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INTERVIEW

トップインタビュー能町みね子×花田菜々子(HMV&BOOKS HIBIYA COTTAGE 店長)「世界初のメン募漫画『中野の森BAND』をめぐる行き当たりばったりトーク」

世界初のメン募漫画『中野の森BAND』をめぐる行き当たりばったりトーク

2018.11.30

最初は苦手でも嫌いになっちゃいけない

花田:能町さんとはほぼ同世代だと思うんですけど、当時は何しろネットがなかったので、運で勝負みたいなところがあったと思うんです。

能町:たしかに運はありますよね。

花田:私も近所のお兄さんやお姉さんといったアドバンテージがなかったので、17歳くらいまではたまたま出会ったものに委ねるしかなかったんです。18歳になってからはひたすら取り戻した部分があったと思うんですけど、17歳くらいまでは偶然出会えたもので自分のサブカル観を何とか築き上げるみたいな感じでしたね。

能町:当時はそれがサブカルだということもわかってなかったですよね。テレビの深夜番組でもちょっとだけサブカルっぽいのがあったと思うんですけど、私は中学生の頃にテレビに対して極端に興味をなくしてしまったんですよ。全然テレビっ子じゃなかったので、今も同世代のテレビあるある話に全然ついていけないんです。

花田:私もテレビっ子じゃありませんでした。私たちの世代は、お笑いで言えばダウンタウンとかナインティナイン辺りからちょっとわからなくなっちゃったんですよ。

能町:わかります。私もダウンタウンを経由してないので。

花田:ダウンタウンのあるあるネタは一個もわかりませんし。それでテレビから遠のいたのか、家族と一緒にいるのがイヤみたいな反抗期でテレビから遠のいたのかわからないんですけど。結果的に本を読むしかなくなって、『VOW』に出会うみたいな(笑)。

能町:私も小学生の頃までは普通にテレビで『ドラゴンボール』とかのアニメや野球中継を見ていたんです。ウチの父は典型的な昭和の父親で、巨人ファンで、テレビでよく巨人戦を見てまして、それにつられて私も普通に巨人を応援していたんですよ。小6までは巨人が好きでしたから。

花田:それは意外なエピソードですね。

能町:私の巨人の記憶はそこで途切れているので、私の中で巨人の4番と言えばいまだに原(辰徳)なんです(笑)。あの頃の巨人は面白かったんですよ。強かったし、選手のキャラクターも揃ってたし。私にとって巨人の打線と言えば、緒方(耕一)、川相(昌弘)、(ウォーレン・)クロマティ、原、岡崎(郁)のままです(笑)。

花田:私の知ってる巨人もそれです。クロマティはまだいますか?

能町:さすがにもういませんよ(笑)。巨人の後、中1から中2にかけては別ベクトルで相撲にハマっちゃったんです。相撲中継はめちゃくちゃ見ていたんですけど、それ以外のことに容量を割かなくなっちゃったし、特に見たいテレビ番組もなかったんですよね。ウチの両親はダウンタウンみたいなものを絶対に見ないし、クラスの同級生と話題にした記憶もないんです。そういうお笑いとかは別に面白くもないものだという先入観があったし、お笑い番組を見るようになったのは大学に入ってからでしたね。

花田:お笑いに関して言うと、私は中3の頃に電気グルーヴ的な笑いに目覚めてしまったんですよ。中高生の頃は絵に描いたような暗黒期で、「私は他の人とはセンスが違うんだ」みたいな感じだったので、余計にダウンタウン的な笑いがメジャーなもの=ダサいという図式だったんです。私はそっちじゃない、みたいな。

能町:私もそういうのはちょっとあったと思います。

花田:「相撲が好きな自分がイケてる」みたいな感覚はありました?

能町:イケてるとは思ってなかったですけど(笑)、当時の相撲は一応人気があったものの、どメジャーってわけでもなかったんですよ。少なくとも一般的な中高生が好きになるものではなかった。そこにもヘンなプライドがあったし、相撲以外にわざわざ見たいと思うものがなかったんです。電気グルーヴにもハマりませんでしたね。ただ、高校の頃からちょっと音楽に興味を持ち始めたんですよ。当時はミスチルや小室ファミリーとかが流行ってて、そういうヒット曲はある程度知ってたんですね。高校のテストが終わった後はカラオケかボウリングくらいしか行く所がなかったので、カラオケで唄うためにヒット曲を覚えていたんですけど、そういうメジャーな音楽じゃないものに多少興味を持つようになったんです。

花田:どういう音楽ですか?

能町:高校時代の自分がいちばん遠のいていた部分で言うと、エレカシのファースト・アルバムとかを聴いてました。

花田:クラスの人とは分かち合えなかったですか。

能町:まったく分かち合えなかったし、「これいいよ」とかお勧めした記憶もないです。ただ自分で借りて独りで聴いてました。

花田:どうやってエレカシと出会ったんでしょうね。

能町:エレカシがエピック・ソニーから離れて、一旦干されかけてた時期があったんですよ。その後にポニーキャニオンに移籍して、佐久間正英さんがプロデュースするようになったんです。

花田:「悲しみの果て」とか。

能町:「悲しみの果て」で再デビューして、その次の「今宵の月のように」が佐久間さんのプロデュースだったのかな。当時、「悲しみの果て」を何かで聴いてすごくいいなと思ったんですよ。ある時、雑誌か何かのエレカシの記事を読んでいたら「初期の頃は古語で歌詞を書いていた」と書いてあって、それは何なんだ!? と気になったんですね。それでスーパーのマルヤの隣のレンタル屋さんでエレカシのファーストとセカンドを借りたんです。聴いたことのある人はわかると思うんですけど、初期のエレカシはすごい怒鳴り立てるボーカルなんですよね。それが強烈すぎて、最初はけっこう抵抗があったんです。「何これ? わけがわかんない」とか思って。でも意地でずっと聴いてるうちに好きになってきたんですよ。

花田:10代の頃はそういう修行みたいな経験が大事ですよね。

能町:そうなんですよ。最初は苦手でもそこで嫌いになっちゃいけないみたいな。私はそれでエレカシが好きになりましたから。

 

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