「藤井と大久保の2人組」の認識が大半だろうが、元々音速ラインの出自は3人組だった。ドラムの菅原健生を含めた3ピースバンドだったのだ。で、更にさかのぼると結成から2年程はサポートギターも入れず、その3人だけでのライヴが繰り返されていた。
今年結成15周年を迎えた音速ライン。そのアニバーサリーイヤーに相応しく今年はこれまで以上に彼らの活動も活発だ。そしてエポックなライヴや話題も目白押しな中、大きなトピックの一つが、8/18下北沢シェルターにて行われる3ピーススタイルでのライヴと言える。オリジナルメンバーにて一日限りの同ライヴ。これはファンならずとも興味深い。老若男女が集いやすく、アフターを十分楽しんでも電車がある時間設定も嬉しいこの日。菅原、3ピース、昔のファン同士...当日多くの再会が、ここでは見れるに違いない。
それを迎える当の3人の境地優はいかに?懐かしい話も含め色々と語ってもらった。[Interview:池田スカオ和宏(LUCK'A Inc)]
「声をかけてもらえて嬉しかった。"次に一緒に演るのは還暦ぐらいかな..."と思ってたから」(菅原)
━折につけ、「近々3ピースでやりたい」と話をしてくれてましたが、いよいよこの度、それが実現しますね。
大久保:おいくるメロンパンとの対談の時に、向こうが3ピースバンドだから対抗意識燃やしちゃって、「俺らもやるから!!」なんて、この人(藤井)が公言しちゃったからね(笑)。
藤井:でも、その前から何回か大久保には相談してたじゃん。「やりたいね」って。ある時、ふと思い返したんですよ。"そういえば昔は3人だけで演ったっけ..."と。そう考えると、急に今の自分が甘えてるように感じ始めて。"今、初心に戻って3ピースで演ったらどうなんだろう..."と考えたわけなんです。
大久保:(藤井さんの)負担が増えるだけじゃん(笑)。ギターも弾きながら歌うわけだし、他にギターが居ないから頼れないし。
藤井:自分に(重荷を)課したい時期なんだよ。重荷をあえて背負いたい。そして、そこを越えていきたいんだよね。それじゃないと面白くないし、向上しないじゃん。で、先に外堀を埋めちゃって逃げられない状況を自分で作ってみたと。もう、やるしかない!!
━で、今回はあえてオリジナルメンバーの菅原さんにも声をかけたんですよね?
大久保:そうなんです。もう今回の趣旨だと、「菅原さんじゃないと意味がないな」って。
藤井:この3人で鳴らしていた音を15周年のこのタイミングで、もう一度鳴らしたかったんですよね。
大久保:とは言え、単なる再現ライヴには絶対にしたくない。今の3人が演るとこうなるを魅せたい。
菅原:でも僕、ここまでの話、いま初めて聞きました(笑)。基本、「15周年で何かやりたいんだけど、菅原もどう?」と軽くLineが来て。「いいよ」って返事を返したら、気づけばこんなガッツリとなってた(笑)。
━実際に話が来た際にはどんな感想でした?
菅原:ビックリしたのと、あとはやはり嬉しかったですね。まさかこのタイミングで声がかかるとは考えてもみなかったから。"もし、声がかかるとしたら還暦ぐらいかな..."なんて想像していたんで。
━この13年の間ドラムは? (菅原は身体の故障の為、2005年に脱退)
菅原:趣味程度では触ってました。
藤井:「叩いているらしい」との情報をキャッチして。"じゃあ、一日ぐらいであれば出来るんじゃ?"って。
大久保:藤井さんから相談を受けてた中、「15周年記念のこのタイミングだろう!!」と。機会を図らないとこの人(藤井)の場合、普通の対バンライヴの際とかに平気で出させちゃいそうだったから(笑)。
菅原:でも、この3人でのライヴを当時観たことのある人って少ないだろうからね。超初期しか演ってないから、この体勢では。
「自由に自分たちがやりたいようにやってた、あの頃のライヴをもう一度やりたい」(藤井)
━今の音速ラインは、それこそデビューの頃ぐらいエネルギッシュですが、これだけブランクが空いて菅原さんの体力や身体的に大丈夫ですか?
菅原:脱退した理由が右足の先の神経が麻痺する病気にかかったからだったんです。生活上は全く支障が無くて、ドラムも叩けはしたんですが、3時間ぐらい叩くと痺れてきちゃって。それが原因で続けられなく、やむを得ずヤメさせてもらったんです。その後、ドラマー専門の医者を見つけ、治療し、なんとか叩けるようにはなりました。
━最近の音速のライヴはけっこう激しいですよ。速い曲もあるし。
菅原:その辺り万全です。実は作品もずっと聴いていたし、ライヴも内緒で観に行ったりしてたんです。マスクに帽子をかぶって(笑)。お客さんの中でも最前線で聴くようなコアなファンの自負は常に持っていて。「藤井さん、今こんなエフェクター使ってんだ...」とか。曲は完全に頭にすり込まれてるので万全です。
━でもライヴ自体、同窓会にはしたくないのでは?
大久保:そうですね。懐かしい感じにはけっしてしたくない。今の俺たちというか。
藤井:俺はまだ音源を出す前のBASEMENT BAR(下北沢のライヴハウス)で演っていた、あんな感じでやりたいんだよね。なんか大人に邪魔されない、自由に自分たちがやりたいようにやってた、あの空気感と言うか...。
大久保:始めた頃?
藤井:そうそう。"なんか音楽シーンが面白くないな...だったら自分の思う面白い音楽をやってやろう!!"って音速を始めた、あんな感じで。「自分にハマる音楽がねえな。だったら自分で作っちゃった方が早いや!!」って始めたのが音速ラインだったからね。あの時は、それこそ最強の3人が揃ったと思ってた。「これだったら何でも出来る!!」って。
菅原:最初は手伝いで剛くんが色々と動いてくれたよね。ライヴのブッキングとか。色々な人に音を広めてくれたり。いま考えると音速の救世主だった。
大久保:もったいなくて、ほっておけなかったんですよね。「こんなにいい音楽をやってるのに。なんでみんな気がつかないんだ?」って。スーパーリラックス(音速ラインの前に藤井と菅原がやっていたバンド)なんてリハも半年に一度ぐらいだったから。ライヴをガンガン入れたらやむをえず重い腰も上がるだろうと。
藤井:ホント剛くんは救世主だった。今より20Kgも痩せてたし(笑)。最初会った時なんて、「ビジュアル系のバンドの人が来た」と思ったもん(笑)。
大久保:でも、振り返ると、スーパーリラックスから音速ラインでこのメンバーになって、より激しくなったんだけどメロディアスさは変わってないんだよね。
藤井:音速で、3人だけで出す音でも舐められない音楽性を目指したら、結果こうなってたんだよね。
大久保:この3人で始めた時に何かが流れ出した感が凄くあって。あと、あの音速独特のなんか少し寂しさもありつつ激しい感じはあの頃に芽生えた気がする。
藤井:で、僕らをフックアップしてくれたのが樋口さん(新宿ロフトブッキング兼当時マネージャー。現在の音速ライン後見人)で。樋口さんと出会ってからデビューまでは速かったよね。
━樋口さんは音速ラインのどの辺りに魅力を?
樋口:出会いは当時、SONG-CRUXと一緒にコンピレーションアルバムを作っていた学生の子からの紹介ですね。最初に音源を聴いて。ホント一聴惚れでした。早速、郡山まで藤井さんに会いに行きましたから(笑)。