日本のロックの黎明期に粗野で武骨な日本語詞と奔放で肉感的なプレパンク・サウンドで本物のロックに飢えたリスナーの心をわしづかみにして以来、生きる伝説として45年にわたり燦然たる輝きを放ち続ける「外道」の顔役、加納秀人がミュージシャン人生50周年を記念したソロ・アルバム『Thank You』を発表する。外道以外にもさまざまなプロジェクトやソロ名義で多彩な楽曲を世に送り出してきた加納のジャンルレスな音楽性と50年の道程を凝縮させた集大成的作品だ。17歳のときに聴き手の魂と細胞に訴えかける音を出す天命を受けた加納が今なお思い求める内なる音とは何なのか。龍に見初められ神に選ばれしミュージシャン、加納秀人の波乱万丈で奇想天外な音楽人生を紐解く。(interview:椎名宗之)
我が道を行くで50年間やってきた
──バンドマンとしてのキャリアが今年で50周年を迎えるわけですが、これはThe M(エム)に参加したのを起点としているのですか。
加納:エムに入る前ですね。16歳のときに勝手に高校をやめて、この世界に入ったときからのカウントなんです。僕は当時からレコードを出すことにまったく興味がなかったんですよ。それよりも世界の誰にも負けないオリジナルなバンドをつくるのが目標でした。そのころは演歌やアイドルの人たちはいっぱいいたけど、僕らみたいなロックに対してレコード会社はまるで興味を示さなかったし、我が道を行くしかなかった。日本にまだロックが根づいていない、風もまったく吹いてなかったころですから。それで気がついたら50年間、我が道を行くでここまで来ちゃった。それなのにこれだけたくさんのアルバムを出せたり、いろんな活動をやってこれたのが自分でも不思議でしょうがないんです。外道としてレコード・デビューしたのはもうちょっと後だけど(1973年10月)、僕としてはそんなことどうでも良かったので(笑)、16歳からスタートしたキャリアを数えて50年ということなんです。
──ソロ名義の楽曲を選りすぐって一つの作品にまとめる構想は以前からあったんですか。
加納:キャリアが50年近くなってきたときに、自分一人でつくってきた曲を残しておいたほうがいいかなと思ったんです。もともと僕が外道をつくったのも、自分のやりたいことをやりたかったからなんですよ。同級生だとか友達関係の流れでバンドをつくる人もいっぱいいますけど、僕の場合はまず自分がやりたいことをやるためにメンバーを集めて、ベースはこんなふうに弾いてくれ、ドラムはこう叩いてくれと、最初から指定だったんです。すべて自分の思い通りにやってもらうのが外道のスタイルだった。それに比べてソロは完全に自分一人でつくりあげるもので、バンド以上に自由にやれる良さがあるし、自分らしさをもっと出せるんですよね。今回はほとんど打ち込みを使ったから機械的な要素もあるけど、そこに自分の思いや感情を自由に込められる。バンドの曲をレコーディングしても、なかなか思うように録れないことがあるんですよ。自宅で録ったデモのほうが断然良かったりして。そういうこともあったので、自分の思うようにつくれる自分らしい作品を残しておきたいと思ったんです。もともといいバンドをつくりたい、ライブでいい音を出したいっていうのが目標だったんだけど、求められて作品づくりをしていくうちにレコーディングの面白さを覚えて、気がつけば50枚以上のアルバムを出してるんですよ。特にライブ盤の枚数が多くて、おそらく僕は世界でいちばんライブ盤を出してるミュージシャンなんじゃないかな。しかも大手のレコード会社からね。だけどそこまで多いと自分でも持ってないのがいっぱいあるし、レコード会社から送ってこないのもあるから何をやったのか覚えていないレコーディングもあるんです。むかし、友達だった東芝EMIの社長に頼まれてオリビア・ニュートン=ジョン関係のレコーディングをやったこともありますね。だけどどういうわけか加納秀人の名前が使えなくて、外人の名前でクレジットされたんですよ。しかもそういうのが大ヒットしちゃってね(笑)。
──加納さんはとかく外道として衆目を集めることが多いので、こうしたソロ名義の作品は新鮮ですし、ファースト・アルバム『地球の夜明け』の収録曲(「新たなる孤独への出発」)からシングル『On my Own』のカップリング(「淋しすぎる夜」)まで時代的に万遍なく選ばれているのがいいですね。まさにソロ名義のベスト・オブ・ベストという趣で。
加納:新しい曲と古い曲を混ぜ合わせて、50年間の要素を万遍なく入れてみたんです。40年前の曲といまの曲を並べてもそんなに違和感がないし、むかしの曲でも古くなってないのが新鮮で面白いなと思ったんですよね。まぁ僕の場合、ライブが終わって時間が経つと曲をぜんぶ忘れちゃうのもあるんですけど。どんな曲でも覚えてないし、ほとんど忘れてるんです。
──忘れてしまうから、古い曲でも常に新鮮な感覚で聴けてしまうと(笑)。
加納:ある曲の途中からリハーサルしましょうよとメンバーから言われてもできないんですよ。頭から弾くと思い出せるんだけど、途中からだとさっぱり思い出せない。外道の曲でもだいたいそうですね。だから何も覚えてないんですよ。お客さんにリクエストをされても、それが自分の曲なのか思い出せない(笑)。
17歳のある日、神様からの啓示を受けた
──今回、セカンド・アルバム『IN THE HEAT』と最新作『旅人』からの楽曲が多く収録されているのは、この二作が加納さんにとって思い入れが深い作品だからですか。
加納:そうですね。ちゃんとした形でもう一度聴かせたほうがいいかなと思ったんです。世のなかには新曲しかやらない人もいれば、むかしの曲を繰り返しやる人もいるけど、僕の場合は同じ曲を何度も何度もレコーディングするんですよ。時代が進むにつれてアレンジが変わってきたり、またあらためて録りたくなったりね。「龍神」なんて何パターンあるのかわからないくらいで、外道のそうる透に「今日はどのパターンでいきますか?」って訊かれますからね(笑)。ただそうやって何パターンも生まれてしまうのは、上から降りてくる指令に従っているまでなんですよ。
──指令ですか。
加納:17歳くらいのある日、朝起きたら窓越しに天から僕に向けて光が当たってきたんですね。そしたら天使みたいなのが降りてきて、腕をつかまれてグッと引っ張られた。そのとき僕のなかに知らない自分が現れて、何者かと一生懸命話してるんですよ。「俺は北海道生まれの加納秀人だけど、あなた誰?」って。そこで宇宙のことや平和のこと、自分が音楽で何をしなきゃいけないのかを話したんです。それからとてつもなくでかい音がダーッと聴こえてきた。それまで聴いたことのない音、ベートーヴェンもバッハもビートルズもひれ伏すような素晴らしい音でした。あんなに気持ちいい音は他にないっていうくらいのね。神様の出す音ってこんなにすごいんだなと思いましたよ。あんな音を出せば、いかなる災害が起きてもぜんぶ止められるエネルギーと力があるんだなと感じて、そこで話が決まったんですね。宇宙から降りてくる音をそのまま僕が流して、いろんな人の細胞に訴えかける音楽をやっていけ、それで人を救っていけと。俺はただバンドをやってるだけの人間なのに、なんでそんな指令を受けたんだろう? と思ったんだけど、すべてはそこから始まったんですよ。その次の年に当時の日本でいちばん演奏が上手いと言われていたエムに入って、さらにその次の年には世界中のジャズ・ミュージシャンが集まるでかいコンサートのステージに立って、その後は外道をつくって、『ワールド・ロック・フェスティバル』でジェフ・ベックと共演して…アマチュア時代がほとんどないまま、あれよあれよという間に活動が加速していった。
──神懸かり的ですね。
加納:外道のステージには鳥居がそびえ立っているじゃないですか。それに僕は着物をまとって、獅子のかぶりものをして…まるで神様の前で演奏する神主みたいになってる。それも意識したわけじゃなくて、気がついたらそうなってたんですよ。神様の出す音を聴いてしまったあの日以来、そういったことがパズルのようにぜんぶつながっていったんです。10代のころは上から降りてくる音がどんどん聴こえるようになって、10代で聴こえた音が20代で弾けるようになって、20代で聴こえた音が30代で弾けるようになって、30代で聴こえた音が40代で弾けるようになった。あと200年くらい生きないと追いつきませんよ(笑)。
──加納さんの音楽人生は、17歳で体験した神様の出す音によって方向性が定められたわけですね。
加納:17歳のときに何がやりたかったのかといえば、たとえば戦争が起きたら僕の弾く音で争いを止める。台風が来て災害になりそうなときは僕の弾く音で台風を止める。それくらいのパワーとエネルギーを音に託して出さなきゃいけない。そのためにはまず体力づくりが必要なので、ものすごく走り込んで身体をつくった。そして音楽的な技術を習得しました。どんな音楽でもやれるだけのテクニックがないと、上から降りてくる音楽を表現できないわけですよ。だから10代のうちに下準備を怠らなかった。そうやっていままでずっとやってきただけなんです。いつどんな音が降りてきても表現できるように鍛錬を積み重ねてきただけ。
──いまは50代で聴こえた音が60代で弾けるようになったところなんですか。
加納:いま65歳の僕が弾けているのは、30代、40代のころに聴こえていた音ですね。ずっと聴こえていたのになかなか出せなかった。それがいまやっとできてる。いま本当に出せたらいいなと思う音を出すのに、あと100年はかかると思うんですよ。だから最低でもあと100年、理想を言えば200年、神様に何とか身体がもつようにしてくれないかとお願いしたい(笑)。