Z.O.Aで活躍した森川誠一郎(ボーカル)、割礼でも活動する山際英樹(ギター)、不失者やHIGH RISEなど多くの仕事で知られる高橋幾郎(ドラム)の3人によって2012年に結成されたバンド・血と雫。12〜14年にかけて立て続けに3枚のアルバムをリリースした彼らが、前作から4年のブランクを経て4thアルバム『その雫が落ちないことを祈る』を完成させた。今回は元FRICTION他のヒゴヒロシを迎え、初めてベースを加えてのレコーディングとなった。透徹した無常観に貫かれ、青黒い透明感に彩られた彼らの音楽は最初から高い完成度を聴かせていたが、そのクオリティは作を重ねるごとに更新され、新作は間違いなくここまででベストと言える作品に仕上がっている。森川と山際の二人に、新作について語ってもらった。(interview:大越よしはる)
血と雫の新章
──前作『雲を掴む』から4年のブランク…。
山際英樹(以下、山際):4年も経った?
──はい。その前作は“第一期集大成”と銘打たれていました。そうすると今度のアルバムからは“第二期”ということに…。
森川誠一郎(以下、森川):具体的に第一期、第二期っていうふうに、意識して分けてることはないんですけれども。『雲を掴む』まではまずコンセプトが先にあって。1stから3rdまで、年に1枚コンスタントに出すっていう構想は1stの時点からあったんで。だから楽曲を作り込むとか、そういうプロセスを経て収録したモノではなく、その場に集まって出た音を収録したってコンセプト。で、その過程で作っていたのが3作で、今作は、そういう作り方とは違う作り方をした…っていうことですかね、大きな違いは。
──それは具体的には…?
森川:たとえば以前のコンセプトですと、僕と山際さんでアレンジした曲を、スタジオ…北海道に行って、そこで幾郎さんと合わせていきなり録音。だからその曲を唄うのもほぼ初めてに近い状態。もちろんライブで演奏なんかしてない…っていう状態でずっと続けていたんですけれども。今回は、何回かライブで演った後にレコーディングをしてるというのがある。かつ、アレンジをし直したり補足したり…そういった、いわゆる一般的な“音楽アレンジ”っていうことを初めて行なっているアルバム。
山際:最初に録音した時は、ヒゴさんはいなかったんですよ。
森川:ヒゴさん参加前の、3人のテイクもあるんですよ。それを全部ボツにして録り直したり。3rdまでのコンセプトだったらそこまでは絶対してなかった。だから4年もかかってしまった。
──ヒゴヒロシさん参加の経緯は?
森川:もともと3人のバンドだったんですけど、それはベーシストが不要だったワケではなくて。“一緒にやりたい人”っていうのがまず第一にあるんですよね。まず一緒にやりたかったのが、山際さんとやりたかった。で、高橋幾郎さんとやりたかった…っていうのが基盤にあるんで。もしその時に一緒にやりたい人がいれば…サックスでもバイオリンでもなんでもいいんですけど、たぶんその人も入ったと思うんです。だからベースがいなかったのは、ベーシストで一緒にやりたいって人がいなかったというだけなんです。で、ヒゴさんというのは、この人だったら一緒にやりたいなぁと思った。
──演奏にはヒゴさんが参加してますけど、バンドとしての血と雫は3人のまま。
森川:そうですね。今回のアルバム、全曲ベースが入ってるワケでもなくて。適材適所というか。
タイトルの意気込み
──で、新作『その雫が落ちないことを祈る』ですけど。コレは血と雫のバンド名の、フランス語部分(“je prie pour que la goutte ne tombe pas”)の日本語訳っていう。
森川:はい。デビュー・アルバムにバンド名が付くような、そのニュアンスですかね。
──その点では1stアルバムが『血と雫』っていうタイトルで、今回もセルフ・タイトルみたいな。
森川:そうですね。
──1stアルバムが『血と雫』っていうのは、ある意味名刺代わりみたいなことだったと思うんですけど、今回4作目のアルバムに改めてバンド名を持ってくるっていうのは、それなりの意気込みが…。
森川:はい。さっきも言ったように、初めて、楽曲に対する意識をちゃんと持った状態で作れた作品で。「コレを自分たちの代表作にしないでどうするんだ」っていうところがある。
──制作はいつどこでやったのですか?
森川:一番最初は大塚のオレンジスタジオで。もうなくなりましたけど。
山際:曲作りはデータのやり取りで。で、大塚のスタジオで森川と二人でやって。
森川:で、北海道に行って、1stからずっとやってもらってる、リチャード・ホーナーっていうエンジニアがいるんですけど、彼のスタジオに行って、幾郎さんを交えて…。
山際:そこまでは3枚目と同じパターン。
──アルバムの制作期間自体はどれぐらいになるんですか?
森川:途中で中断もしてて、毎日作ってたワケじゃないんで、実数にしたらちょっとわかんないですけど。2年半ぐらいですかね。途中で、レコーディングに参加してたフルート奏者の木村昌哉さんが亡くなってしまったっていうこともあり…彼がまだ元気だった頃のテイクを使えれば良かったんだけど、ちょっと叶わなくて。かと言ってそれを丸々ボツにするのは忍びないんで、部分的に抜き出して、エディットして入れたりしてる。
──以前のインタビューで、森川さんがメロディと歌詞を作って持っていって、メンバーの反応で全然違ったモノになるっていうお話が。今回のプロセスは、ヒゴさんも含めてそういった…?
森川:楽曲の初期状態にヒゴさんはいなかったんで、そこまではいってないと思いますけどね。他のメンバーに関しては同じだと思います。そういうこともあって、やっぱりこの3人が基本メンバーになってるっていうのはあると思う。