来年は芸能生活40周年を迎える稀代の歌姫・戸川純と、アーバンギャルドのキーボーディストの傍ら数々のユニットへの参加やソロワークスなど八面六臂の活動を続けるおおくぼけいによるデュオ、"戸川純 avec おおくぼけい"が初のスタジオ録音盤『Jun Togawa avec Kei Ookubo』を完成させた。戸川のソロやヤプーズ時代の代表曲、戸川の愛唱歌を織り交ぜた本作は、歌とピアノだけを徹頭徹尾聴かせるシンプルかつストイックな編成で、時にロマンティックかつドラマティックに、時にアバンギャルドでエレガントに移ろいゆく歌とピアノは万華鏡の如く変幻自在。聴き慣れた戸川のレパートリーの数々に今までにない新たな表情をもたらすと共に、シャンソンのスタンダードや往年の洋楽ヒット曲が違和感なく溶け込んでいるのは二人のセンスと手腕ゆえか。平成最後の秋に放たれるこの禁断のデュオ作が完成に至る道程を戸川とおおくぼに回顧してもらった。(interview:椎名宗之)
デュオの始まりはシャンソン
──お二人が最初に接点を持ったのは、2015年7月14日にTSUTAYA O-WESTで開催された『渋谷巴里祭』でしたよね。
おおくぼ:はい。ぼくがバック・バンドのバンマスをやったシャンソンのイベントですね。戸川さんとアーバンギャルドが対バンした時(2011年9月28日、新宿ロフト)は、ぼくはまだメンバーになっていなかったんです。
戸川:『渋谷巴里祭』の話をいただいて、最初は「わたしがシャンソンを!?」と思ったんですよ。過去にフランソワーズ・アルディの「さよならをおしえて」をカバーしたことはありましたけど、シャンソンの世界とは縁がないだろうと思っていたので。シャンソンと言えば、ささやくように「シュビドゥバー」と唄うものだとばかり思っていたんですが、その「シュビドゥバー」にもパッショネイトでエモーショナルなものがあることを、わたしが敬愛する蜷川幸雄さんが教えてくれたんです。ウィスパー・ボイスで唄うシャンソンがある一方で、越路吹雪さんや美輪明宏さんのように内なる情熱や感情を思いきりぶつけるように唄うシャンソンもあると。そう蜷川さんが言うのだからシャンソンは劇的なものに違いないと思って、わたしの中で見識が変わったんです。
おおくぼ:『渋谷巴里祭』では戸川さんに「ラジオのように(Comme a la Radio)」、「夢見るジョー(Joe le Taxi)」、「哀しみの影(Yesterday, Yes a Day)」を唄ってもらいましたね。
戸川:おおくぼさんのバンドにわたしが選んだ曲を編曲して演奏してもらって、3曲とも本来唄うのが難しい曲なんですけど、すごく安心して唄えたんです。おおくぼさんには素晴らしいセンスと技量があると思ったし、この仕事をお引き受けして良かったと、とても充実した気持ちになったんですね。それでおおくぼさんにお礼のメールをしたんですよ。「おかげさまで『渋谷巴里祭』では楽しく唄えました。どうもありがとうございました。またご縁があれば、ご一緒させてもらえたら嬉しいです」って。この方にはキチンと対応しなければいけないと思ったし、本当に良いライブができたと思わなければそういうメールをしませんからね。
おおくぼ:ありがたいですね。それから1年くらい経って、戸川さんに「またご一緒したい」と言ってもらえたことを思い出して、これはお言葉に甘えようと思って「またライブをご一緒できませんか?」とご連絡を差し上げたんです。自分にとっては一大決心でした(笑)。
戸川:嬉しかったし、驚きましたね。この歳になると、ユニットをやりませんかと気軽に声をかけてもらえなくなっちゃうもので。
おおくぼ:それで渋谷のサラヴァ東京で二人で初めてライブをやることになったんです(2016年8月27日)。
──このデュオの始まりはシャンソンだったわけですね。
おおくぼ:そうなんです。アーバンギャルドの浜崎(容子)さんも、もともとシャンソン歌手を目指していたし、『新春シャンソンショウ』では今もバンマスをやらせてもらっているし、シャンソンとは何かと縁があるんですよね。
──おおくぼさんが戸川さんにお声がけした時も、シャンソンを主体とした音楽をやりたかったんですか。
おおくぼ:特にシャンソンに重きを置くわけではなく、ただ単に歌とピアノのデュオでライブができればと思っていました。もちろん『渋谷巴里祭』で戸川さんが唄われたレパートリーもあるし、シャンソンもできるなとは思っていましたけど。
戸川:わたしのほうは初めは、おおくぼさんのピアノと一緒ならシャンソン主体かなと思っていて、「シュビドゥバー」とささやくように唄うこともできるし、激しく感情をぶつけるように唄うこともできるなと思ったんです。おおくぼさんの弾くグランドピアノがあれば、ドラマティックで劇的で、時に悲劇性の強い歌を唄うこともできると。それに「王様の牢屋」みたいに演劇性の強い歌でも、わたしたちならギリギリのところでポップにやれるだろうと思って。おおくぼさんのギリギリ前衛的な部分をギリギリ残しつつ。わたしは歌を通じて自分の思いを伝えたいからポップなものにしたいといつも思っているんです。何かを伝えるにはポップさが大切なんですよ。今回のアルバムはおおくぼさんにかなり多く選曲してもらったんですけど、あえて日本語オンリーにしたんだなと思って。そのほうがポップに伝わるし。そもそもわたしは英語やフランス語が苦手で。
おおくぼ:いや、戸川さんは耳がいいので、フランス語の歌でもいい感じの発音になっていると思いますよ。
前衛性とポップのあいだを行き来する
──去年の10月に発表されたおおくぼさんのソロ・アルバム『20世紀のように』収録の戸川さん参加曲「20世紀みたいに」と「Vocalise No.1」も、前衛的でありながらポップであるという絶妙なバランスでしたよね。
戸川:それはわたし自身がどうこうよりも、おおくぼさんが前衛性とポップのあいだを自由に行き来する方だからああいう曲になったんだと思います。
──ノイズ混じりのトラックに合わせて「フリードリヒ・ニーチェを、エトムント・フッサールを、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインを…」という詩を戸川さんが朗読する「20世紀みたいに」も、戸川さんの「アー」という声をいくつも重ねながら「20世紀みたいに」の詩が反復される「Vocalise No.1」も、戸川さんの個性が色濃く出ていて、おおくぼさんのアルバムを軽くジャックした印象もありましたが(笑)。
戸川:しまった、そういう取り方がありましたか! でしゃばってすみません!(笑)
おおくぼ:いやいや、全然でしゃばってないですよ。今回のアルバムの予告だったということにしましょう(笑)。
戸川:「Vocalise No.1」は最初、「アー」という歌声だけにする予定だったんですけど、「20世紀みたいに」の詩を違う朗読の仕方で入れませんか? とアイディアを出させてもらったんです。「20世紀みたいに」の朗読とは真逆に、超絶ウィスパーな感じで(笑)。20世紀に対するどこかノスタルジックな感覚がありながらこれから未来に出てくる思想家や作家を感じさせる詩を「20世紀みたいに」では元気な子どものような感じに、「Vocalise No.1」ではささやくように朗読して、対照的な表現をしたつもりなんです。それと、「Vocalise No.1」の最後で「20世紀みたいに切り分けて、盛りつけて」というフレーズが音楽からこぼれたら美しいかたちだろうなぁ…と思ったので提案させてもらったんです。それがまさかでしゃばることになるなんて!(笑)
おおくぼ:全然そんなことないですよ(笑)。ぼくの作品に限らず、戸川さんの声が入った途端にポップなものになるんです。他の人がカバーするとポップに聴こえない曲でも、戸川さんが唄うと必ずポップなものになるんですよ。ポストロックやブラックメタルの要素があるVampilliaさんも、戸川さんと一緒に演奏するとポップに聴こえますからね。
──『20世紀のように』の経験値が今回のレコーディングに活かされたところはありますか。
戸川:その前からおおくぼさんとのデュオを始めていたので、特にはないですね。いつかは二人でアルバムを出したいとは考えていましたが、カバー集になるから権利関係が大変で絶対にムリだろうなと思っていたんですよ。
──戸川さんのソロやヤプーズ時代の曲を交えつつカバーをやる、既存曲で新しい表現を試みるのがこのデュオのコンセプトなんですね。
戸川:そうですね。
おおくぼ:歌とピアノでどこまで表現できるかが基本のテーマなんです。バンドだと歌が聴こえづらいところも出てくるし、歌の細かい表現が大きい音に埋もれてしまうこともありますよね。ピアノだけなら戸川さんの歌や朗読、歌詞の良さをしっかりと聴かせられますから。
──戸川純バンドのライブの定番曲である「肉屋のように」も、このデュオの形態だとポエトリー・リーディングを挿入した全く新しい「肉屋のように」として蘇生しているのが面白いですね。トリスタン・ツァラというダダイズムの創始者の一人として知られるフランスの詩人の『底から頂きまでの輝き』が冒頭と曲間で朗読されていて。
戸川:あの詩は、劇的な曲をさらに劇的にしたくて入れてみたんです。本来は音読するものではなく黙読するべき詩なんですけどね。『戸川純全歌詞解説集 ─疾風怒濤ときどき晴れ』にも書いたんですけど、「肉屋のように」はラブソングなんですよ。「食べちゃいたいほどあなたが好き!」という気持ちをおどろおどろしい何かに変換したみたいな歌詞で、おおくぼさんとのデュオでは従来と違う要素も入れてみたかったんです。
──ある意味、原曲以上に残虐で冷徹な狂気を感じますね。
おおくぼ:戸川さんの巻き舌がすごいし、朗読の「死滅せよ!」という言葉も強烈ですからね(笑)。今回、戸川さんの代表曲をやる上で、今までと違う側面を見いだすように心がけたつもりなんです。「諦念プシガンガ」もいろんなバージョンがあるけど、ここはここでまた違うドラマティックなものにしてみましたし。
戸川:普段よく唄っている野坂昭如さんの「バージンブルース」も今までとは違う感じで、今回はおおくぼさんが「本当のブルースっぽくやりませんか?」と提案してくれたんです。それでちょっとジャジーな感じになったんですよ。
おおくぼ:戸川さんの歌も、他ではあまり聴いたことのない唄い方で。他の曲を録った後の声が荒れた状態であえて録ったんですよね。
戸川:そうそう。ちょっと酒やけしたような声でね。わたしはお酒を呑めないんですけど。
おおくぼ:録った時ももちろん思いましたが、後で聴き直した時もあのちょっと酒やけしたような声がやっぱり効いているなと思いましたね。このしゃがれ具合がグッとくるみたいな、そういう細かいポイントがいっぱいあるんですよ。