音楽とは太陽の光や空気と同次元にあるもの
──「夕日が昇る」はかつて秘蔵音源集『狂熱の町田ポリス'74』に「夕日昇る」として収録されていましたね。
加納:あの曲はまともにレコーディングしたことがなかったので、今回やってみようと思ったんです。
──「夕日が昇る」はユニークな歌詞ですよね。「夕日が昇り 朝日が沈む」「天に向かって雨が降る」「ネギが太った腹でカモを背負い」といった具合に、すべて真逆のことが唄われていて。
加納:そう、全部が反対なんですよ。「黒い虹が七色の空に 突っ立って土下座する」とかね。この世のあらゆる物事には相反するものがあるじゃないですか。静と動、光と影、プラスとマイナス、白と黒、右と左、男と女…といったように。この世も宇宙もそういったバランスがすごく大事で、すべてのものは片一方だけでは成り立たないわけです。それに、良いと思ってやったことが悪い結果になったり、失敗と思われていたことが成功に転じることもある。正しいと信じてやっていることが本当に正しいのかどうか。悪いとされていることが本当は正しいのかもしれない。だから僕はあえて“外道”と名乗って、本道から外れて我が道を行くことにしたんです。こう見えて実は最初からちゃんと考えてやってたんですよ(笑)。
──外道を名乗りながら日本のロックの王道としてその礎を築いたわけですからね。
加納:僕の書いた歌から哲学的な側面を嗅ぎ取った作家や映画監督は多いんですよ。田原総一朗さんも外道の本質を嗅ぎ取って僕らのドキュメンタリー番組を作りましたからね。「こいつらは違う!」ってことでね。当時からバンドの見せ方には意識的だったんですよ。僕が白い衣装を着ればベースには黒の衣装を着させたり、僕がステージでビュンビュン動きまわればベースは一切動かず、静と動を表現していたんです。昔の外道はそうでした。
──「夕日が昇る」は「ウィンドワードヒル」というインストゥルメンタルと組曲のように連なっていますね。
加納:「ウィンドワードヒル」は僕がソロで出した曲なんですよ(『In The Heat』収録)。「夕日が昇る」とは全くタイプの違う曲だけど、一見合わないようなものでも実は合うものなんだよっていうことのひとつの例なんです。外道の曲からどうしてこういうフュージョンみたいな曲になっちゃうの!? って思われるかもしれないけど、そこはあえて狙ったんです。
──新曲の「1000年ソウルのロックンロール」では加納さんなりの現代社会への違和感を疾走感溢れるビートとメロディに乗せて唄っていますね。
加納:政治に対しても今の世の中に対しても言いたいことは山ほどありますよ。クーデターでも起こして世の中をクリーンにできればいいけど、そういうのは現実的じゃないし、実際に世の中を動かしていくのはもう僕らの世代じゃないし、せめてこういう歌で世の中に対しておかしいと思っていることを唄っていきたいんです。
──ポイントは「ロックンロールが救いさ」という歌詞ですよね。
加納:それが希望ですね。ロックンロールという音楽にはものすごいパワーがあるんですよ。空に太陽の光があるように、空気があるように、それと同次元だと僕は思ってます。ロックンロールに限らず音楽は人の生きるエネルギーになるし、希望にもなるし、癒しにもなる。音楽という神様からの贈りものがこの世にあることが僕にとっては救いなんです。
あんまり枯れると散っちゃうよ?
──“1000年”という年月にはどんな意味があるのですか。
加納:できれば1000年くらい生きてみたいんですよ。それくらい生きられたら面白いだろうし、「あれもやってみたかった」みたいなことを全部やれそうじゃないですか。僕はひとつの生き方で60年以上生きてきちゃったけど、1000年あれば他のいろんな生き方も試せそうな気がするんです。
──今回の新曲はどれも鮮度の高いものばかりで、デビューから45年も経つのに枯れた感じや落ち着いた雰囲気が微塵もないのがいいですよね。
加納:10代のガキが作ったような曲ばかりだけど(笑)、上からそういう曲が降りてくるのはありがたいですよ。この間の『なにわブルースフェスティバル』でもどんどん枯れていく人がいっぱいいたけど、あんまり枯れると散っちゃうよ? って言いたいですよ(笑)。
──逆に、加納さんはなぜここまで枯れないのでしょう?
加納:まだまだやりたいことがいっぱいあって、全然やりきれてないんですよ。身体がついてこないことがあるから、身体を丈夫にするために走ったり、山に登ったり、健康食品を摂取したりしてるし、精神的にいいエネルギーをもらうために世界遺産を巡ってみたりしてるんです。それでもまだ足りないし、まだまだやりたいことがいっぱいあるんですよ。
──20代前半に出したライブ・アルバムをそのまま再現してもまるで違和感がないのがそもそも異常ですよね(笑)。
加納:どうかしてますよね(笑)。45年前の曲と新曲を一緒にやっても全然平気だなんてあり得ないと思いますよ。でもそういうあり得ないことをやるのが僕は平気なんです。だから今でも「香り」や「ビュンビュン」を普通にやれるんですよ。神様がまだまだやれって言うならやるしかないし、自分ではもうそこから逃げられませんからね。
──この先、気持ちを新たに取り組んでみたいのはどんなことですか。
加納:たとえば30年前に作ったままで、全然世に出さない曲というのもあるし、そういう曲を世に出してあげたいと思うようになりましたね。眠ったままの曲に日の目を見させてあげないと曲がかわいそうだし、その曲を世に出すことで影響を受ける人が出てくるかもしれないし、そんなふうに意識が変わってきたんですよ。演奏することでその曲もまた生きてくるし、僕自身もその曲と共同体になるんです。それにその曲にはその曲なりの世界があるんですよ。「アロハ・ババア」には「アロハ・ババア」なりの世界があるし、「乞食のパーティ」には「乞食のパーティ」なりの世界がある。それが最近わかってきて、いろんな曲を演奏するのが楽しくなってきたんですよね。演奏すれば曲も喜ぶし、また違った一面を見せられたりもするので。
──話を伺っていると、ここへ来てまた加納さんの中で音楽に対するモチベーションが上がっているように感じますね。
加納:確実に上がってますね。音楽をやる時の精神と身体のバランスが良くなってきたのを感じるし、今はギターを弾くのも唄うのもすごく新鮮に向き合えるんです。ちなみに言うと、外道のファースト・アルバムの再現ライブではソロとATOMIC POODLEのライブもあって、リハも合わせると全部で6時間くらい唄ったんですよ。その次の日の朝からですからね、今回のレコーディングを一気にやったのは。メンバーやスタッフがクタクタなのに「おい、あともう1曲行くぞ!」ってみんなを引っ張ったりして、そういうのを僕は平気でやれちゃう。いつまでも“我が道を行く”だし、やりたいことがいっぱいありすぎるんです。外道がデビュー50周年を迎える時は日比谷の野音が100周年だから、また野音でもライブをやりたいし。野音が90周年の時は外道として『10円コンサート』に出ましたから。…ね? だからやっぱり、1000年くらい生きないとダメなんですよ(笑)。
(Rooftop2018年11月号)