今年、結成30周年記念公演として日本武道館を満員にし、生粋のライブハウス出身のバンド代表として快進撃を続ける我らが怒髪天が"LOFT FES."に出演決定! 常にいちバンドマンとして現場の最前線に身を置き、今なお全国を転がり続ける怒髪天のボーカル、増子直純にライブハウス「ロフト」について話を聞いた!(interview:大塚智昭/新宿LOFT店長)
打ち上げの大乱闘で大先輩たちとのつながりを持てた
──新宿ロフトに初めて出演した時のことは覚えていますか。
増子:最初はあれだね、『札幌ナイトの逆襲』(1990年5月11日/出演:怒髪天、カイエ、ペケペケエントロピーズ、メンス、GO-GO-TIMES)。その前にチッタで『札幌ナイト』っていう札幌のバンドばかりが出るイベントがあって、それと連動した企画だったね。ロフトがまだ新宿西口の小滝橋通りにあった頃。
──ということは、オーディション・ライブは出演してないってことですか。
増子:やってないね。俺らは最初から持ち込み企画だったから。あとあれだ、『Junkie Jungle』っていうキャプテンレコードのコンピがあって、その発売記念イベントでロフトに出たんだわ(1990年11月20日/出演:怒髪天、RUMBLE FISH、LOOSEY-GOOSEY)。その2つのイベントはまだ上京する前だね。
──上京してからは?
増子:クラウンから出たアルバムのレコ発をやった(1991年9月4日/出演:怒髪天/ゲスト:GEN、the pillows、佐久間学 ほか)。その時の打ち上げで、まぁ大変なことになったんだけどさ(笑)。
──ああ、柴山(俊之)さんや池畑(潤二)さんと一悶着あったっていう(笑)。[註:詳しくは『怒髪天 増子直純 自伝「歩きつづけるかぎり」』のP.155をご参照下さい]
増子:昔の青春映画みたいなもんだよね。ケンカしてブン殴られてから仲良くなるっていうさ。でもあの一件のお陰で柴山さんや池畑さんにはいまだに可愛がってもらってるし、この世界の大先輩たちとつながりを持てたのはロフトのお陰だよね。
──それ以降、ロフトには?
増子:全然出てない。出てないって言うか出られなかったね。動員もなけりゃ箸にも棒にも引っかからない状態だったから。俺らが再始動した頃のロフトはもう歌舞伎町に移転してて、最初に見に行った時、これはもう出れんなと思ったもんね。あまりにキャパがでかくてさ。
──歌舞伎町のロフトに出た最初のイベントは覚えてます?
増子:もう自分らのイベントをやってたね(2001年5月25日『トーキョーブラッサム vol.5 〜命知ラズノ親知ラズ〜』、共演:電撃ネットワーク/OPENING ACT:アフロネガティブ3[オダギリジョー])。その前はずっとシェルターだった。ちょうどいいぐらいのキャパだったし、ニシ(当時の店長だった西村仁志、現・新代田フィーバー店長)とのつながりがあったからね。
──札幌にいた頃からロフトのことは認知していたんですか。
増子:当然だよ。ロフトは日本一のライブハウスだと思ってたし、ロフトに出るために東京へ出てきたようなもんだったからね。俺が大好きだったアナーキー、ARB、モッズ、ルースターズ…その辺のバンドは全部ロフト出身じゃない? 当時、いろんな雑誌の記事を読んでも、気になるバンドがライブをやるのは決まってロフトだったしさ。俺らの世代は全国的に憧れのライブハウスだったよ。
──実際にロフトのステージに立ってみてどうでしたか。
増子:最高だったね。地元のホールとは全然違ったよ。まぁ、最初に小滝橋通りのロフトに行った時は床があまりに汚くて座れなかったけどね。ゴキブリもメチャクチャいてさ(笑)。あと、あのトイレのシステムにびっくりしたね。楽屋と客席の両方からドアがあって入れるっていう。なんだこれ、画期的だなオイ! とか思って。
──終演直後のバンドマンと出くわしたりして。
増子:うん。それと印象的だったのは、楽屋のイタズラ書きやステッカーね。雑誌に載ってるのをよく見てたから、うわー、これだ! あのバンドのサインがある! って感激したよね。ロフトなんて俺たちのなかじゃ非現実的な世界だったし、ずっと憧れの場所だったからさ。
──西新宿から歌舞伎町に移転して、キャパ以外で何か感じたことはありましたか。
増子:治安を考えると、あんな所に作って大丈夫なのかな? と思ったね。小滝橋通りの時は、ライブが終わるとみんな外の駐車場に溜まって呑んでたけど、それは歌舞伎町じゃ絶対にできないじゃない? だから大丈夫なのかなと思って。でも歌舞伎町に移ってからはバー・スペースが出来たし、あそこにいればいいからね。あとやっぱりでかくなったのと、キレイになったのはびっくりしたな。まぁ、これも時代なのかなと思ったよね。
──というと?
増子:結局、小滝橋通りのほうも地上げで建物が随分と変わっちゃったじゃない? ロフトもそれで移転するしかないっていうのは、時代の流れでもうしょうがねぇんだろうなと思ったよ。俺も署名とかいっぱいしたんだけどね。
老舗のライブハウスこそ若いバンドに門戸を開くべき
──前のロフトのスタッフと今のロフトのスタッフの佇まいは大きく違うと思うんですが、その辺はどう感じました?
増子:いい意味で敷居が下がったって言うか、話しかけやすくなったね。前のロフトはやっぱり敷居が高かったからさ。店構えもそうだし、店のスタンスもそうだし。ゴリゴリのロック・ファンじゃないと近づけない、受けつけない雰囲気が店全体にあったし、それは店員にもあったと思うんだよね。ロフトで働いてるプライドや店の歴史から発するものがね。それが時代の変化とともにフランクになったって言うかさ。それでもロフトには老舗のプライドがあるし、今でもロフトでやりたいっていう地方のバンドはたくさんいると思うよ。
──有り難いことですね。
増子:それはもう、日本一のライブハウスであってもらわんと俺らも困る。そういうのはやっぱり、キャパとかの話じゃないんだよね。積み上げてきた歴史であったり、今までそこで活動してきたバンドの歩みだったりが老舗の風格になるわけじゃない? ロフトにはそれがある。凄いと思うな。あと、今のロフトでいいなと思うのはメシが美味いこと。プラスワンもそうだけど、ロフトはホントにメシが美味い。やっつけ仕事じゃないのがいいよ。
──ライブハウスだからこの程度のフードでいいだろうっていう意識は一切ないですね。
増子:打ち上げで美味いものを食える、食えないはけっこう大きいと思うよ。乾き物一辺倒じゃなかなかシビレるものがあるからね(笑)。
──今だから話せるロフトの打ち上げでのエピソードというと?
増子:それはもう、柴山さんや池畑さんと……。
──その話になりますよね、やっぱり(笑)。
増子:それに尽きるね。あれはいろんな意味で俺の歴史のなかで大きなことだし、あの一件によって脈々と続く日本のロック・シーンに深く関わることができたと俺は思ってるから。大きすぎる代償を払ってね(笑)。
──よく愛想を尽かさなかったですね。
増子:いや、ボッコボコに殴られた後でも良くしてくれたからね、先輩たちは。これが今の若い子らだったら没交渉になるのかもしれないけど、俺はただ大好きだった先輩たちに名前を覚えてもらえて可愛がってもらえて嬉しいってだけだったから。まぁ、ロフトの打ち上げはいろんな世代の連中と話ができるからいつも面白いよ。(石橋)凌さんと初めて喋ったのもロフトの打ち上げだったし。歌舞伎町に移ってからもオムライスに名前を書いてくれたりとかさ、ああいうのはいいよね。俺みたいにもともと地方にいたようなヤツは、いつか打ち上げでオムライスに名前を書かれるようになりたいって思うんじゃないかな。
──ひとつのステイタスとして。
増子:俺らと近い世代は、東京のなかじゃロフトに出るのが最終目標っていうバンドが多いからね。若い世代は分からんけどさ。音楽にトレンドがあるように、ライブハウスにもその時々のトレンドがあるじゃない? 今一番勢いのあるバンドが出てるハコはここ、みたいなさ。ロフトはそういうのとはまた別の所にあるからね。でも、キャリアを積んだバンドやロフトと関わりの深いバンドばかりが目立つようなスケジュールになっちゃいけないと俺は思うね。それは絶対に気をつけなきゃいけないと思うし、ある程度は若いバンドに門戸を開いたハコであるべきだよ。だからと言って何でもかんでも出しちゃダメだよ? ある程度の審美眼を持って、厳しくやっていって欲しいけどね。でもまぁ、難しいのかな、時代的に。
──時代的に?
増子:昔みたいにハチャメチャなバンドが少ないから。今は音楽がホントに好きでやってるバンドばかりじゃない? 楽器はロクに弾けないけど、とにかくはっちゃけたい、メチャクチャやりたいからバンドをやるもんだったから、俺らの世代は。そういう連中にとってロフトは最高の場所だと思うんだよね。ただ闇雲に暴れるとかじゃなく、メチャクチャにやってこそ褒められるハコだと思うからね、もともとのロフトは。