札幌在住の小磯卓也とカヨから成るストップモーション・アニメーション作家、ReguRegu〈レグレグ〉が初のショート・フィルム作品集『ゆめとあくま』を発表した。ReguReguの名前は知らずとも、あのブラッドサースティ・ブッチャーズのPV『ocean』と『curve』を手掛けたクリエイターだと言えばピンと来る人も多いだろう。羊毛を使った純真で愛らしいフェルト人形たちは一切喋らず無表情のはずなのだが、ひとたび彼らの手に掛かると命が吹き込まれ、伸び伸びと喜怒哀楽を体現するようになるから不思議だ。そして、彼らの紡ぎ出す物語にはブラックユーモアが随所に散りばめられ、その結末は何とも言えない余韻を観る者に与える。幽玄の世界はいつしか現実を侵食し、我々の内に秘めた闇と病みを露わにする。駒撮りという儀式を介して、彼らは夢と現をたやすく反転させる魔術をかけているかのようだ。
愛情がふんだんに注ぎ込まれたフェルト人形たちを通じてReguReguが伝えたいものとはいったい何なのか。また、シュルレアリストを自称する彼らが創作に向かう火種とはどんなものなのか。『ゆめとあくま』のリリース・パーティー開催のために上京したReguReguにじっくりと話を訊いた。(interview:椎名宗之)
吉野 寿と吉村秀樹に背中を押されて本格始動
──そもそもどんな経緯でReguReguの活動が始まったんですか。
小磯:私は数年前まで十蘭堂というバーをやっていて、そこで100回くらいやっていたライヴのフライヤーやポスターのデザインをカヨと2人で手掛けていたんです。ある日、カヨが狂ったように絵を描き出したんですよ。何かに取り憑かれたかのように毎日何枚も何枚も描き続けて、それがもの凄い量で。
カヨ:簡単な線で描いたイラストなんですけど...(笑)。大した絵じゃなくて、落書きみたいなものですから。
小磯:でも、描く世界観みたいなものは今の作風に通じるものがあると思う。その延長でカヨが人形を作ったんだけど、その時はアニメーションを作ることなんて全然考えていなかった。そんな頃にあるバンドのワンマン・ライヴを企画していたんだけど、メンバーが脱けちゃってライヴの1ヶ月前に企画が潰れちゃったんです。で、会場を押さえていたからどうしようかと考えていた時に、遊びでアニメーションを作ってみようとふと思い立った。それが『OTOBIBANASHI』という映像と音楽を組み合わせた企画で、1ヶ月で2つの映像作品を作ったんですよ。カヨのリーダー作品と私のリーダー作品の2つを。そしたらカヨの作品が凄く評判が良くて、上映が終わった後の拍手がもの凄くてね。なかには泣いている人までいたくらいで。その時に、これは絶対に映像を作り続けたほうがいいと思った。それが3年くらい前の話。
──その頃から駒撮りの手法を採り入れていたんですか。
小磯:うん。今思えば酷くへっぽこな作品だったけど(笑)。その『屋根の上の亜呂亜』という作品を今回のDVDに入れるかどうか悩んだんだけど、カクカクにも程があるカクカク具合だったのでやめました(笑)。
──それ以降、本格的にストップモーション・フィルムの世界にどっぷりと浸かっていくわけですね。
小磯:ウケたものだから調子に乗って『OTOBIBANASHI』のvol.2をやって、それもお客さんが凄く入ってね。あと、吉野(吉野 寿/イースタンユース)が札幌に来た時に家に遊びに来てくれたことがあって、出来たばかりの作品を見せたら凄く褒めてくれたことも大きな自信に繋がった。「これは本気でやったほうがいい」って言ってくれて。その後、ヨウちゃん(吉村秀樹/ブラッドサースティ・ブッチャーズ)が札幌に来た時に『OTOBIBANASHI』のポスターを呑み屋で見たらしくて、「おう、(PVを)やってよ」なんて簡単に言われてびっくり(笑)。
──それが『ocean』に繋がると。古くからのバンド仲間に背中を押された部分も大きいんですね。
小磯:ホントにそう。彼らの後押しを受けてReguReguとしての活動を本格化させていったから。人生、何が起こるか分からない。
──小磯さんは十蘭堂を始める前にアルフォンヌやダイバダッタといったバンドや"SLAVE"という自主レーベルをやるなど、80年代〜90年代の札幌インディーズのキーマンとして活躍していて、吉村さんとはスピットファイヤーというバンドを一緒にやっていたんですよね。
小磯:自分はもともとアヴァンギャルドな音楽が好きで、そんなにハードコアを聴いていたわけじゃないんだけど、私がベースを弾いていたバンドのライヴをヨウちゃんとナオキ(スピットファイヤーのヴォーカル)が見に来てくれて、そこでスカウトされたんです。「ヘンなベースを弾くヤツがいる」ってことで。それからハードコアの人たちと仲良くなったんだよね。ヨウちゃんには2度人生を大きく変えられていると思う。スピットファイヤーに誘われた時と、『ocean』のPVを頼まれた時。彼はどちらも軽い気持ちだったかもしれないけど、こっちとしてはとても大きく変えられた。
──吉村さんは小磯さんにPVを依頼した時に「昔から知ってるからお互いのやりたいことや価値観がすべて分かるんだよね。小磯にはクリエイターの持つ愛情やセンスもあるし、間違いないと思った」と話していましたけど。
小磯:ヨウちゃんと一緒にバンドをやっていた時は凄く楽しかったね。スピットファイヤーは人気者のバンドだった。ナオキが凄く人気者で、ヨウちゃんも楽しそうだったね。
駒撮りも写真も最初に撮ったのが一番
──『ゆめとあくま』に収録された7つの作品はどんな基準で選ばれたんですか。
小磯:入っているのは全部『ocean』以降の作品ばかりですね。それ以前の作品は、今見るとちょっと照れくさいんですよ。あまりにもカクカクだから(笑)。だからと言って気に入っていないわけじゃないから、撮り直そうと思ったこともあったんだけど、撮り直すと大事なものがなくなっちゃうような気がして。だから撮り直すのはやめようと。撮り直せないし、人にも見せられないっていう(笑)。
──YouTubeにアップする考えはありませんか。
小磯:初期の作品は尺が長いんですよ。『OTOBIBANASHI』で上映した作品はどれも生演奏に合わせて流していたものだし。『屋根の上の亜呂亜』も『月の穴』も30分くらいあるから、YouTubeで見るにはよっぽど集中力のある人じゃないとムリだと思う(笑)。大きなスクリーンで生演奏と合わせてなら見られると思うけど。
──いつかDVDとしてまとめようという発想はなかったですか。
カヨ:全然(笑)。
小磯:ライヴで上映してオシマイ、っていう感じだった。『ocean』より前の作品は、音楽をF.H.C.という札幌のバンドにやってもらっていたんだけど、『ocean』と『curve』の後に作った作品からは自分たちで音楽もやるようになったんです。カヨがずっとピアノで曲を作っていて、ストックが100曲くらいあったんですよ。それなら音楽も自分たちでやってみようと思って。F.H.C.の音楽ももちろん良かったんだけど、自分たちでやったほうがよりしっくり来るようになった。セリフがないから余計に音楽が大事だし、音楽と映像はこれからもずっと自分たちでやっていきたいですね。
──ご自身で音楽まで手掛けたほうが一体感も増すし、作品としての精度も上がるんじゃないですか。
小磯:監督が音楽まで手掛けるのってあまりない気がする。チャップリンは自分で劇伴を作曲していたけど、演奏まではしていないでしょう。
──ケース・バイ・ケースだと思うんですが、劇伴は映像を見ながら浮かんでくる音を被せることが多いんですか。
カヨ:『カスタネットちゃんの眠れない夜』は映像を見ながら弾いたんですけど、他の作品はたくさん録っておいた音から選んで使いました。
小磯:カヨは今も毎日3枚くらい絵を描いているし、曲も次々と作っていて、ちょっとおかしいんです。病気だと思う(笑)。毎日何かしら作っていないと狂っちゃうんでしょう。
──小磯さんは演奏していないんですか。
小磯:ちょっとだけ、ノイズとベースをやっています。カヨとしては、私がもっと音楽で活躍するかと思ったら意外と力にならなかったと思っているんじゃないかな(笑)。
──バンドで培ったものをReguReguに反映させようとは思いませんか。
小磯:何も培ってないんじゃないかなぁ(笑)。私はプレーヤーじゃなくて、企画屋だから。随分長いことバンドをやっていたけど、自分で作った曲なんて数曲しかないし。例外的なのは最後にやったアシュラスクールっていうバンドかな。アシュラスクールでは6、7曲から成る3、40分のロック・オペラをやっていて、私が最初に長い歌詞のストーリーを書いて、「こんな感じの曲を作って」とメンバーに割り振りをしていくんです。それで出来た曲をメンバーに渡して、練習しないで2回だけライヴをやる。練習をした演奏があまり好きじゃないから。そういうのをずっとやっていたんだけど、2回目のライヴはもうあまり面白くない。1回目のほうが断然面白い。ReguReguにもそれは繋がっている気がする。駒撮りを何回も撮り直さないし、仮に撮り直したとしても一番最初に撮ったのがいいんです。たとえヘタでもそれがいい。写真も一番いいのは大抵最初に撮ったやつだしね。