桜井青のバースデイ・ライブで何かが起こる! …のか!?
──皆さんそれぞれのユニットでも新宿ロフトには出演していただいていますが、ロフトでとりわけ印象深い出来事はどんなことですか。
桜井:うーん、あまりにたくさんありすぎますからねぇ…。
村井:僕は秀仁くんと一緒に西新宿時代のロフトに出た記憶がないんですよね。
石井:うん、西新宿はないね。俺は東京へ出てきて2回目のライブが西新宿のロフトだったんですよ。17歳くらいの頃にやってたバンドでね。老舗のライブハウスだし、リハなしのオールナイトだったので強烈な印象がありました。それと、cali≠gariはワンマンでやることが多いけど、GOATBEDでは奇跡的な対バンのブッッキングをしてもらえることが多いんですよ。
桜井:THE SODOM PROJECTとやった時(2010年5月2日)はすごいなと思ったね。
石井:一番パンチがあったのはPerfumeでしょ(2007年5月15日)。ロフトでPerfumeなんてね(笑)。
村井:僕は多分、歌舞伎町よりも西新宿のほうが出演回数が多いんじゃないかな。cali≠gariで何十回も出た記憶がありますね。あと、僕はソロでロフトに出たこともあるんですよ(2003年9月30日)。独りでフュージョンをやったんです。ギターを是永(功一)さん、ドラムを上領(亘)さんにお願いして。
桜井:MAG-NETの時でしょ?
村井:うん。フュージョンをやってるのに、対バンがTRANSTIC NERVEとかHUSHとかでね(笑)。
桜井:僕はラボでいまのロフトにたくさん出てるし、移転前もcali≠gariでよくお世話になってましたね。初めてロフトに出たのはSHAZNA主催の『歌姫降臨』というイベントでした(1995年4月16日)。前の月に地下鉄サリン事件が起きて、戒厳令が敷かれていたんですよ。当時はまだ茨城から都内へ通っていて、ライブ当日は行きの常磐線の車内で刑事に捕まって、牛久駅で無理やり降ろされて事情聴取されたんです。なぜかと言うと、その時の僕は軍服を着て歩いていたから(笑)。
──それは職務質問してくださいと名乗り出ているようなものですね(笑)。
桜井:所持品も検査されたんですよ。鞄の中を探られて、「これは何だ!?」って問い詰められたのがデモテープ。しかもそのタイトルが『第1実験室』に『洗脳』。オウム真理教が世間を賑わせていた頃ですよ?(笑) そのデモテープも牛久駅で聴かれてしまって、すごい怒られましたね。「こんな時にそんな格好で出歩くお前がいけないんだ!」って。30分くらいの拘束でしたけど、まぁ面白かったですね。取り調べ中に「『血まみれの塊』とはどういうことだ!?」なんて言われて(笑)。
──リハには間に合ったんですか?
桜井:いや、僕だけリハができませんでした。初めてのロフトはリハもやれずにトップバッターだったんです。でも、ロフトにはいい思い出がいっぱいありますよ。ライブの打ち上げで毎回必ず特製のオムライスを作ってくれるところもロフトが世界一好きなライブハウスである理由の一つです。前に研次郎くんが言ってたんですけど、ロフトのオムライスと神戸チキンジョージのチキンライスは日本のライブハウス界を代表する二大フードですよね。
──そう言ってもらえると嬉しいですね。
村井:話が逸れるけど、6月28日のロフトはせっかくの青さんの誕生日だから何か特別なことをやりたいよね。横のバーステージも使ってみるとか、ライブの後に近くのロフトプラスワンへ移動して深夜イベントをやるとか。普通にライブをやるだけじゃもったいない気がする。
石井:そうだよね。昼間にBUCK-TICKのコピー・バンドをやるとかさ。
桜井:やりません!(笑)
村井:じゃあ、終演後にメインステージで第2部としてBUCK-TICKのコピー・バンドをやるとか。
石井:1時間くらいライブをやって0時半くらいになって、お客さんが帰れなくなったりして(笑)。
桜井:平日に朝までってキツいんですよ、今度46歳になる身としては(笑)。でも、プラスワンでトークをやるのは面白いかも。石井さんと研次郎くんに壇上で話してもらってる間に僕が客席へ降りて酒を注いで回ったりして。
村井:プラスワンってキャパはどれくらいなんですか?
──椅子とテーブル設置で150人です。
桜井:入場料が1万円なら150万円ですね。考えてみようかな(笑)。