー」が含まれる言葉が本当に苦手で(笑)。自分の音楽を「文化」とか「文脈」いう枠に当てこまれるのはなんか居心地悪くて。予備知識とかが無くても聴いたノリで一緒に口ずさめるような、本当に常に軽薄な音楽であり続けたいですね。
──……良いこと言いますねぇ!
DEATHRO:と言っても、さっきから言っている“軽薄”って言葉も、BOØWYの『BOØWY』が発売された時「なんのためにベルリンにまで行ってレコーディングしたのがわからないぐらい、軽薄なロックンロール調歌謡曲のオンパレード」とミュージックマガジンで酷評された文章からのサンプリングですよ。
──よりによってそういうところから(笑)。確かに権威ある批評家の一部からBOØWYって“軽い”とバカにされていましたよね。それの何がいけないの!? って思っていたので、その言葉に胸がすく想いですよ。
DEATHRO:BOØWYがはっぴいえんど史観の方にそう言われるスタンスも含めて好きなんですよ。それって、権威に反抗する証ですよね。なんなら後ろ指を指されるぐらいの方が面白いじゃないですか。