サブカルの人が必ず通る道を通ってこなかった
花田:中のセルフライナーノーツもすごい量ですよね。
能町:何しろ80話しかないし、80ページじゃ本にはできないじゃないですか。一応音楽漫画だし、音楽と言えばライナーノーツだろうと思って、1話につき1ページしっかり解説を付けようと考えたんです。元のテキストは私が話したことを編集さんに起こしてもらったんですけど、それを全面書き直ししたんですね。注釈はすべて編集さんに書いていただきました。
花田:こういう注釈がムダに長いのも懐かしいなと思ったんですが、元ネタは何なんでしょうね。昔の時代特有の文化なんでしょうか?
能町:この本に関しては特定の元ネタがあるわけじゃないですけど、『別冊宝島』とか90年代のムック本は活字の級数がこの本の注釈くらい小さかったですよね。メジャーじゃない音楽雑誌とか『GON!』みたいなサブカル誌もすごく活字が小さくて。ああいうのをこの本でやりたかったんですよ。私なりのノスタルジーなんです。
花田:すごくよくわかります。
能町:ただ、私はサブカルっぽい人だと思われがちなんですが、カルチャーが豊富ではない茨城県の牛久市という街で育ったので、実は基本的なサブカルをあまり通ってないんですよね。その気持ちを込めて主人公のテテ子を茨城出身にしたんです。茨城は本当に文化不毛の地で、私が都内とか神奈川、埼玉辺りで育っていたらもうちょっと何かあったはずなのに…という気持ちがすごいあって。高校時代までの私が知っていたカルチャーの最先端は、牛久の文教堂という本屋だったんです。
花田:そこがいちばんハイエンドなスポット(笑)。
能町:当時の牛久でいちばんハイエンドでした(笑)。そこで知り得るもの以上のことは私にはわからなかったし、カルチャー系のことを教えてくれるお兄ちゃんやお姉ちゃん、先輩とかも全然いなくて。だから文教堂と、名前は忘れたけど近所のレンタルCD屋さんでしか文化的なものを吸収するしかなかったんです。CD屋さんも途中で潰れてなくなっちゃったんですけどね。
花田:当時は自営業のレンタルビデオ屋さんとかありましたよね。あと、5坪くらいの小さいCD屋さんとか。
能町:そうそう、駅ビルにありました。ちなみに私が人生で初めて買ったCDは、その駅ビルのCD屋さんで買った「たま」のファースト・アルバムでした。
花田:となると、能町さんのサブカル・デビューは大学に入ってからですか?
能町:うーん。世間一般で言うサブカルの人が必ず通る道みたいなところは、大学に入っても全然通らなかったんですよ。
花田:私もそうでした。王道みたいなものがありそうでなくて、みんな独自でサブカルという言葉を解釈していたように思います。
能町:サブカルのメインロードってどこなんでしょうね?
花田:オザケンとか松本大洋さんとかは、広く万人が通りやすいのかな? と思いますけど。
能町:私、オザケンも通ってないんですよ。ヒット曲は知ってましたけど、意識的に聴いたことはありませんでした。松本大洋さんはどうだったかな…何冊か読んではいたけど、高校の頃じゃないですね。
花田:いわゆるサブカルの範疇で全員が知ってるものってありそうでないんじゃないかと思って。同じサブカルとは括れずに、結局は細かく分かれていっちゃうものって言うか。
能町:そうですね。私が中1くらいの時、牛久の文教堂で『VOW』と出会ったんですよ。あれをサブカルと呼んでいいのかよくわかりませんけど、サブカル的なものに最初に触れたのはそれなのかなと。
花田:何がサブカルかよくわかりませんよね。『VOW』とフリッパーズ・ギターが同じジャンルなのか? っていうと違うだろうし(笑)。
能町:だいぶ違いますね(笑)。でも『VOW』みたいなものに初めて触れるのって、ちょっと新鮮じゃないですか。学校で習うようなものとは全然違うわけで。
花田:それまで知ってた笑いの質とも違いますしね。
能町:『VOW』を知った頃に吉田戦車さんの『伝染るんです。』が流行ってて、その辺りでギャグが好きになったんですよ。不条理ギャグとかが好きで、中川いさみさんの本を全部持ってたんです。…そうだ、思い出した。吉田戦車さんの本を初めて読んだのは、牛久から自転車で30分走った先に竜ヶ崎という隣町があるんですけど、そこにアイエフっていうショッピングセンターがかつてあって、その1階の本屋さんでした。
花田:そこで偶然手に取ったんですか?
能町:たまたまだったと思います。立ち読みした記憶はありますね。
花田:私、『伝染るんです。』は廃品回収で拾ったんです。
能町:そっちのほうがすごい(笑)。
花田:町内会で廃品回収の手伝いをしろと言われて、嫌々ついていくじゃないですか。そこで「あ、漫画がある」と手に取ったのが『伝染るんです。』でした。
能町:よく捨ててくれましたね(笑)。