ソロとしては実に6年ぶりの作品となる浜崎容子のセカンド・アルバム『Blue Forest』。自身がアレンジ、プログラミング、サウンド・プロデュースまでを務め、エレクトロ・サウンドを基調とした本作では従来のアーバンギャルドの歌姫とは異なり、ガラスの鼓動を打つ女性の純真な心象風景を唄い上げている。菊地成孔、成田忍(URBAN DANCE)、服部峻、おおくぼけい(アーバンギャルド)といった俊英が制作に参加した本作で浜崎がテーマに選んだのは「青」と「恋」。群青色に染まった深い森、深海のような都会のネオンは恋に身悶える女性の壊れやすい心の象徴であり、有機的な歌声はもとより無機質なエレクトロ・サウンドからも情緒と湿度が透けて見える。表向きはキャッチーだが実は複雑なアレンジが施された多彩な楽曲は、2016年の最新鋭でありながら普遍性の高いポップ・ミュージック。そして恋に迷う大人の女性にとって、眠れる青い森の美女が唄う至高のラブソングは心の処方箋なのである。(interview:椎名宗之)
恋愛経験ゼロ的な空気に対する違和感
──アーバンギャルドの『昭和九十年』と『昭和九十一年』、そして今回の浜崎さんの『Blue Forest』と、わずか半年のあいだにオリジナル作品を3枚も発表するとはかなりのハイペースですよね。
浜崎:音源を3枚立て続けに出すのは初めてかもしれませんね。私から「この時期にソロをやりたい」という明確な意思表示はしてなくて、事務所との話し合いのなかでソロ・アルバムを作らないかと提案を受けたんですよ。自分ではこうしてまたソロ作を出せるとは思ってなかったくらいなんです。
──ということは、『Blue Forest』の収録曲の多くはソロ用に書き溜めていたわけではなかったと?
浜崎:というわけでもなくて、自分用の曲をちょこちょこ作ってはいたんです。あと、アーバンギャルドではボツになったけど、いつかソロをやる時に使おうと思っていた曲もあります。
──今作では「青」と「恋」をイメージして制作に臨んだそうですね。
浜崎:前作『フィルムノワール』は「黒」と「夜」がテーマで、今回も色を関連づけたほうがいいのかなと思って、次にソロ作を出すなら「青」がテーマかなとほんのり考えていました。『Blue Forest』=「青い森」なんですけど、私のなかで青は人工的、機械的なイメージなので、ビル街とか都会の夜景が思い浮かぶんです。
──浜崎さんらしいですよね。青と言えば空や海といった広大な自然のイメージもありますけれども。
浜崎:そういうのは全く思いつきませんでした。自然で言うなら水や氷、雨を青から連想しますね。
──一口に青と言ってもいろんな種類がありますが、浜崎さんがイメージしているのはアルバム・ジャケットのような青ですか。
浜崎:そうですね。明るい青も要素としてはあるんですけど、どちらかと言えば紺色に近い深い青ですね。私のなかでは深海のようなイメージです。
──「恋」をテーマにしたのはどんな意図があったんですか。
浜崎:10年くらい前までは恋の歌を唄う女性のソロ・シンガーがまだたくさんいましたけど、最近の音楽シーンをふと見回してみると、そういう方が随分少なくなったなと思って。自分の内面や心の葛藤を唄う人は多いけど、誰かに思いを寄せる恋愛感情や好きな人との関係性を唄う人が減ってきたように感じるんです。それと、いまはいろんなアイドル・グループが台頭してきて、みな一様に清純さを前面に押し出すじゃないですか。恋愛禁止をルールに掲げるグループもいるし、恋愛経験ゼロ的な空気を出してますよね。みんなそれを鵜呑みにしてるのかな? と私は思うし、アイドルの恋愛が発覚するとものすごい勢いで叩かれるのもおかしいと思うんですよ。恋愛なんて誰でもする当たり前の行為ですから。だからこそ昔は当たり前のようにラブソングが巷に溢れていたのに、いまは恋愛の歌と言っても、まるで手しかつながないようなサラッとしたものばかりですよね。クラスメイトのきみに教室で毎日会えるだけで嬉しい、みたいな(笑)。
──青春真っ盛り! みたいな感じの(笑)。
浜崎:そういうのが自分のなかですごく疑問だったんです。そう思ったのも理由の一つですし、単純に恋愛の歌を唄いたくなったんですよね。
──アーバンギャルドなりのラブソングではなく、浜崎さんのパーソナリティが歌詞の行間からもにじみ出たような恋の歌を。
浜崎:恋愛を通じて湧き起こる感情の起伏や心の葛藤をアーバンギャルドでは表現していないし、仮に表現するとしてもありきたりなラブソングには絶対になりませんからね。それよりももっと普遍的な歌を唄いたい欲求が出てきたんです。
──「青」の人工的な静のイメージと「恋愛」の感情が高ぶる動のイメージの対比が面白いですね。
浜崎:恋愛と言っても身を焦がすような感じではなく、好きな人を思ってうきうきする感じでもなく、「あの人は私のことを一体どう思ってるんだろう? あの時の言葉の意味は何なんだろう?」みたいな憂鬱な気分を青のイメージに重ねて表現してみたんです。
──何も期待はしていないけれど会わずにはいられないと悶えたり(「硝子のベッド」)、好きと言われて自分も好きなのかもしれないと振り回されたり(「Lost Blue」)、恋心をこじらせた歌が多いですよね。
浜崎:かなりこじらせてますよ。今回、自分で歌詞を書いて、私って相当めんどくさい女なんだなぁ…って思いましたもん(笑)。
──エレクトロ・サウンドが主体なのは、お里みたいなものでしょうか。
浜崎:自分がもともとテクノ・ポップやエレクトロ・ポップ、ニューロマとかが好きなので、どうしても打ち込み寄りにはなっちゃいますよね。せっかくのソロ・アルバムだし、自分の聴きたい音で作らせてもらった感じです。いまの日本にはないテクノ・ポップ、エレクトロ・ポップの要素を詰め込んだつもりなので、打ち込み好きな人は割と気に入っていただけると思うんですよ。宅録女性シンガー・ソングライターのカテゴリーのなかでもかなり異色だと自分で勝手に思ってますし、ファンシー系ではない、こんなにバキバキのエレクトロをやっている女性シンガー・ソングライターも珍しいんじゃないですかね。
気負いなく自然に取り組めたカバー曲
──収録曲も実に多彩なんですが、小林麻美さんの「雨音はショパンの調べ」のカバーがまず目を引きますね。浜崎さんのイメージにぴったりだし、誰でも聴いたことがあるはずなので、従来のアーバンギャルドのファン以外のリスナーにも幅広くアピールできそうな曲と言えますね。
浜崎:それは意図したところなんです。とても有名な曲なので、アーバンギャルドを聴いている若い世代だけではなく、もっと上の世代の人たちにも気に留めてもらえるんじゃないかと思って。以前から私に合うんじゃないか? と周囲に勧められてその気になってしまって、今回のタイミングでカバーさせてもらいました。もしも自分だったらこうアレンジしたいと妄想していたサウンドでアレンジすることもできたので満足しています。
──カバーはもう1曲、古内東子さんの「誰より好きなのに」が収録されていますが、これは先ほど話に出た、大人の恋愛を唄う女性シンガーが少なくなったことと関連がありそうですね。
浜崎:そうなんです。「誰より好きなのに」がヒットした頃、私はまだ小学生だったんですけど、当時から「古内東子さんは大人の恋愛を唄う人なんだ」って刷り込みみたいにインプットされていたんですよ。
──古内さんは、自身が経験した恋愛の歌のみを唄うのがモットーですからね。
浜崎:らしいですね。何かのインタビューで「私は恋の歌以外は唄わない」って発言を読んだ時に、なんて潔い人なんだろう! と思った記憶があります(笑)。『バラ色の人生』にも出てくる、小・中学生時代の友達だったゆかりちゃんが「よこたん、古内東子の歌って切なくてすごくいいのよー! 聴いて! 聴いて!」って勧めてきて、アルバムを無理やり貸してくれたんですよ。それで聴いてみたらすごく大人の世界で、当時の私にはよく分からなかったんですよね。
──いま歌詞を読み直すと、好きな人が写った写真を何枚も手帳にはさんでいたり、友達に混じった好きな人の写真を見て「私だけのものならいいのに」と思ったり、ちょっと狂気をはらんだ部分があることに気づきますね(笑)。
浜崎:ちょっとそれって…っていう危険なワードがありますよね(笑)。今回、歌詞を読み返してみて、カップルの心のすれ違いを描いた曲だとずっと思っていたけど、解釈によってはかなり一方的な片思いかもしれないと思ったんです。古内さんがすごいのは、ゆかりちゃんみたいにませた小学生から働いている大人の女性までが共感する、どの世代にも訴えかける切ない恋の歌を書いてらしたことなんですよね。なおかつ、見方によって両思いにも片思いにも取れる歌詞がすごいなと思って。それは目から鱗でした。聴く人の立場や状況が全然違うなかで「これは私の曲かもしれない」って思える歌詞を書けるのはすごい技量だと思います。メロディもとても良くってすんなり入ってくるし、改めて古内さんの才能の素晴らしさを実感しました。
──浜崎さんの「誰より好きなのに」は流麗なアレンジなんですけど、よく聴くと不穏なノイズが隠し味としてまぶされていますよね。
浜崎:写真のくだりもあるし、女性の怖さを表現したかったんですよね。古内さんのオリジナルは切なさもあるけど、私には陽の当たる場所にある音楽に聴こえたんです。今回カバーした2曲はいろんな方がカバーしていて、聴けるものはほとんど聴いてみたんですけど、徳永英明さんが唄う「誰より好きなのに」が割と自分のイメージに近かったんですよ。女性の陰の部分、闇の部分を感じさせると言うか。私もその部分にフォーカスを当ててカバーさせてもらいました。
──2曲の有名なカバー曲を取り上げても浜崎さんらしさがよく出ているのは、唄い手としての個性がしっかりと確立されているからなんでしょうね。
浜崎:たとえば私がいままでずっと唄ってきたシャンソンの世界は、同じ曲をいろんな人が唄い継いできたので、一番ヒットさせた人がオリジナルみたいなところがあるんですよ。どれが本当のオリジナルなのか分かりづらいと言うか。アーバンギャルドでも私は(松永)天馬の歌詞やメンバーが作ってきた曲を唄ったり、バンド内とは言え他人の書いた曲を唄っているわけです。だからソロでカバー曲をやるのもその流れで、気負いなく自然にやれるんだなと思って。それは新たな発見でしたね。それと、オリジナルに忠実にオマージュする人もいるだろうし、全然違ったアプローチを試みる人もいるでしょうけど、私の場合は普段オリジナルを唄うように自然にカバー曲を唄えたらいいなと思ったんです。