自分のイメージを固定して伝えたくない
井戸:薫ちゃんが会ってみたい人、対談してみたい人って他にいるの?
薫:前から言ってますけど、一度会ってみたいのはホリエモン(堀江貴文)さんですね。以前、ツイッターで絡みはあったんですよ。なぜかホリエモンさんにフォローされたことがあって、なんでフォローされたんだろう? と思って無視してたんですよ、怖いから。フォロバもしないで放置しちゃって。当時のボクのフォロワーはたかだか8万人、戦闘力で言ったら地球人最強のクリリンみたいなものですよね。それに比べてホリエモンさんのフォロワーは135万人で、セル編の悟空みたいなものじゃないですか(笑)。クリリンがセル編の悟空を無視するっていうのも申し訳ないなと思って、フォローをし返したんです。で、ある時ボクが軽いノリで「新ビジネスを考えた」ってツイートをしたんです。「男性更衣室で男の娘が全裸で着替えるお店を作りたい。合法的に男性の前で女性(みたいなの)が、全裸になれる上に、見ている男性も全裸になれるというのが目玉。誰か出資して」って。そしたら、ホリエモンさんが「条例的なもので引っかかるかもしれないけど、ビジネスの視点としては悪くない」みたいな返事をくれたんです。「あ、マジメに考えてくれたんだ」と思って、「ボクも条例のほうを見直してもう一度検討します!」って返したんですが、それ以来絡んでないです。
──なぜホリエモンさんに会ってみたいんでしょう?
薫:セルフ・ブランディング的なことを訊いてみたいんです。と言うのも、ボクはボク自身がコンテンツだと思ってるんです。自分自身の売り出し方や見え方、ちゃんとした戦略が必要だし、そういう戦略は経営者の方にもあるはずなんですよ。だから、今後のボクがどう売り出していけばいいのかをホリエモンさんに経営者の視点で話していただきたいんです。あと、よくホリエモンさんとの対比としてひろゆき(西村博之)さんの話が出てきますけど、ひろゆきさんよりかは人間味があると思うので。
──やっぱり、常に自分を冷静に客観視しているんですね。
薫:「薫ちゃんの考えがちゃんと本に反映されてないとダメだから」と井戸さんからよく言われていて、文章もけっこう直されたんですよ。井戸さんから投げられたテーマにボクが応えて書くんですけど、客観視しすぎてるところがあると「それは薫ちゃんの話じゃなくて評論家みたいだからダメ」って言われて。
井戸:ライターを立てずに全部薫ちゃんが真剣に書いてるし、手抜きは一切してないんですよ。しかも、「休暇の過ごし方」という短編小説まで入ってますからね。
薫:もともと小説を書くつもりはなかったんですけど、最後の章は今後の抱負や未来について書いて欲しいと言われて、井戸さんいじわるだなと思ったんですよ。ボクがいつも「有名になりたいんです」としか答えてないのを分かっていながら、未来についてのお題を出してくるんですから。最初は書けないと断ったんですけど、「じゃあ、小説という形で書けば?」と井戸さんから提案されたんです。
井戸:小説家を目指していたというくだりも本の中に出てくるしね。
──薫ちゃんは普段から小説を読むんですか。
薫:昔のほうが読んでたかな。最近はそうでもないですね。作家の中では大沢在昌さんが一番好きで、『砂の狩人』や『夢の島』といった作品が特に好きでした。根は男なので、ああいうハードボイルドの世界にグッとくるんですよ。花村萬月さんの世界観も好きですし。
──有名になるのがゴールとしてあって、そのためにはこうして本を書いたり、手段を選ばず何でもやると?
薫:常に表舞台には立ちたいので、ひとつのことに固執することなく、手段は選ばないですね。本も書くし、テレビやラジオにも出るし、何でもやりたいです。自分のイメージを固定して伝えたくないんですよ。「絶対に“男の娘”として名乗らせてください」とかもないし。
──“オネェ”と呼ばれても構わない?
薫:ボクは“オネェ”じゃないし、“オネェ”という肩書きで仕事は受けません。そこだけははっきり主張したくて、この本の中のコラムでも書いてあるんですよ。それもあって、井戸さんが帯に「オネェでもなく、女の子になりたいわけでもない」という一文を入れてくれたんだと思います。
湧き立つ怒りは自分自身にしか向けられない
──自己プロデュースをする上で、自らの生い立ちや生き様を赤裸々に描くことに抵抗はなかったんですか。
薫:この本を書いてる間、編集の井戸さんからずっと言われてたんですよ。「薫ちゃんって、人から見るとあまりリアリティを感じられない存在になってるよ」って。ボクは普段から何でも包み隠さず話すほうだし、男の子も女の子も両方好きなのを最初から言ってるし、自分がまだ普通の男の子だった昔の写真を平気で表に出してるんですけど、井戸さんはなぜそこまで曝すのかがよく分からなかったみたいで。でもボクとしては、過去の出来事もすべて地続きで大島薫だと思ってるし、大島薫は作られたイメージではなく、ボク自身が生まれてから現在に至るまで自由に生きて、その姿を人からどう判断されるのかが大島薫というアイコンなんです。だから卒業アルバムの写真も本に載せたりしたし、それを見せることでボクが病むことはないし、全部を曝け出すつもりでこの本を書いたんですよ。
井戸:薫ちゃんとどれだけ長く接しても、なぜそこまでモチベーションを持って曝け出せるのかが僕には分からなかったんです。自分の家でさめざめと泣いてる姿も想像できないし。有名になりたいのは分かるし、大島薫のアイコン化っていうコンセプトも理解できるけど、その原動力となるエンジンが何なのかよく分からなかった。
薫:この本を編集して分かったんですか?
井戸:この本の大半を占める生い立ちの部分を読んで納得できたかな。大島薫とはこれまでの生き方をすべて受け止めた上で、すでにそこに在る形なんですよ。それをすべて言い表すことが難しいから短編小説が用意されていて、そこで薫ちゃんの抱いてる自分作りのイメージを描いてるんです。
──薫ちゃんは弱さをあまり表に出しませんよね。それは意図してることなんですか。
薫:たとえば芸能人のツイートを見てると、たまに病んでるツイートをしてる人がいるじゃないですか。あれがよく分からなくて、誰が喜ぶの? って思っちゃうんです。そういうのもあるし、あまり病むこともないですね。ネットでボクのことを悪く書く記事を見ることもありますけど、話題に上げられないよりかは全然マシです。ボクの悪口を書いた人がいたとして、その悪口を書くために文字を打つエネルギーや時間をボクが使わせたわけだし、ボクがその人を動かしたなと思うので。
──怒りの感情も湧きませんか。
薫:『MOOSIC LAB 2015』という映画祭があって、ターボ向後監督の『DREAM MACHINE』という作品にボクが出てるんです。その映画の撮影で「腹の立った昔の経験を思い出して、叫ぶような演技をして」と監督に言われたんですけど、ボクはできなかったんですよ。
──腹の立つエピソードがなかった?
薫:いや、あったんです。この本にも書いたんですが、高校の頃に通っていた画塾でこてんぱんにのされて、家に帰ってわんわん悔し泣きした時のことを思い出そうとしたんですけど、それは監督の求めていたものと違ったみたいなんです。ボクは自分の未熟さに対する怒りを表現しようとしていたんですが、監督は他人に対する怒りを求めていたんですね。それが象徴的なエピソードで、ボクの中で湧き立つ怒りは自分自身に向けられるもので、そこに他人は関係ないんですよ。何かに怒っても、それは自分への課題だし、他人のせいにはしないんです。だから批判に対しても腹が立たないんだろうし、「大島薫はこういうところがダメだ」と言われたら、それはボク自身の課題だし。
──どんなことをすれば薫ちゃんが怒るのか、今後のトークライブで突き詰めてみたいですね(笑)。
井戸:でも、本の表紙が変更になるかもしれないってことを伝えた時は珍しく怒り気味だったよね(笑)。部数を決める時に、「乳首が出てると書店が置くのを嫌う可能性があるし、そうなると部数が減る」って関係者の声もあったんですよ。
薫:ああ、あの時はムキになりましたね(笑)。「ボクは乳首を出さないとイヤです!」って主張したら、井戸さんが「どうせ出すならとことん出そう」って言ってくれたんです。表紙にしたい写真は決めてあって絶対に使いたかったし、そういう時にケンカする必要はないと思うけど、かと言ってそれを認める空気を自分が出すのもどうかと思うんですよ。「表紙を変える可能性がある」と言われて、「それはそうですよね、分かります」って引き下がったらボクは女の子になっちゃうし、自分らしくないですからね。