元山口組の2次団体の幹部にして、現在は作家として活躍する沖田臥竜。ネット媒体での連載や雑誌への寄稿を経て、昨年は初の単行本『生野が生んだスーパースター文政(ぶんまさ)』を上梓し、各方面で話題をさらった。
来たる5月19日(金)。沖田がロフトプラスワンウエストに登壇する。元山口組系組長・猫組長、『不死身の花』の著書・生島マリカ、『文政』でおなじみの光合成姉妹・ヒカとみどをゲストに迎え、これまで決して表に出なかったアウトロー界の裏側を語ると言うのだ。
何とも危険な香り漂うイベントを前に、沖田の地元・尼崎でインタビューを敢行。自身の壮絶な人生からイベントへの意気込みまで、存分に語ってもらった。[interview:松井 良太/平松 克規(Loft PlusOne West)]
沖田 臥竜のアウトロー人生
——今は作家をされているとのことですが、もともとはヤクザだったんですよね。どういったキッカケで、その道に入ったんですか。
沖田:何かキッカケがあったんじゃなくて、暴走族時代からの兄貴分がやってたんでその流れで自然とですね。やろうと思って始めたというより、段々と型にはまっていくような感じですね。それが21歳の頃です。
——僕も尼崎出身なんですけど、同級生にも暴走族の子がいたんで、今はヤクザかもしれないんですね……。
沖田:でも若い子は減りましたからね。今の世代の子は「半グレ」言うて、振り込め詐欺とか、オレオレ詐欺の方に行くんですよ。同じリスク背負うんやったら、規則はあるし、儲からへんし、怒られるヤクザよりも、そらそっち側行きますよね。
——ヤクザの下積み時代は、どんなことをされてたんですか。
沖田:自分は傷害致死と死体遺棄で、21歳から刑務所にいたんです。29歳で出所したんですけど、それから半年ですぐパクられて、また4年間刑務所におりました。だからまともな下積みは外よりも刑務所の中でしたね。
——下積みが終わってからは、どうされてたんですか。
沖田:4年の懲役の間に3次団体の頭になって、出てきてからはもう一切悪いことをやめて、阪神尼崎で飲食店の経営をしていました。こじんまりとしながらも親分のため、組のために尽くして、自分の任侠を磨いてましたね。それで最終的には、2次団体の頭代行をやってました。ただ警察の暴排条例ができて取り締まりがキツなって、メシが食えんようになったんですよね。
——それはいつ頃なんですか。
沖田:6,7年前ですね。食われへんだけなら良かったんですけど、賃貸も口座も全部アカンってなったんです。それだけでも、「まぁまぁヤクザやからしゃあないか……」って思ってたんですけど、家族もパクられるようになったんです。
——え! 家族もですか!
沖田: 5月と10月の「暴力団取り締まり月間」の時はもうランダムに来ますから。例えば、賃貸に一緒に住んでたりしたらダメですし、嫁のキャッシュカードを使ったら詐欺で、2人ともパクられますからね。20日で帰って来られますけど、そういう問題じゃないですよね。相手の親に合わせる顔もないですし。こっちは細々と代紋に誇りを持ってやっていても、限界を感じるじゃないですか。
——それでも何年かは耐えたんですよね。
沖田:3年は耐えましたね。でも飛んでおらんようになった舎弟が生活保護の詐欺をやって、店にもガサ来て、「なんやったら、店を詐欺で行ってもええで」って言われたり。もう何しとってもあきませんよね。
——それでもうヤクザを辞めようと。
沖田:いや、やっぱり親分が好きやったんで、それで辞めようとは思わなかったですね。暴排条例が施行されて3年耐えて、親分の引退とあわせて堅気になりました。それが3年前の話です。
作家・沖田 臥竜の誕生
——堅気になってから、すぐに作家になられたんですか。
沖田:いやいや。とりあえず堅気になった最初の1ヶ月くらいは、遊ぼうと思ってたんです。堅気の後輩の社長に1席やってもうたりしてたんですけど、「いや、こんなことしてる場合じゃないな……」と思って。で、知り合いに社長がいたんで、ちょっと汗水垂らしてみようかなと思って働いてたんです。
——ということはもともと何かを書く予定はなかったんですか。
沖田:書くのは好きで、15年くらいやってたんですよ。ヤクザやってる時から、ゆくゆくは小説家になろうと思ってましたから。
——そうなんですか! 本が好きだったんですか。
沖田:漫画は好きでしたけど、刑務所に行くまでは一切読んでいませんね。刑務所におる時はやることが無さすぎて、1年間で小説を1,000冊くらい読んでたんですよ。上手いなっていう小説は写したりもしてました。刑務所には計12年いたんですけど、9年は独居生活やったんです。誰とも喋られへんから、ずーっとそれをやってましたね。
——その生活は、すごい技術力が上がりそうですね……。
沖田:出所してからも、中で書いてたやつを起こし直したり、ケータイ小説に送ってみたりとか、いろいろやってたんですよ。だから「ヤクザ辞めたら、どないか筆で……」みたいな感じやったんです。それで実際にヤクザを辞めて1年くらい経ったとき、もう賞とかに送ってても埒あかんなと思って、自分の小説をある漫画家のホームページに、「原作で使ってくれませんかね?」って送ってみたんです。そしたら本人から、「私らもプロなんでそんなんは出来ませんけど、読むだけなら」って返事が来たんですよ。それで「これ、面白いですね。知り合いの編集に見せていいですか?」って話になって、ネット媒体での連載が始まったんです。
——それがニュースサイト「R-ZONE」での連載だったんですね。
沖田:そうですね。多い時は、60本くらいは書いてました。そんなことしてると、人間関係もいろいろできるじゃないですか。「ちょっと1本書いてみる?」って仕事の幅が広がっていたんです。
——小説以外にも、今のヤクザの考察などの記事も書かれていますよね。
沖田:はい。最初の数ヶ月は、ライターの仕事は「やれへん」って言うとったんですよ。でも尊敬する浅田次郎も、最初はヤクザ崩れの人がやってることを書いて、やっと小説を見てもらえるようになってんから、やっぱり覚悟をしようってだんだん分かってきましたね。それでライターの仕事も大体は受けるようになりました。
——それで色々と仕事の幅が広がっていって、去年の10月に初の単行本『生野が生んだスーパースター文政』を刊行されたんですね。
沖田:そうですね。『文政』は、カテゴリーを取っ払って、とにかく読みやすさを追求したんです。簡単に読めてクスッと笑える、ノンフィクションとフィクションの間を狙いました。誰でも読めるので、ぜひ手に取って欲しいですね。
メディアでは絶対聞けないアウトロートーク!
——5月19日(金)にロフトプラスワンウエストでイベントを開催しますが、これはどういう経緯で開催することになったんですか。
沖田:最初は『文政』の出版記念でお話をいただいたんですけど、せっかくなんで本の話だけじゃなくて、猫組長と生島マリカさんにも来てもらって、2人がいる世界についてもお話してもらうかなと。聞いてる人も、「うそーん」って話ばっかりだと思うんで。
——ゲストの猫組長さんと生島マリカさんは、どのような方々なんですか。
沖田:猫組長は、海外に拠点を置いて100億円規模の運用をしてた、自分とは違うタイプのヤクザですね。自分、去年の年末に大腿骨を折って入院しちゃったんですけど、猫組長は「そのお見舞いに行かれへかったから」ってことで今回は交通費もギャラもなしで来てくれるんです。生島さんは、猫組長が友達で声をかけてくれたんですよ。僕はTwitterの交流だけで、まだ直接会ったことがないですから。でもこの2人は強烈ですよ。猫組長はマイケル・ジャクソンと友達やったり、生島さんは高須院長と知り合いやったり、付き合いの次元が違うんで。
——スゴいですね……。イベントでは、どんなことを喋るのでしょうか。
沖田:自分は『文政』の兄弟のこと。現在進行形で鳥取の刑務所にいてるんですけど、どれくらいの男かっていうのを喋りたいですね。本では書きにくかったこともありますし。それと自分の知ってる裏社会のことについても話すつもりです。地上波では無理やけど、BSやったらいけるって話題があるやないですか? それよりもさらに掘り下げて喋りますよ。
——話の深さのMAXを100とすると、BSで喋るのってどれくらいなんですか。
沖田:30くらいかな。地上波の生放送やったら、5くらいですよ。山口組が分裂してから、10くらいまで広がりましたけど。この前、猫組長と西岡 研介(ノンフィクションライター)さんがabema TVに出てましたけど、それでも30くらい……。
——イベントでは、どれくらい深く行くつもりなんでしょうか。
沖田:70くらいまでは頑張りたいね。100までいくと絶対誰かの迷惑になるから(笑)。でも70やったらよっぽど喋れるんちゃうかなと。
——どこまで濃い話が聞けるのか楽しみです! それではイベントに来ようか迷われてる読者にメッセージをお願いします。
沖田:地上波やBSでは言えへんことも、トークライブだからこそ喋れるんじゃないかなと。こういうイベントがないと、海外のヤクザのことを聞く機会はなかなか無いと思うんで、ぜひお越し頂いたらと思います。