ライブでできること、スタジオ録音でできること
──ゲンズブールが原曲の訳詞を手がけた「さよならをおしえて」もこのアルバムにはおあつらえ向きの楽曲ですね。
戸川:おおくぼさんのピアノはシュッとしていてスマートなんですよね。だからわたしもコンパクトにまとめるように唄ってみたと言うか、すごく大げさな唄い方にはしなかったんですよ。おおくぼさんのピアノを聴いてから唄い方を考えていましたからね。だから「たとえ大惨事が起きて〜」で始まるセリフの部分はわりとあっさり、さっぱりとしているんです。
──歌とピアノだけの編成なら「蛹化の女」が入っていてもおかしくないと思ったのですが、そこはあえて外したんですか。
戸川:おおくぼさんの選曲の中に入っていなかったし、わたしも特に何も言わなかったんです。おそらく仕上がりの予想がついちゃうからかな? と思ったんですけど。「蛹化の女」をご存知の方が想像する感じになっちゃいがちと言うか。
おおくぼ:ライブではやっているんですけどね。あまりアレンジをしすぎると、原曲の良さを損なってしまいそうでやめたんです。
──「劇甚」、「慟哭」、「煉獄」というおおくぼさんによる短いインストが、所々で曲と曲のつなぎ目の役割を果たしているのも本作の特徴のひとつですね。
戸川:ライブではMCを入れることで曲間のモードチェンジができるし、そこでお客さんを違う世界にお連れすることができるんですけど、アルバムだとそうもいかないのでインストを挟むことにしたんですよ。「劇甚」と「慟哭」というワードは、わたしの持ち歌でも使ったことがあるんですが、おおくぼさんの曲を聴いて、どうしてもそれがぴったりきたと言うか。
おおくぼ:歌とピアノだけでやっているので全体の統一感はあるんですけど、曲調がほとんどバラバラなことに気づきまして。それで曲順もすごく悩んだんですよ。
戸川:ちょっとスムーズじゃない曲順も、曲と曲の橋渡しとなる数分のインストを挟むことで良い流れになったんです。インストでワンクッション置く感じですね。
──「本能の少女」も劇的に生まれ変わった好例で、装飾を剥がした楽曲本来の良さが出ていますね。
おおくぼ:一緒にデュオをやることが決まった後に戸川さんのバースデー・ライブを観に行って、その時に「本能の少女」をやっていたんですよ。たしかMCで歌詞をちょっと変えたと仰ってましたよね。
戸川:部分的に変えたのは「わたしが死んだって世界は変わらないし/生きている意味などいらない関係ないわ」という歌詞で、JASRACにもそう登録してあるんです。それを「わたしが死んだって世界は変わらないが/生きている意味なら つくるわ自分でつくるわ」という前向きな歌詞に変えたんですね。
──どういう心境の変化があったんですか。
戸川:わたしはそれまでずっと、自分は生きる、いや死ぬ、いや生きる…という思いを繰り返してきて、いつしか生きるがまさったんです。生きるなら貪欲に生きたいし、人一倍欲張りなんですよ。曲がりなりにも好きなことをやらせてもらっているし、それが生きている意味でもあるので、「本能の少女」の歌詞を変えてみることにしたんです。
──なるほど。ところで、「愛の讃歌」のような“どシャンソン”をやろうと提案したのはおおくぼさんだったそうですね。
おおくぼ:そうなんです。このデュオを1年くらいやって、そろそろ定番のシャンソンをやってみるのも面白いんじゃないかと思って。だって、戸川純の唄う「愛の讃歌」ってすごく聴いてみたいじゃないですか? ありそうでなかったし、意外とスタンダード曲をやってこなかったから戸川さんにお願いしてみたんですよ。
──「王様の牢屋」もその流れですか?
戸川:あれはもともとわたしがやりたいと言った曲で、ライブではより一層エモーショナルに唄っているんです。わたしはゲルニカの頃、最初にお客さんの前に立つと臆しちゃっていたんですよ。みんながみんなわたしを見ているけど、期待されているものに応えられるだろうか? みたいな感じで、お客さんが怖くて。それから場数を踏んで、年齢を重ねてきたこともあって、「聴いている人たちを呑み込んでやる!」みたいな感じで肝が据わってきたんですね。そういう気持ちでやらないと、逆にお客さんに対して失礼だとも思うし。「王様の牢屋」のレコーディングはその余地を残したんです。ライブのほうがよりエモーショナルで、演劇性の強い唄い方をしているんですよ。
──唄い分けをしたのはどんな意図があったんですか。
戸川:ライブでできることとスタジオ録音でできることを分けたかったんです。そこでしかできないことをやりたかったので。エモーショナルに激しく演じるように唄うとリズムや音階がめちゃめちゃになったりするし、スタジオ録音ではちゃんと作り込んだものを残したかったので、あえて抑え気味に唄ったんですよ。その一方、ライブではライブでしかできないことをやりたいので、「音階もリズムもヘッタクレもあるもんか! あとはどうなろうが構わない!」くらいの勢いで、感情の赴くがままに唄うようにしています。このアルバムをきっかけにライブに来てくだされば、ライブでしか味わえない感情的で演劇的な「王様の牢屋」の凄みを味わえて面白いと思いますよ。
おおくぼ:ピアノの演奏もライブでは毎回違うことをやっていて、その時々の戸川さんとの感情のやり取りを音にして表現していますからね。
パワーバランスが対等でなければ失礼
──どの楽曲もおおくぼさんのピアノが戸川さんの歌に寄り添い、支えながらも、臆することなく拮抗しているのが良いバランスですね。
おおくぼ:歌の伴奏とは全然違うし、そもそもユニット名が“戸川純 avec おおくぼけい”だし、パワーバランスが対等でなければ失礼ですからね。
──全編、お二人で「せーの!」で録っていったんですか?
戸川:そういう録り方をしたのも2曲ほどありました。
おおくぼ:「愛の讃歌」と「王様の牢屋」というシャンソンのスタンダードは一緒に録りましたね。
戸川:リズムがインテンポな曲ではなく、バラけて帳尻が合うシャンソン曲はどうしてもピアノと一緒じゃないと録れなかったんです。
おおくぼ:「せーの!」で録ってもほとんど直しはなかったですけどね。
──カバーの選曲が興味深くて、「クレオパトラの涙」は手塚治虫監督のアニメラマ『クレオパトラ』(1970年・虫プロ製作)の主題歌ですよね。手塚治虫の原作で冨田勲の作曲と言えば、『昭和享年』に収録されていた「リボンの騎士」を即座に思い出したのですが。
戸川:ああ、それはたまたまですね。子どもの頃、アニメの『クレオパトラ』が好きだったんです。わたしが生まれ育った新宿は映画館が多くて、今はなきコマ劇場の向かいの映画館に巨大なクレオパトラの看板が取りつけてあったんですよ。横長で、ほとんど裸体で横たわっているようなイラストの看板で。それが強烈な印象として残っているんです。由紀さおりさんのスキャットが本当に好きでした。
──シャーリーンのバージョンが代表的なものとして知られる「愛はかげろうのように〜プリシラ〜」も面白い選曲ですね。あれだけポピュラーな洋楽のヒット曲が選ばれているのが意外で。
戸川:「愛はかげろうのように」みたいな曲は、いつもの戸川純のソロ名義のバンドではできませんね。最初はニーノ・ロータの「ロミオとジュリエット」をやろうなんて話もあったくらいなんです。そんな感じで「愛はかげろうのように」をやっているんです。「あいつら、自分の世界に酔っているんじゃないか?」と誤解されそうな夢見がちな世界を笑う人がいてもいいので、劇的でロマンティックな曲をやりたかったんですよ。
──「愛はかげろうのように」は戸川さんによる日本語詞で唄われていて、日曜日も外出禁止だった十代の思いが綴られていますね。中盤の「なーんてね、全部嘘」とそれまでの歌詞をひっくり返すような語りもユニークで。
戸川:ドラマティックでロマンティックなことを夢想しながら、「嘘ぴょーん!」みたいなね(笑)。
おおくぼ:あの語りの部分は最後の最後で録り直しましたよね。
戸川:最初はもっと哀しげに、ちょっと暗く、「なーんてね、全部嘘」とセリフを録っていたんですよ。それだとそれまでの歌詞をぶち壊すまでに至らないので、もっとハジけた感じにしたくて録り直したんです。わたしにしかわからないような微妙なラインなんですけどね。「愛はかげろうのように」はわたしが中学生の頃にヒットして、学校帰りに立ち寄る文房具屋さんとかでよく流れていたんです。当時は何ていう曲かわからなかったんだけど、後年、『プリシラ』という映画のオープニングで流れてくるのを偶然聴いて、サントラを買ったらやっと曲名がわかってすごく嬉しかったのを覚えています。
──シャーリーンの「愛はかげろうのように」がヒットしたのが1977年、『プリシラ』が公開されたのが1994年なので、17年越しで判明したわけですね(笑)。
戸川:たしかに長い長い年月でした。それにしても17年経ったとは(笑)。「愛はかげろうのように」は2バージョンあるんですよね。わたしがカバーしたようなセリフが入っているのと、入っていないのがあるんです。
おおくぼ:「なーんてね、全部嘘」から始まるのがセリフの部分ですね。
戸川:わたしはセリフが入っているバージョンのほうが好きなんですが、原曲のセリフが何を言っているのか気にもせずに日本語詞を書いたんです。でも結果的に言っていることがほとんど変わらなかったんですよね。原題の「I've Never Been to Me」=「まだ本当の自分自身には出会えていない」というフレーズが歌詞の随所に出てくるのを無視していたにも関わらず(笑)。
──戸川さんの歌とピアノだけの編成と言えば即座にゲルニカを連想してしまうのですが、ゲルニカ時代の楽曲をこのデュオでやろうという発想はありませんでしたか。
戸川:まず、ゲルニカについてわたしには発言権がないのです。それにあの時代の曲に関しては、わたしとしては充分やり尽くした思いがあるんです。3枚もアルバムを出しましたしね。作詞をしていたのもわたしじゃないし、なるべく自分で歌詞を書いた歌を唄いたいのもありますし。
おおくぼ:ゲルニカの曲はすでに完成しているものだし、ぼくがピアノで弾いても変えようがありませんからね。それよりも「あの曲をピアノでやっちゃうんだ?」と思われるような意外性のある曲をやったほうが面白いと思います。