“慶応三田祭事件”から46年ぶりの歴史的邂逅
── 一方、Disc-2の《焼けた煉瓦の下から》には今年の1月13日に渋谷のMt.RAINIER HALLで行なわれた『真夜中のヘヴィロック・パーティー』でのライブが収録されていますが、騒音寺の面々がバックを務めているんですね。
PANTA:最初に騒音寺と共演したのは三宮の高架下にあったスタークラブだったんだよ。
TOSHI:それも随分前だよね。10年くらい前?
PANTA:もっと前じゃないかな。付き合いができてから“騒音警察”を名乗って一緒にツアーを回ったりしてね。もっと遡ると、あれはNABEが中学生の頃かな。頭脳警察が朝霞の米軍基地跡で朝までライブをやったんだよ。その翌日に皇居では即位の礼が行なわれたんだけど、俺たちはその日、寝ないで京都へ移動して同志社大学で初めてライブをやったんだよね。
──『超非国民集会』ですね(1990年11月12日)。よりによって即位の礼の日に(笑)。
PANTA:俺とTOSHIの2人だけのライブで、YouTubeに映像が上がってるんだけどさ。そのライブをパシリで手伝っていたのがNABEなんだよ。同志社の連中にやれって言われて、自前でヘルメットを用意したみたいでね。こっちは色の指定はしなかったけど(笑)。
──このDisc-2には、目下最新曲である「時代はサーカスの象にのって」を筆頭に、3rdから「少年は南へ」と「歴史から飛びだせ」、『悪たれ小僧』(1974年11月発表)から「サラブレッド」と「悪たれ小僧」など各年代のレパートリーが良いバランスで収録されていますね。
PANTA:聴きやすいアルバムじゃないかな。そのわりに寺山修司の詩の朗読から始まっているけど(笑)。
──その寺山修司さんの詩「アメリカよ」のPANTAさんによる朗読はとにかく凄みがあって聴き入ってしまうし、「時代はサーカスの象にのって」の導入部としてもライブ全体の導入部としても粋な始まり方ですね。
PANTA:ソロのライブでも詩の朗読をよくやっているんだけど、こういう時はTOSHIが水を得た魚のように生き生きとするよね。インプロが大好きだから(笑)。
TOSHI:デタラメが好きだからね(笑)。
PANTA:パーカッションのようなドラム、ドラムのようなパーカッションがTOSHIの持ち味なんだよ。それに引っ張られるように、騒音寺のメンバーはみんな緊張感溢れるなかで一生懸命プレイしていたね。
──最初の再結成時にリリースされた『頭脳警察7』に収録された「万物流転」が象徴的ですが、諸行無常でありながら時代に流されない普遍性のある楽曲が頭脳警察の特性と言えますね。
PANTA:まぁ、それ以外できないからね。俺なんてまだ甘っちょろいほうで、TOSHIのお仲間は三上寛とか友川カズキとか俺以上に流されない、泥濘のなかでズンと立ち尽くすような男だちばかりだから(笑)。
──この日のライブは、あの慶応三田祭での一件(1971年11月6日)から実に46年を経てはちみつぱいとの歴史的邂逅を果たした“事件”でしたね。
PANTA:そう、まさに大事件だった。あの一件を遡ろうとすれば、それこそ一冊の本になるね。
──三田祭という慶応大の学園祭(厳密に言えば前夜祭)に頭脳警察が遅刻してしまい、主催の風都市から「頭脳警察がライブをやる時間はない」と言われてキレた頭脳警察がはちみつぱいの後にステージ・ジャックして、本来出るはずだったはっぴいえんどに皺寄せが来たという一件ですね。その後、はっぴいえんどやはちみつぱいのメンバーとは犬猿の仲になったという。それも聞いたところによると、けしかけたのはTOSHIさんだったそうですね。
PANTA:そうなんだよ。火をつけるのはいつもTOSHIで、火を消すのはいつも俺なんだ(笑)。
TOSHI:あの日は昼間から学祭を2、3ヶ所回ったんだよね。それで疲れてたのもあるんだろうな。三田祭で「ステージをやる時間はありませんから」とか言われて、カチッときてさ。PANTAに「このまま帰るのかよ?」とけしかけて、勢いでステージの袖まで上がっていっちゃったんだ。
PANTA:あの時の画は今でも覚えてるよ。車のなかで「ステージの時間がない」と言われた時。やるか! と踵を返した時。黒ヘルの親衛隊がダーッと校内へ散った時。はちみつぱいが演奏している後ろ側で出番を待つはっぴいえんどがストレッチをしている時。それをステージの下手側で腕組みして見ながら、TOSHIと2人で演奏が終わるのを無言で待ってた。いまだに鮮明に画が浮かぶよ(笑)。
TOSHI:別にはちみつぱいやはっぴいえんどには何の恨みもないんだよ。俺はあの主催者の一言にカチッときただけだから。それがたまたまはっぴいえんどとかにご迷惑をかけてしまったという(笑)。
別に50周年がゴールというわけじゃない
──世間的にPANTAさんは裕也一派と捉えられていますし(笑)、図らずも日本語ロック論争の代理戦争のようでしたよね。
PANTA:その側面もあるし、学内の派閥の代理戦争でもあったわけ。主催する実行委員会とはまた別の、新左翼系の派閥が頭脳警察にオファーしてきたんじゃないかな。その軋轢のなかで俺たちがステージ・ジャックしたものだから、主催者には「時間なんてないよ、そもそも頼んでもいないし」って気持ちがあったんだろうね。
──その騒動を収めたのが、はっぴいえんどの後に出演した遠藤賢司さんだったそうですね。
PANTA:俺はその時もう現場にいなかったから実際のところはよくわからないんだけど、後になってエンケンが吉田拓郎のラジオで「あの騒ぎを鎮めたのは俺だ!」と言ってたみたいだね。拓郎も「あの騒ぎで一番被害を被ったのは俺だ!」と言ってたらしいけど(笑)。
──鈴木慶一さんとは『マラッカ』(1979年3月発表)のプロデューサーに迎えるほどまで関係は修復できたのでしょうが、はっぴいえんどの面々とは……。
PANTA:事件の1週間後に、仙川通りにあるメキシコ料理屋で細野晴臣とばったり会ったけどね。お互い女連れでさ、まだほとぼりも冷めてない時だから気まずかったよ。どちらもチラッと見て軽く挨拶だけしてね。鈴木茂とは後年、ムッシュ(かまやつひろし)がゴロワーズを吸いながら中に入ってくれて、ムッシュのライブのゲストとして2人一緒に呼ばれた時に事情を話して和解した。その後に俺が詞曲を書いて、茂が編曲したのが堀ちえみの「幼な馴染み」という曲。
──細野さんとは、今年の1月31日に渋谷クラブクアトロで行なわれた『生誕71年 エンケン祭り 〜追悼・遠藤賢司〜』でご一緒されましたよね。
PANTA:そう、あのメキシコ料理屋で会って以来。
TOSHI:ちゃんと手を組んで仲直りしてたよね?
PANTA:まぁね。
──慶一さんは「アラファトとラビンの握手のようなことか」とFacebookに書いていましたけど(笑)。実際のところ、細野さんは慶応三田祭事件のことを長年どう思っていたのでしょう?
PANTA:わからない。本人にインタビューして訊いてみてよ(笑)。
──そうします(笑)。このライブ・アルバムには未収録ですが、当日はアンコールで頭脳警察+はちみつぱい+騒音寺から成る“騒音警察ぱい”による「はいから雑誌なんか要らないはくち」が披露されましたよね。たまたまキーが一緒だったはっぴいえんどの「はいからはくち」と頭脳警察の「コミック雑誌なんか要らない」を慶一さんが切り貼りして譜面に起こして、それらを交互に唄うという。その後に三田祭の混乱を収拾した遠藤賢司さんの「歓喜の歌」が流れるという心憎い演出でしたね。
PANTA:その日がちょうどエンケンの誕生日だったので、みんなで献杯してね。本当はそこまで含めて、はちみつぱいの演奏と一緒にCDを出せれば良かったんだけどね。『46年目の真実』みたいなタイトルを付けてさ(笑)。
──頭脳警察の直近の優れたパフォーマンスが2種類楽しめる本作のタイトルには“RELAY POINT”(中継地点)という言葉が使われていますが、これは50周年というゴールを見据えての言葉なんでしょうか。
PANTA:別に50周年がゴールでもないよな、って感じかな。今この瞬間は常に向かうべき未来への中継地点っていうかさ。来年は50周年を記念したライブをやろうと今からいろいろと考えていて、どういう采配を振るかにもよるけど、ゲストを呼ぶだけで終わっちゃうんじゃないかなと思って。関わってきた人たちがあまりに多いから、あいつを呼んだらこいつを呼ばないわけにいかないとかがあるし、(内田裕也のマネをしながら)「オイ、俺は呼ばねぇのかよ!?」って言う人もいるじゃない?(笑) だから俺たちの出る時間がなくなっちゃうんじゃないかと今から危惧してるよ(笑)。
──またステージ・ジャックをするしかないですね(笑)。今の頭脳警察はこれまでで一番お2人が楽しそうにしていると言うか、無理なく充実した活動をしているように見えますね。
TOSHI:うん、無理はしてないね。1990年の再結成の時はちょっと頑張りすぎちゃって、すごく気が張ってた。
PANTA:初めての再結成だったし、中途半端なことはできないと思ってたからね。ただ「再結成しました」じゃ意味がないし、ちゃんと進化したものを見せなくちゃいけなかったしさ。頭脳警察というバンドには自分たちのプライドがあるから、絶対に恥ずかしくないものにしなくちゃいけないと思った。最初にTOSHIに再結成の話を持ちかけたら「1年待ってくれ」と言われて、それで俺は『P.I.S.S.』を作ったんだよね。『P.I.S.S.』は肩の力の抜けたすごくいいアルバムなんだけどさ。
──僕も大好きです。ex.ルースターズの花田裕之さんが全面的に参加しているストレートなロック・アルバムで。
PANTA:その後に再結成の準備に入って、新しくできたビクターのスタジオでサザンオールスターズを押しのけて(笑)、半年間レコーディングした。“ZK7”とだけスタジオ名に書いてあるだけで、音楽関係者は立入禁止にしたんだよ。