ハイスタの3人が語る以上の証言は他にない
──今のコレクターズと30年前のコレクターズのライブ映像が巧みに織り交ぜられていて、編集がとても滑らかなので時空を自由に行き来できると言うか、タイムマシーンに乗って変幻自在に時間旅行するような感覚を味わえますね。
梅田:あの編集は鮮やかでしたね。
川口:今回の映画はタイムマシーンがテーマですからね。それは勝手に僕が見いだしたテーマなんですけど、そう言えば「僕の時間機械(タイムマシーン)」という曲をライブでやってたなと思って。撮ってる最中は何も考えてなかったし、全部結果論なんですけどね。
──コレクターズの30年の歴史、37年間親しまれてきた新宿JAMの閉店、変わりゆく新宿の街並み、30年以上に及ぶ東京モッズ・シーンの歴史と、『さらば青春の新宿JAM』には語るべきテーマがいくつもありますよね。それらを一本の作品にまとめるのは至難のわざだったのでは?
川口:特に何も考えてなかったですね。加藤(ひさし)さんには「新宿JAMが終わっていく話にしたい」と最初から言われていて、昔のJAMのライブ映像もあるし、東京モッズのことも喋りたいし……と聞いて、これは面白い作品になりそうだとピンときていたんです。僕としてはその話に乗っただけですね。最初にコレクターズの映画を撮るという話をいただいた時、何をどう撮ればいいんだろうと思ったんですよ。と言うのも、コレクターズの歴史を追ったドキュメンタリーDVDはすでにあったので、それをもっと濃くしたものにすればいいのか? とか思って。ひとまずフラットな状態でメンバーと会うことにして、その時、加藤さんに「川口君の映画をいくつか観たんだけど、俺たちのテイストとは違うんだよね」って言われたんですよね。「俺たちの映画はいきなり吹雪で始まるとかはないからさ」って(笑)。お前のテイストではやらせないぞ感が最初の打ち合わせから頑なにあって、これはすごい面白い人たちだなと僕は思ったんですよ。
──自分の意見を忌憚なく言うのが面白かったと。
川口:そうなんです。ほぼ加藤さんしか喋ってなかったんですけどね。映画の方向性の話を一通り話し終えて、最後に(古市)コータローさんが「ところで監督、冨士夫さんの映画(『山口冨士夫 / 皆殺しのバラード』、2014年・未ソフト化)ってどうやって観れるんですか?」と唐突に訊いてきたんです。そういうキャラの違いも面白かったですね。
──ヴェスパの集団によるスクーター・ランもスクリーン映えする迫力のあるシーンですが、あれも加藤さんのアイディアだったんですか。
川口:そうですね。僕はモッズのことを何も知らなかったし、撮影は加藤さんのやりたいことにできる限り応えました。ドキュメンタリーの作り方にはいろんなケースがありますけど、今回はわりと受け身で作業を進めていきましたね。主人公が非常に能力ある人たちなので、それに乗っかって進めたほうがいいと思って。
──スクーター・ランの撮影は梅田さんも参加したんですか。
梅田:いや、僕は行ってないです。
川口:声はかけたんだけど、梅ちゃんは何かの都合で来れなかったんだよね。ものすごく寒い日に撮影したんですけど、撮ってて面白かったですよ。ヴェスパの集団は渋公の前から青山通りへ移動して、なぜか東京タワーのほうをまわってから新宿JAMにたどり着くというコースだったんです。『VICE』でそういうスクーター・ランの番組があって、コースや見せ方が決まってるらしいんですよね。
──一方、『SOUNDS LIKE SHIT the story of Hi-STANDARD』ですが、川口さんはご覧になっていかがでした?
川口:MA前のほぼ完成形を観ましたけど、すごく面白かったですよ。僕は恒さん(恒岡章)が下北の花屋でバイトしてた頃から知ってたし、バンドがどんどん大きくなっていくのを間近で目の当たりにしたんです。だから映像を観ながらいろんな思いが駆け巡りましたね。
──まるでハイスタの楽曲のようにファストでラウドでショートな勢いでメンバー3人の証言が手際良く簡潔にまとめられていて、1991年の結成から先日の『AIR JAM 2018』まで27年間にわたるハイスタの歴史が描かれていますが、証言を3人だけにしたのはバンド側の意向だったんですか。
梅田:僕が最初からそうしようと考えてたんです。それもいろんな理由があるんですけど、結局、3人が自分たちのことを語る以上の証言は他にないだろうと思って。3人揃ってではないにせよ、ああやって本人たちがハイスタの歴史を語るまとまった映像は今までなかったし、3人の証言を聞くだけでも充分面白いだろうと思ったんですよ。
──映画の企画は梅田さんがバンドに持ち込んだんですか。
梅田:気がついたらそういう流れに(笑)。
川口:W氏(Hi-STANDARDマネージャー)が言い出したんでしょ?
梅田:W氏に乗せられたところはありますね。W氏とは昔からむちゃくちゃ仲がいいんですよ。歳もタメだし、家も近所で。それでいろいろと話を聞いてて、2011年にハイスタが再始動した頃からずっと「ハイスタの映画を作りたい」と。
川口:そうだよね、それは聞いてた。僕には振ってくれなかったけどね(笑)。
梅田:それは、あまり暗い映画にはしたくないってやつですね(笑)。冒頭が吹雪のシーンから始まるみたいな(笑)。
川口:僕はその時にアーティストが置かれた状況を把握して作ってるつもりなんだけどね。2000年頃に僕が制作に関わったハイスタのドキュメンタリーが暗かったとW氏が言うんですけど、まずそれは僕がディレクターじゃなかったし、たしかに僕が中心になってインタビューもしたけど、僕じゃなくて当時のバンドが暗かったから結果的にそういう作りになったんですよ。『さらば青春の新宿JAM』はそういう僕の作風を実証する映画だと思いますけどね。
ハイスタの膨大なアーカイヴ映像から精選
──梅田さんが長編映画の監督を務めたのは今回が初なんですよね?
梅田:初めてですね。スペシャの番組を何本かやりましたけど、それもせいぜい30分の尺でしたから。ちなみに、僕が生まれて初めて撮ったフェスは豊洲でやった1998年の『AIR JAM』なんです。ハイスタを最初に撮ったのは1997年か。
──『SOUNDS LIKE SHIT』では川口さんが撮影したアーカイヴ映像も多く使われているそうですね。
川口:わりと映画の最初のほうから自分が撮った映像が使われてたのがわかりましたね。スペシャが提供した素材にはけっこう関わっていたし、覚えている映像もかなりあります。『AIR JAM』に至っては2012年以外は全部仕事で行ってますしね。映画で使われた1997年の『AIR JAM』も間違いなく僕が撮った素材もあったし、いろいろと感慨深かったですよ。それに、今年の『AIR JAM』も僕が撮った映像が使われてたし。あれはあえて僕のを選んでくれたんでしょ?(笑)
梅田:単純に川口さんの映像が一番良かったんですよ。今年の『AIR JAM』でメンバーがステージに出ていく場面はとにかくいい画にしたくて、何人かに頼んだんですよ。
川口:コンペみたいなものだよね(笑)。
梅田:そう、コンペに勝ち残ったのが川口さん(笑)。でもお世辞抜きで川口さんのが一番いい画だったんですよ。
川口:もうここでしか最高点を取れないみたいなポジショニングだったんだけど、恒さんと難波(章浩)さんのあいだがちょっと開いてて、思わずカメラを振りそうになったんですよ。そこをグッと堪えて。
梅田:そうそう。だから完璧だなと思って。だいたいパッとカメラを振っちゃうところを、川口さんはちゃんと恒さんを受けてましたからね。それはちゃんとわかってる人じゃないとできないんです。
──貴重なアーカイヴ映像が随所に挿入されているのが『SOUNDS LIKE SHIT』の魅力のひとつですが、膨大な映像の内容をすべて把握するだけでも気が遠くなるような作業ですよね。
梅田:だから川口さんにスクリプトを手伝ってもらったんですよ。
川口:1998年のアメリカ・ツアーの素材を梅ちゃんからまるっと渡されて、素材チェックが間に合わないから手伝ってほしいと頼まれたんですけど、これは絶対に使うべきだという映像があるじゃないですか。
──アーカイヴ映像はPIZZA OF DEATHからごっそり渡されたんですか。
梅田:miniDVテープとかいっぱい出てきたのを預かりました。それとメンバーが持ってたVHSの素材が20本くらいあって、全部合わせると結構な量になったんですよ。
川口:映画に出てくるULTRA BRAiNのスペシャの番組も、「こういう映像があるよ」とDVDにして梅ちゃんに渡したんです。あの番組は僕がディレクションして、当時は難波さんと接することが一番多かった時期なんですよ。難波さんが住んでた沖縄にも行ったことがあるし。