自己表現はすべて人を楽しませるためのもの
──薫ちゃんは涙もろくもないですか。
薫:あまり泣きませんね。映画を見て泣くこともまずないので、一番感動するシーンで「今だぞ、泣け! 泣け!」って自分を盛り上げようとするんですけど、全然泣けません。映画のジャンル的には家族ものに弱いんですけど。
井戸:それは自分の家族観と関係してるの?
薫:してますね。ボクは日系人で、両親はブラジルで育ってるから、周りの日本人の家族とはやっぱり感覚や価値観が違うんですよ。日本へ移住してから「これが学校で流行ってるギャグだよ」ってボクが両親に見せても、そもそも日本の文化自体をよく分かってないから「何が面白いの?」みたいな反応だし、冗談を言ってもあまり通じないし。同じ屋根の下で暮らしてるのに家族と距離がある感じでしたね。だからボクは日本人の家庭を描いた映画に弱いんです。
──いつかご両親の話もトークライブで聞いてみたいですね。
井戸:その前に、親友の八木君と今度のトークライブで会えそうだから楽しみですね。
薫:八木君はボクが男の格好の時から付き合いのある、唯一無二の親友なんです。ボクがAV女優をやってることも分かって付き合いを続けてくれて、その八木君のことも本の中に書いてあるんです。彼は大阪のトークライブを見に来てくれるんですよ。
──壇上にあがってもらいます?
薫:イヤがりそうですねぇ。照れもあるだろうし。壇上から客席に向かって「あいつです!」くらいは言うかもしれませんけど。
──薫ちゃんの中で今回のようなトークライブはどんな位置づけなんですか。
薫:それがもしかしたら本の中で描こうとした大島薫のモチベーションの答えなのかもしれませんけど、DVDも写真もツイッターの文章もトークライブも全部一緒で、どれも結局は人を楽しませるためのものであって、自分が何をやるかは道具の違いでしかないんですよ。自分のストレス解消みたいな目的はないですしね。トークライブで会いたい人に会うっていうのもあるけど、それは最大の目的ではないですし。逆に全く知らなかった人と話して化学変化が起きて、それでお客さんが楽しんでくれるなら、そっちのほうがいいですね。何と言うか、ニューハーフさんでもない、男性のまま男の娘として生きる特異な人物がテレビに出れたり、雑誌に載ったり、そこかしこで写真が飾られているような状況は夢があると思うんですよ。
──ノンホル、ノンオペの男の娘が普通にメディアに露出する時代が来ればいいと。
薫:ボクが女装するようになったのは、現実生活の中でアニメに出てくるような女の子にしか見えない男の娘がいなかったからなんです。でもその世界をよく調べてみると、おちんちんの付いてる男の娘って全くいないんですよ。みんな手術をして女性になってしまう。それって凄くつまらないし、何の夢もないなとボクは思ったんですね。たとえばアンドレイ・ペジックさんっていう女性的な見た目の男性モデルがいるじゃないですか。下半身は衣装を着て、上半身は裸の写真で『VOGUE』の表紙を飾ったことがあるんだけど、それが「女性の裸に見えるから」という理由で全部回収されてしまったという。その人も2年前くらいに性別適合手術を受けて女性になっちゃったんですよね。それを聞いて、やっぱりそうなっちゃったか…って思って。いずれはニューハーフさんになる予定の、レベルの高い女装男子はいままでもいたんですけど、みんなそのままではいてくれないんですよ。SHAZNAのIZAMさんもいまは男性の格好だし、男の娘のままではいてくれない。だからボクはずっと見た目が女の子の男の子でいたいんです。
有名になるための努力はずっと終わらない
──ちなみに、結婚願望はありますか。
薫:いまのところ全然考えてませんけど、もしそういうタイミングがあればするのかもしれませんね。相手が男性か女性かは分かりませんけど。
──結婚相手の性別によって、大島薫のアイコンはイメージが偏ることになりますよね?
薫:もし偏ったとしても、それを含めてのアイコンなんですよ。ある意味、ボクはモデルケースだと思うんです。ニューハーフさんは社会的に認知されるようになってきましたけど、女性になりたいわけでもないのに女装をしたくて生活するのはなかなか理解されませんよね。「職場のトイレはどうするつもりなの?」みたいなことを言われちゃうし。でもボクがこうして表舞台に立つことで、そういう女装願望の人が世の中にいることが認知されるじゃないですか。その意味でのモデルケースですね。男性と女性、どちらと結婚してもボクの場合はおかしく見られるわけですよ。でも選ぶのがどっちになっても、こういう生き方をしている人間のケースのひとつとして見せられればいいんじゃないかと思ってます。結婚しないというケースを選んだとしても。
──大島薫の存在と生き方が社会のリトマス試験紙、踏み絵みたいになっているところはありますよね。
薫:こういうインタビューを受けてる時に自分でも思うんですけど、大島薫という存在はいろんな矛盾を抱えてるんです。「カテゴライズされたくない」と言いながらも“オネェ”という打ち出し方はしたくなかったり、「男でもない、女でもない、ボクは大島薫です」と言いつつ、「根は男なんですけどね」とか言っちゃうし。でもそうやって矛盾を抱えてるところも含めて大島薫だし、そんなボクをどう判断するかは見る人に委ねたいですね。
──本は今後も刊行していく予定ですか。
薫:機会をいただければ出したいし、作家という肩書きもありますけど、文章を書くことに専念したいわけじゃないんです。ボクが表舞台に立つ手段として今後も文章を書くことはあるでしょうけどね。いまはこの『ボクらしく。』をしっかりとPRしていきたいです。
──どんなことが実現すると「有名になれた」と実感できるのでしょう?
薫:テレビもラジオもないようなちっちゃい島国に住んでるおじいちゃん、おばあちゃんにも知られるようになったら有名人じゃないですかね。それはボクが生きてる間に実現するのが難しい目標かもしれないし、有名になるための努力はずっと終わらないと思うんです。でも逆に言うと、そこまで有名になったらボクの名前は残らないのかもしれない。もしボクのアイコンがみんなの中で普遍的なものになったら、ボクという存在は概念みたいなものになって、消えてなくなっちゃうような気もします。でも、それはそれでいいのかなと思ってます。
──登山にたとえるなら、まだいまは何合目とか言えるレベルではないですか。
薫:全然ですね。まだ東京を出てませんよ。いや、樹海をさまよっているのかもしれません(笑)。