ロフトのスタッフはアットホームで懐が深い
──でも、そのTHE BACK HORNに出会い、加入した事で光舟さんも『ベース・マガジン』の表紙を飾れたんでしょうしね(笑)。
松田:そうかもしれない(笑)。ロフトのスタッフからバンドに入るなんて珍しいケースだろうし、信頼できるメンバーと出会えた場所がロフトだったというのも象徴的な出来事ですね。
山田:あと、ロフトと言えば打ち上げですよね。対バンしたバンドは先に帰って、最後まで残ってたのはいつもメンバー4人だけなんだけど(笑)。
松田:打ち上げでは各々のバンド論みたいなものを語り合って、ロフトのスタッフがそれを頷きながら聞いているっていう(笑)。
──ロフトのステージはライブがしやすかったですか。
松田:最初の頃は雰囲気が掴みづらかったんですよ。中音は凄いデッドで、外へ音が広がっていく実感がないままストイックにライブをやっていたんです。お客さんと音を共有する感覚がいまいち掴みきれなかったと言うか。今日はいいライブができたなと自分たちで思っても、スタッフの反応がいまいちだったこともあったし。
山田:「内々だけで盛り上がっても、外まで伝わってこなかったよ」とか言われたりして。
──まぁ、作りもちょっと独特ですからね。
松田:でも、そういう所でライブをやることがいい意味で試練の場だったんですよ。シェルターみたいに慣れた環境からキャパ的にもステップアップして、自分たちを鍛えさせてもらえたので良かったです。
──ロフトの対バンで特に印象に残っているバンドは?
山田:54-71はもの凄く格好良かったですね。
松田:ああ、fra-foaやREDЯUMとやった時だ。あれはロフトのブッキングだったと思うけど、最高でしたね。あと、これはライブじゃないんですけど、バー・ステージで怒髪天の増子(直純)さんやZAZEN BOYSの向井(秀徳)さん、雷矢のヤスオさんたちが弾き語りで好きな曲を唄い合うことがあって。
山田:濃いメンツだなぁ(笑)。
松田:それにつられて将司が栄純と一緒に「何処へ行く」を唄ったことがあったんですよ。打ち上げの延長みたいな感じで、あれは特に印象に残ってますね。確か怒髪天とイベントで一緒になった時だったのかな。ロフトの打ち上げは、ただ呑んだくれてるだけじゃなくて歌もセットだったって言うか。隣りで(上原子)友康さんがギターを弾き始めたりして。
山田:俺は打ち上げだけじゃなくて、2001年くらいの頃はよくロフトへ呑みに行ってたんですよ。光舟もまだ働いてたし、スタッフの雰囲気も良くて。当時住んでた家もロフトまで歩いて20分くらいの距離だったし。
松田:ほぼ毎日通ってたんじゃないかってくらい顔を出してたよね。
山田:バー・カウンターで働く光舟と呑みながらいろいろ話したりしたし、当時のロフトのスタッフとも仲良くなったりして。
──それが後の“よかっぺBAR”開催にもつながるんでしょうね。
山田:それはありますね。今の店長の大塚(智昭)君と仲良くなったのも、ロフトでよく呑んでた時だったので。“よかっぺBAR”では茨城産の食事の仕込みでもロフトに力を借りたんですよね。
松田:出演するバンドと一緒に面白いことをやろうとする企画力、実行力がロフトにはありますよね。
──マツさんはロフトから飛び火して、ロフトプラスワンでトークライブまでやって頂くようになって。
松田:そうだ、そっちのつながりもありましたね。『福島大逆襲』っていう『音楽と人』の連載をまとめた本の発売記念で出たのと、ゆべしスっていう箭内道彦さんと一緒にやってる弾き語りユニットのライブをプラスワンでやったんですよ。
──他のライブハウスと違うロフトの特徴ってどんなところでしょう?
松田:最近は顔を出せてないので昔のイメージで言うと、店員さんがアットホームで温かくて、懐が深いですよね。何回かイベントに出続けると顔を覚えてくれて、優しく接してくれたり、打ち上げでも酒を多く出してくれたりして。あと、歴代の店長のブッキングに懸ける熱さですかね。
山田:俺は一時、居住区域でしたからね(笑)。ああいういかがわしい街の地下室に、尋常じゃない熱量と興奮が渦巻くスペースがあるっていうのが魅力的ですよね。
──今回の『LOFT MUSIC & CULTURE FESTIVAL 2014』は、ロフトが歌舞伎町へ移転して15周年を迎えた記念のイベントなんですが、THE BACK HORNはこちらからオファーしてすぐに快諾して頂いたんですよね。
松田:思い入れのあるロフトからのお誘いですからね。僕らも初めてロフトのステージに立ってから15年が経つし、15年分の思いを抱きながらがむしゃらにライブをやりたいです。
──今回の出演者のなかで一番関係性が濃いのは、やはり怒髪天ですかね。
山田:そうなりますかね。
松田:去年もツーマン・ライブ[DOHATSUTEN 三十路(ミソジ)まえ “七色の虹をかける野郎ども”]に呼んでもらいましたし、昔から仲良くさせてもらってますね。
──怒髪天とはひと回り年齢差があるのに、これまで共演する機会が多々ありましたよね。
松田:怒髪天とは僕らがまだシェルターでライブをやる前、増子さんとマーブルダイヤモンドの倉山(直樹)さんがCLUB Queでやってた企画(『Discovery Japan Vol.3』、2000年8月)に呼んでもらって、それが初共演だったんですよ。ちょうどその頃に怒髪天が活動を再開したので、共演させてもらう機会が多かったんですよね。