もっと新しい表現がどこかにあるはず
──隆広さんが制作に没頭している時は、哲也さんが全体を俯瞰するような感じですか。
哲也:常にそんな感じですね。演奏してる時はまた別ですけど、反応を窺いながら俺は自分のやるべきことをやるっていう感じです。
──隆広さんが書き上げてきた歌詞に対して意見を言ってみたりとかは?
哲也:いや、意見することは特にないですね。
隆広:勝手に唄っちゃうからね(笑)。
哲也:勝手に変わってもいくし(笑)。嫌いなことは何ひとつ唄ってないし、むしろ凄く共感を覚える好きな歌詞ですから。
──隆広さんが持ってくる歌詞やメロディからインスピレーションを受けてリズム・パターンを決めていくアプローチなんですか。
哲也:作業の8割方はそんな感じですね。
隆広:Aメロ、Bメロなんて考えてない。でも、曲が出来る時は凄く早いよ。
──となると、“作る”というよりも“生まれる”という感覚に近いですよね。
隆広:そうそう。まさにそれ。
──まめにスタジオに入ってリハを重ねるという感じでもなさそうですし。
隆広:スタジオは好きな時に入る。“今日は何か生まれそうだな”っていう時とかにね。スタジオに入ってみたら生まれたケースもあるけど。
──如何にもライヴ映えしそうな『カメレオンダンスカーニバル』や静寂と激情が交錯した『Kill Me Softly』といった曲は、物語性のある歌詞がとてもユニークですね。
隆広:そういうのが得意だし、好きなんだよ。自分で絵本を描いたりもするからね。
──無条件に踊れる感じの曲では痛烈な批評性が鳴りを潜めて、物語性に富んだ作風に寄っている印象を受けたんですよね。
隆広:ああ、なるほど。そうなのかもしれないね。
──最も寓話的なのは鍵盤をフィーチャーした『StadiuM』ですよね。3人の子供達、フクロウやコウモリといった登場人物も賑やかで。
隆広:『StadiuM』は曲より先に絵本が出来たんだよ。その歌詞のまんまの絵本がね。テーマは環境破壊と言うよりも人間の愚かさだね。愚かな人間の姿をフクロウの視線から見ていると言うか。その絵本をスタジオに持っていって哲也に見せて、歌詞で言いたいことや曲の雰囲気を口頭で伝えたわけ。そのニュアンスをイメージして哲也がリズムを叩き出して、“それ!”みたいなね。
──絵本ありきで曲が生まれるなんて、如何にもSadyMadyらしいエピソードですね。
隆広:曲の作り方に決め事はないんだよ。逆に絵本を作りたいと思ってる曲もあるしね。
哲也:曲が出来るパターンはいろいろあるし、順番もグチャグチャだよね。
隆広:『Nice 2 Fxxk U』は心地好いメロディを先に持っていって、「何か変わったリズムない?」みたいな感じで進めていったしね。で、さっきも言ったけど、心地好いだけじゃつまらないから毒のある言葉を盛り込んで。でも、BGMで掛かっても普通に心地好く聴けちゃうと思うんだよね。
──確かに。カフェで流れていてもおかしくない耳心地の良さがありますからね。
隆広:でしょ? そういうことをしたいんだよ。たとえて言えば、パンク・ロックをパンクスだけに聴かせたいんじゃなくて、パンク・ロックに何の興味もない人の中にも俺と同じ気持ちの人がいるような気がしてさ。
──ありきたりの表現はしたくないという意志が根底にあるんでしょうね。
隆広:ありきたりのものの素晴らしさもちゃんと理解してるけど、もっと新しい表現がどこかにあると思うんだよ。まぁ、無理に新しいことばかりをやろうとは思ってないけど。何と言うか、イタズラが好きなんだよね。レコーディングは慣れてないからイタズラは余りしなかったけど、普段からイタズラをするのが好きなんだ。
哲也:でも、歌録りのテイクの時にカギの音をジャラジャラ鳴らしてみたり、わざを息を入れてみたり、イタズラはありましたよ。まぁ、それも歌詞の流れで何かしらの意図があるんでしょうね。俺は面白がって見てましたけど(笑)。
自らが触媒となって降りてくる言葉
──『SODA』の冒頭で子供達の声が入っていたり、浮遊感のある歌から一転、唐突に激情モードになったりするのもそんなイタズラ心の表れのように感じますけどね。
隆広:でも、別に狙ってるわけじゃないんだよ。感覚の赴くままにやってるだけだから。
──『SODA』の歌詞の中で、誰の心にも天使と悪魔が居るっていうのはデタラメなんだと言及しているのが興味深かったんですよね。
隆広:何と言うか、素直な気持ちというのを突き詰めていくと、誰しもが認める正解には辿り着かない時があるんだ。誤解を恐れずに言うと、作詞のクレジットは俺になってるけど、俺が書いてるんじゃない。もちろん俺自身がフィルターにはなってるんだけど、日常の身の回りで起こってることが歌詞を書かせる。会って話した人、遊びに行った場所、見聞きしたもの、食べたものによって出てくる言葉は変わってくるんだよ。俺が書いてると言えば書いてるけど、身の回りの事象も一緒になって歌詞を書いてるんだ。そういうことを言いたかった。
──ひとりの人間を触媒として様々な事象が交錯しているから、天使と悪魔という単純な二分化はできないということですね。
隆広:うん、できない。たとえば俺が何らかの罪を犯したとして、非難されるべきは俺だけじゃないということ。罪を犯すだけの複合的な要因があって、本当はそれも非難されるべきなんだよ。
──まるでイタコのように自らが触媒となって言葉を降ろしている感じですね。
隆広:そのつもり。だから、歌詞を書く時も絵を描く時も何ひとつ狙ってないんだよ。降りてきたものをそのまま形にするだけ。
──ギターのコード進行も同じ感じなんでしょうね。
隆広:全く同じだね。ずっとギターを触ってると、いつの間にか曲が出来ていたりするから。コードのことはよくわからないから、哲也に「このコード、何?」って訊いたりするんだけど。
哲也:それがかなりデタラメなんですけど、感覚的で面白いんですよ。
──型にハマったコード進行じゃないから、コピーするのは難しそうですね。
隆広:難しいだろうね。簡単には弾けないと思うよ。3弦ないほうが良い音が鳴るとか、そんな感覚で弾いてるし。奇を衒ってやってるわけじゃなくて、そういうのはインスピレーションだからね。だから凄く説明がしづらい。すべて俺の感性の話だから。
──『こころ』の歌詞で描かれている脳みそと心臓の関係は、僕も常々同じことを考えていたので凄く共感できたんですよね。実際に思考するのは脳みそなのに、こころと言えば心臓のことを指したりするわけで。
隆広:面白いよね。当然脳みそは通すんだけど、ドキッとしたり苦しいと感じるのは心臓なんだよ。脳みそがドキッとしたことや痛みを“落ち着け!”って指令を出して処理するんだけど、心臓はその処理を見てるわけ。“ごまかすところを俺は見てたぞ”ってね(笑)。そんなことをいつも考えてるんだよ。常に何かが降りてくる。
──それだけいろんなものが降りてくると、アウトプットする機会が間に合わなくて大変なことになったりしませんか。
隆広:追い付かなくなって大変なことになる時もあるよ。だからノートとペンをいつも持ち歩いてる(と、実物を差し出す)。こういうノートがもう40冊くらい溜まってるね。凄いスピードで溜まっていくんだよ。
──スウィング・ジャズ調の『Touch Up』は英詞で唄われていますけど、これも感覚的なものなんでしょうか。もしくは言いづらいことを言及する時には英詞にするとか。
隆広:『Touch Up』は英語じゃない部分もいっぱいあるんだよ。歌詞カードにはイントロの部分しか書いてないでしょ?
──そうですね。辛うじて“Lost Child”や“Lost World”といった言葉は聴こえましたけど、わざと聴き取りづらいヴォーカルの処理をしていますよね。
隆広:うん、わざとね(笑)。要するに、これは歌声をちゃんと伝えない曲なんだね(笑)。イントロの英詞はデタラメだけど、語感の響きを大事にしつつ、その語感にどの言葉を当てはめるかをちゃんと考えてるんだよ。これも凄く感覚的な言葉のチョイスだね。絵に色を付けるような感じに近いと思う。