今年芸能生活30周年を迎えた戸川純が、『TEICHIKU WORKS JUN TOGAWA ~30TH ANNIVERSARY~』と題したスペシャル・コレクションBOXを発表した。これはヤプーズ、ゲルニカ、ソロ、東口トルエンズとしてテイチクエンタテインメントに在籍した時代の作品を戸川自身が監修にあたり、全9枚ものCDとDVDを収録した質実ともに価値の高い逸品である。しかもその中には、このBOXのために特別編集された盤もある。ゲルニカのライヴとデモを収録した秘蔵音源盤『LIVE & DEMO』、ヤプーズ、ゲルニカ、東口トルエンズのライヴ映像を収録した貴重映像集『TEICHIKU WORKS LIVE DVD』の2枚がそれで、マニア垂涎の内容であることは本誌が保証する。さらに言えば、戸川の軌跡を辿るロング・インタビューと未使用写真が掲載された全28ページに及ぶブックレットも出色の内容だ。掛け値なしに素晴らしいこのBOXセットを通じて、戸川純にとってこの"テイチク・イヤーズ"とはどんな時節だったのかを回顧してもらった。(interview:椎名宗之)
ジム・オルークによる“リミックス”計画
──テイチクでの作品をコンパイルしたBOXをリリースしたいとオファーを受けて、率直なところどう感じましたか。
戸川:それは今回のBOXに封入されているブックレットにも書いてありますが、BOXの話を頂いた頃、ヤプーズを好きでいてくれたジム・オルーク(ex.ソニック・ユース)に『ヤプーズ計画』のリミックスをお願いしたいと考えていたんです。と言うのも、私は発表された当時のミックスの仕上がりに満足していなかったので。数年前、ニューヨークに住んでいたジムに話をして了解を取りつけていたので、ジムがリミックスした『ヤプーズ計画』を収録できるならいいですよとテイチクには返事をしました。それが発端だったんですが、『ヤプーズ計画』のマルチ・トラックのテープが見つからなかったんですよ。それでジムにリミックスしてもらう計画は実現できなかったものの、BOXの話は進行していたんですね。でも、メンバーやスタッフには申し訳ないんですが、私の中でワースト・ワンだったヤプーズの『大天使のように』はそこに入れたくなかったんです。『大天使のように』を入れる交換条件として、『ヤプーズ計画』をジムにリミックスしてもらうことがあったんですね。その構想が一時立ち消えにはなったんですが、考えてみればゲルニカの『新世紀への運河』や『電離層からの眼指し』といったアルバムは未だに入手困難なんですよ。アルファから出したファースト・アルバム『改造への躍動』は定期的に再発されているから比較的入手しやすいんですけどね。だからこの際、テイチク時代の作品をBOXにまとめるのは有意義なことなんじゃないかと思いまして。その時に『大天使のように』だけ抜けているのは潔くないし、収録しないことで却って“幻のアルバム”と謳われたり、深い意味を持たれても困るなと思ったんですよ。それに、ヤプーズのサウンド・リーダーだった中原信雄が、「ボブ・ディランやローリング・ストーンズにも“一体どうしちゃったの?”っていうアルバムがあるじゃん」と言ってくれたんです。確かにあのストーンズですら、突然ディスコ・タッチのアルバムを出したことがあるんですよね。その話を聞いて、『大天使のように』を潔く入れることに決めたんですよ。
──僕は『森に棲む』や『憤怒の河』といった楽曲が凄く好きなので、戸川さんがそこまで『大天使のように』を不本意としているのが正直意外だったんですよね。
戸川:『森に棲む』と『憤怒の河』は私も好きでしたよ。何曲かは好きな曲があるんです。このBOXを出そうと決めた経緯としては、今回特別編集したゲルニカの『LIVE & DEMO』と、ヤプーズ、ゲルニカ、東口トルエンズの貴重な映像を収めた『TEICHIKU WORKS LIVE DVD』は希少価値が高いから、ジムのリミックスの代わりに、とも思ったんです。東口トルエンズの未発表ライヴ映像に至ってはファンの方が撮って下さった映像を編集したものなんですが、機材の性能がいいからそれなりのものになっていると思います。まぁ、『最后のダンスステップ(昭和柔侠伝の唄)』というデュエット曲は山本久土君が唄っているところも、画面に映っているのは自分の存在を消そうとしている私のアップなんですけどね(笑)。東口トルエンズはカヴァー曲をアレンジしているので収録の許可が下りないケースもあったんですけど、その中で奔走して下さったテイチクさんといぬん堂さんには心から感謝していますね。
──戸川さんがこのBOXを監修するにあたって特に気を留めた点はどんなところですか。
戸川:主にヴィジュアルの点です。BOXのジャケットやブックレットに使う写真の選択や色味には気を遣いましたね。色味のコントラストを含めての装幀と言うか。あとはブックレットのインタビューですね。誤解を招く表現は避けようと、しっかりと精読させて頂きました。それでかなり言葉を付け足させて頂いたので、随分と長いライナーになってしまったんですけどね。
──いや、あのライナーはとても読み応えがありますよ。ゲルニカやヤプーズは未だにその内実が明かされていない部分も多いですから、史実を正確に伝える格好のテキストだと思います。
戸川:基本的に私が携わった音楽をどう解釈して下さっても構わないんですよ。それは聴き手の自由ですから。ただ、私が意図していないことはちゃんと言っておきたかったんです。『バーバラ・セクサロイド』のPVでの私の衣装を水商売っぽくしたくなくて実はこんな工夫をしたとか、そういったことですね。
アカデミックなことを一生懸命やるのがバカでいい
──ゲルニカが新宿ロフトや今はなき渋谷ライヴインで行なったライヴ音源とデモを収めた『LIVE & DEMO』は資料的にも価値が高い1枚ですね。特に1982年に行なわれたロフトでの音源は音質も鮮明で、個人的に何度も聴いてしまいました。
戸川:ゲルニカのライヴを見た評論家の方々が雑誌等でゲルニカについて言及して下さると、どうしてもアカデミックな難しい言い回しになるんですよね。でも、このライヴ音源を聴いて頂ければかなりユーモアに溢れたバンドだったことが判ると思うんです。ライヴも和やかなムードですしね。実際、当時のライヴを見て下さった方々には意外がられたんですよ。「くすくすと笑いが漏れる和やかな雰囲気が意外だった」とライヴ評に書かれたこともありますしね。
──ゲルニカの初期は短い曲でも大仰にオーケストラを入れてみたり、言葉は悪いですがバカを一生懸命やるようなところが今聴いても凄く新鮮なんですよね。
戸川:バカを一生懸命やると言うよりも、アカデミックなことを一生懸命やるのがバカでいい、といった感じですね(笑)。自分が参加したユニットを自画自賛するわけじゃなく、上野耕路さんと太田螢一さんのいちファンとして言いますが、頭が良くなければできないバカみたいなところが彼らにはあったと思います。そこが特殊で面白かったんですね。頭が良いのなら頭が良いまま出すのが普通なところを、頭が良いところをさらに頭を使ってバカをやると言うか。そういった余裕のあるところや面白いもの好きなところが私の中では尊敬に値するんですよ。太田さんが作詞をして上野さんが作曲した歌を私が唄うことで彼らの世界観を聴き手に伝えるという意味で、私自身は媒体だったわけです。それが私の性に合っていたんですね。ありきたりな言い方になりますが、彼らと組めてラッキーでしたね。笑いの要素があったところも私には合っていましたし。モチーフ的に右寄りな曲もチャンバラごっこ止まり、みたいな感じが私の趣味にも合っていたんですよ。
──ゲルニカでの戸川さんが主演女優に徹していたとすると、ヤプーズでは主演女優でありながら監督も務める部分もあったじゃないですか。歌詞を書いたり、バンドのコンセプトを牽引する立場にあったわけで。
戸川:ゲルニカでの参謀は上野さんと太田さんで、私は前線を往く兵隊という気持ちでした。上野さんと太田さんが頭を使って、私は身体を使うという。ヤプーズは当初、1年間限定の活動予定だったんですよ。と言うのも、1年経ったらまたゲルニカをやる、それまで1年間は休業しようと上野さんと太田さんが決めていたので。ただ、レコード会社との契約が残っていたんですね。それで代替案として、3人のソロ・アルバムを出すことにしたんです。私が『玉姫様』というソロ・アルバムを出したのは、ゲルニカとは異なる音楽性を打ち出したかったわけではないですし、契約上のことがきっかけだったんですよ。ヤプーズに関しても、自分の中で志向性が固まってきたから始めたというわけではなく、まずちゃんとしたバンドにしたい気持ちが大きかったんですよね。それまでは“戸川純とヤプーズ”というバック・バンド的なニュアンスが強かったから、私も一兵卒のひとりであるバンドにしたかった。それから内容を考えたんですね。
──動くヤプーズは『ヤプーズ計画LIVE & CLIP+2』と『TEICHIKU WORKS LIVE DVD』(1988年5月、汐留PITでのライヴを収録)で見ることができますが、戸川さんの容姿が今見ても全く古さを感じさせないのが凄いことだと思ったんですよ。ステージ衣装もむしろ今の時代に即した部分があると思いますし。
戸川:ありがとうございます。当時から私は衣装に対しても普遍性を求めていたんですよね。流行りを追うと必ず古くなるから、流行りをなるべく追わないようにしていました。当時、私がヤプーズで着ていた衣装は全然流行っていなかったし、いずれこんな格好が流行るだろうと思ってやっていたわけでもなかった。だから、先取りなんて意識は全くなかったんです。私としては、クラスで前のほうに座っている優等生というよりも、後ろのほうでトランプをしているようなタイプを意識していたところがありましたね。バッド・ガールと言うか。