生まれちゃったモノは、シャレになっていなくて面白い
──『いちばんのり』でレースに優勝したツノの生えた鳥が、賞品として鏡を手にします。もうこの世にいないファミリーが待っている鏡の向こうもまたある種の〈パペトピア〉なのでしょうか。
カヨ:そうですね、あれもまた自分自身の楽園という意味では同じようなものですね。〈パペトピア〉は自分の内にある楽園ですが、鏡の向こうの世界は失ったものたちの楽園、というところでしょうか。あの年の夏に、尊敬する舞踏家の室野井洋子さんが亡くなってしまい、こんなふうにだんだん、こちらの世界の素敵な人がいなくなってしまうのなら、いずれあちらの世界のほうがずっと素敵になってしまうなあ、いっそ早く行ってしまいたいなあ、と失意のなか考え込んだりしながら、つくった作品です。だからあちらに行くことは怖いことではなくて、いちばんのりのご褒美、ということにしたんです。でも、それでも、この世界は美しいです。まだ見ていたいと思いますし、この映像を観てくださる皆さんにも、そう思っていてもらいたい。そういう気持ちを、あの夕陽が沈む海辺の場面に込めました。実はブッチャーズの『ocean』のミュージックビデオに使った太陽と同じ映像を入れているんです。
小磯:あのシーンは特別だもんね。撮影しながら、私たちの人生と彼らのレースがどんどん重なってゆく感じがしました。
──2016年の『8th 北の燐寸アート展』で販売されたReguReguマッチ(オマケ付き)のコマーシャル作品『ReguReguマッチCM』はReguReguのコミカルな側面が出た小品ですが、手がけてみたい本物のCMはありますか。また、お二人はCMをビジネスの手段ではなく芸術作品であると捉えていますか。
小磯:本物のCMは難しいかな、と思います。CMに限らず、ビジネスとして他人のイメージを損なわないものをつくる、ということができる気がしないのです。でも『ReguReguマッチCM』のように、自由にバカバカしいことでもやらせてもらえるのであればできるかな、と思います。
──本作には血と雫の『夜のねむり』と『目覚めの夜』のミュージックビデオが収録されています。ReguReguはこれまでも血と雫のミュージックビデオを何作も手がけてきましたが、いつもどんな手順で製作を進めていくのですか。
カヨ:ミュージックビデオはとにかく何度も曲を聴くことから始めます。山際(英樹)さんのギターは表現力に満ちていて、聴いていると自然とさまざまな場面が心の中に浮かんできます。そのイメージを二人で話し合って、ひとつの話にまとめていく感じでつくっています。
小磯:血と雫では特に、音楽とストップモーションアニメが持つ〈魔術性〉が生まれたらと。この二つを合わせれば、何でもできるはずだもの。夜と繋がったり、好きな人を蘇らせることだって。
──血と雫というバンドに対してシンパシーを感じる部分、リスペクトする部分とはどんなところですか。
小磯:ロックやパンクの影響下にありながら、なぞることより、いま起きていることを、表現の中心にする演奏は、いつだって刺激的で、芸術と呼ばれる現象との境界線が曖昧な部分に、共感と敬意を抱いています。
──12月19日(水)から30日(日)までギャラリー犬養で開かれる個展はどんな内容になりそうですか。年末にギャラリー犬養で個展を開くのはもはや定例化しましたが、ReguReguにとってどんな意味があるのでしょうか。
カヨ:今年の個展では『パペトピアへようこそ』と題して、本当は目に見えないはずの心の中の楽園〈パペトピア〉を可視化しようと目論んでいます。人形たちが、自分と同じちいさな人形と戯れる可愛らしい姿をぜひ見ていただきたいです。
小磯:毎年年末にギャラリー犬養で展示をさせていただくようになってから、毎日の暮らしそのものが楽しい発見に満ちているように思えるようになりました。一年に一度区切りをつけることで、その年の自分たちの成長がわかる、そんな機会を与えてくれるギャラリー犬養に、とても感謝しています。
──最後に、『パペトピア』を鑑賞する人へメッセージをお願いします。
カヨ:人と人はわかり合えない、でもそれは悲しいことじゃない。3枚目の作品集『パペトピア』には、そんな思いをたくさん込めました。今日もやっぱりわかり合えなかったな、と思っても、夕陽は美しいし、〈パペトピア〉は楽しいのです。
小磯:純度だけは高いんで、きっと、効く人には効くはずです。つくりモノというより、生まれちゃったモノは、シャレになっていなくて面白いですよ。