音楽や人形が「内なる声」を誘発する
──作品ごとにお尋ねします。まず「夜のあしおと」ですが、画家の女性を別のアトリエへといざなった首の長い異形の生き物は、女性のメタファー、言わばもう一人の自分ということでしょうか。
カヨ:その通りです。あれは女性の中に棲んでいる「怪物」です。
実はこの「夜のあしおと」は当初、『恐怖短編映画祭り』で上映するために書いた「怖い話」だったのですが、内容がストレートに「怖い話」ではないこともあり、その次の『立方体サーカス』というライブ・イベントで上映することに変更したのです。
でも、これは私にとってはとても「怖い話」です。画家である友人と会話をしていて、創作活動をする上で怖いと思っていることについて話をしたことがあり、その内容が反映されています。あの「怪物」は、彼女自身が取り憑かれている「不安」が生んだものでした。「不安」が人を創作に駆り立てることもあるけれど、「不安」に追いつかれ、喰われてしまうこともある。そういう「怖い話」です。
──「兎たちの囁き」は擬人化したウサギの愛らしい表情と相反する身も凍るような展開と結末ですね。ああいった内なる声に背中を押されて創作に向かうことはありますか。
カヨ:物語を考える瞬間はいつも「内なる声」に動かされているように感じています。
ミュージック・ビデオを作る時に特に感じます。何度も何度も繰り返し曲を聴いているうちに、その世界にどっぷりとはまって、自分自身は動けなくなってしまう。だけど気づくと、すごい勢いで物語を書き上げてしまっている。そういう現象がよく起きるのです。
「内なる声」というのは自分の中の無意識の部分のことであり、当たり前の話ですが、無意識の部分を意識的に作ることはできません。音楽が、人形が、それを誘発するのだと思います。
「兎たちの囁き」に関しては、最初に、あの擬人化したウサギが出てくる怖い話を作る、ということだけを決めてしまっていました。そして、あの2匹の兎のことをひたすら考えて、何かが浮かんでくるのを待ちました。そこで浮かんできたのがまさにその「内なる声」を映像化する、という内容だったのです。
これは「夜のあしおと」でも描いた、自分の中に棲む「怪物」と同じものです。誰もが、こういう「怪物」を無意識の中に持っているんだと思います。この「怪物」との付き合い方が、芸術活動というものなのかもしれません。
──「森の贈りもの」は“ReguRegu版「浦島太郎」”といった趣もあるように感じました。ReguReguの作風は本来恐ろしい結末だったという日本の昔話やグリム童話、わらべ歌にも通ずると思えるのですが、意識はしていますか。
カヨ:「浦島太郎」とは面白いですね。確かに主人公が良いことをしたはずなのになぜかひどい目に遭ってしまう、というところが似ていますね。実際には昔話を意識したわけではなかったのですが、結果的にそうなってしまったようです。
この作品は、ここ数年やらせていただいている『恐怖短編映画祭り』というイベントのために書いたものです。夏の夜、公園に設営された巨大なテントの中での野外映画鑑賞、という貴重な機会だったので、さらに臨場感を出すため、会場の公園にある森の中で実際に撮影をしようと思ったんです。それで、森の中、怖い話、ということで、昔話のような作りになったのでしょう。
また、この作品を作る時に、ちょうど朝の再放送で『エースをねらえ!』をやっていて、監督の出崎統の世界にすっかり魅了されてしまったこともあり、彼が得意としていた「3回パン」などのベタな表現を多用して漫画的な「恐怖」を表現してみたりしました。実際観てみると、恐怖と言うには間抜けすぎですけれど(笑)。
「youth パラレルなユニゾン」だけは不条理な結末にしたくなかった
──「こゆび泥棒」はReguReguの真骨頂とも言うべき奇妙なパラレル・ワールドを描いた傑作ですが、どんなことから着想を得たのでしょうか。
カヨ:この作品は、血と雫の札幌初ライブの際に新作を発表することになって考えた作品です。
ご存知のようにとてもカッコいいバンドですから、とにかく今まで作ってきたようなちょっと間の抜けたストーリーを入れては申し訳ないと思いまして(笑)。
それで、シリアスなストーリーを、と考えたのです。ちょうどその頃は北海道の長い冬の真っ最中で、道民は程度の差こそあれ皆そうなると思うのですが、私も少し鬱っぽい思考になっていまして、自分の存在そのものが霧に包まれているような、不安定な感覚を覚えることがたびたびあって。じゃあこの感覚を形にしてみよう、と思いついたのが「こゆび泥棒」でした。自分が本当にこの世界に存在しているのか、そういう不安定さがテーマなんです。
──「空の切符」も如何にもReguReguらしいブラック・ユーモアが散りばめられた作品ですね。シッポを振りながら雪の中を走り回るイヌの演技も実に素晴らしい。人形たちがReguReguの手を離れて予想以上の演技をするのはよくあることなのでしょうか。
小磯:ありがとうございます。なんたって背景の雪は本物を使っていて、撮影当時住んでいた、かつて下宿屋として使われていた家の、4畳半ほどあった玄関に大量の雪を入れて撮影をしました。
一応家の中なのに、いつまでも雪がとけないというワイルドなトコでしたから、使わなくちゃもったいないですもん。
「空の切符」を観るたびに、死ぬのってきっとこんな感じなんだろうなぁって思います。
人形たちの演技には撮影してていつも驚かせられます。魂が宿っているような、カヨさんの作る人形は自分にとって特別なものです。
不思議な話が好きなので、不思議なことを体験できる撮影が好きです。
──血と雫の「夜のゲーム」と「夜をつくる」のミュージック・ビデオはともにエンディングにカラスが現れて連作のように思えます。以前から親交の深い森川誠一郎さんからはどのようなオファーを受けたのですか。
小磯:森川君は尊敬するアーティストであり、大切な友人です。彼は素晴らしい音楽家であり、優秀なプロデューサーでもあります。
歌も高橋幾郎さんのリズムも入っていない山際英樹さんのインスト曲をプロモーション用に選んで、私たちに血と雫の世界を表現させるなんて、なんてニクいことをするんでしょう。
できればバンドがある限り関わらせていただきたいので、勝手に連作として作ることにしました。
時間軸としては「夜のゲーム」から「夜をつくる」へと流れてゆきます。この続きが楽しみと言ってもらえることが光栄です。
私たちも次のアルバムを楽しみにしているので、いい関係になれて幸せ。
もともとファンだったので、今、一緒に作品を作れることが本当に嬉しいです。
──「ocean」、「curve」に続くブラッドサースティ・ブッチャーズのミュージック・ビデオ「youth パラレルなユニゾン」はまだ若くて未熟なサーカスの曲芸師が主人公で、彼が子どもの頃に空中ブランコの曲芸師に憧れたように、エンディングではまた違う少年が客席から主人公に喝采を送って話が終わります。つまり、芸は受け継がれていくと。これは曲芸と同じくブッチャーズの音楽も絶えず受け継がれていくというReguReguなりのメッセージなのでしょうか。
小磯:ブッチャーズの音楽はもちろん、世の中の本当に残るべきものは必ず次の世代へ繋がっていき、決して途絶えることはない、と信じています。普段は照れくさいのもあって、メッセージ性を強く出すのが苦手なので、結末を不条理にもっていくことが多いのですが、これだけは不条理にはしたくありませんでした。