1988年、札幌で産声を上げたイースタンユースが、今年で活動20周年を迎える。これを記念して、彼らが深いリスペクトの念を捧げるアーティストが一堂に会したコンピレーション・アルバム『極東最前線2』、『1996-2001』『2001-2006』と題された2枚のベスト・アルバムが一挙発表されることになった。
今更説明するまでもないが、『極東最前線』とは1994年11月に第1回目が行なわれて以降、彼らにとって重要な活動基盤となっているシリーズ・ライヴであり、毎回彼らがリスペクトするアーティスト1組を迎えて定期的に行なわれている。2000年にはその音源の具現化として第1弾が発表され、ブラッドサースティ・ブッチャーズ、ファウル、怒髪天、DMBQ、ナンバーガールら全12組が参加。今回8年振りに発表となる第2弾は、パニックスマイル、少年ナイフ、ゆらゆら帝国、カーシヴ、小谷美紗子、タテタカコら2000年以降に招聘されたアーティストを中心に全29組が参加した2枚組仕様という圧倒的なヴォリュームを誇っている。
そのすべてがこのコンピレーションのために書き下ろされた新曲、もしくは初収録の音源というのだから驚異的だが、そのどれもが極めてクオリティの高い楽曲であることは驚嘆に値するだろう。それはもちろん各アーティストが類い希な才覚と力量を有しているのが最たる理由だけれども、「『極東最前線』に迂闊な楽曲は持ち寄れない」というミュージシャンとしての矜持が漲るテンションを生み、これだけ良質な楽曲として昇華したのではないか。つまり、イースタンユースもそれだけの深いリスペクトの念を参加アーティストの面々から捧げられているということだ。
活動の節目を自ら賑々しく祝うのは彼らの流儀ではないだろうし、この20周年もあくまでズッコケ道中のひとつの通過点に過ぎない。ただ愚直なまでに飽くなき生への渇望を歌として紡ぎ、それを形にしていくことで社会と関わりを持とうとする彼らは、今日もまた荒野に針路を取って寄る辺なき旅を続けているのだ。(interview:椎名宗之)
ファウルへの参加オファーはファン代表として
──今年はバンド結成20周年ということなんですが、『極東最前線2』と2枚のベスト・アルバムを同時リリースするという思いのほか大きな展開となりましたね。
吉野 寿(エレキギター、ボイス):そうですね。まぁ、俺が望んだわけじゃねぇけど(笑)。何だか知らないけどこんなことになってしまいました。
──『極東最前線2』は全29組ものアーティストが参加する2枚組コンピレーションで、よくぞここまでの面子が揃ったなという感じですが。
吉野:ホントにね。みんな意外と快く参加してくれて。スケジュール的になかなか難しい人もいたんだけど、その辺はニノ(二宮友和、ベースギター)が1組ずつ丁寧にオファーをして。今まで『極東最前線』に出てくれた人全員にお願いしたんですよ。今回はあいにく都合が合わんです、っちゅう人だけ入ってなくて、後はみんな入ってくれたんです。
──刮目すべきは、活動休止中のファウルが参加していることですよね。これは吉野さんたっての希望で?
吉野:メンバーみんなですよ。まぁ、ファウルに関しては気持ち的にもちょっと特別で、ファウルのいちファンとしてバンドの火種を消したくなかったんですよね。もうバンドが存在していない、解散してるってことなら諦めもつくけど、休止中ってことなら何か火種を残しておけば次に繋がるじゃないですか。それでお願いしてみた。それはもう、完全にファン心理。幸いにも俺はそういうことを言える立場にあるので、それを最大限利用してひたすらお願いしたわけですよ。「とにかくやってくれ!」と。「録音だけでいい! 何なら俺たちがMTRを持ってって録りますから! ホントお願いします!」って。それで「じゃあ...」ってことになったらしい。
──やっぱりビヨンズではなくファウルで、ということだったんですね。
吉野:うん、そうだね。やっぱりファウルじゃないと。引き受けてくれて良かったですよ、火種は残せたわけだから。1年に1回でいいから、マイペースにちょっとずつやってくんねぇかなぁと思うんですけどね。またライヴを観れると嬉しいんだけど。
──坂本商店時代のイースタンユースとファウルの盟友関係は、ちょっと他に比肩するものがないですからね。
吉野:まぁだけど、仲間って言うよりはただ俺が大ファンなだけだからね。あんなバンドは他にないと思ってるので。誰にも似てないし、凄くステキなバンドだと思ってるから。だから大ファンなんですよね。今回もただのファン心理です。ファン代表ですよ、これに関しては。使えるカードは全部切った(笑)。
──ファウルの音源が聴けるのを僕もいちファンとして凄く楽しみにしていたんですが、残念ながらこの取材までには間に合わなかったんですよね。
吉野:まだ録ってないからね。ニノがMTRを持ってって、朋美(今井朋美、イースタンユースのライヴPA)と2人で録るって言ってた。それがまた楽しみなんだよ。俺は素朴な録音のほうがいいと思うんだよね、バシッて録るよりも。
──イースタンユースは今回、「東京」という新曲をこの『極東最前線2』のために書き下ろしていますね。首都高を駆け抜けていく車のライトや看板のネオンが溶け合って伸びて、ぐるぐると回るような景色が目に浮かぶ音像ですが...。
吉野:うん。東京に限らず日本の大都市はみんなそうだけど、いろんな人がいるわけですよね。東京はその中でも日本においては一番中心の都市で、いろんな人がいろんな目的でいろんな所からやって来て、いろんな生き方をしている。東京という街はそれを全部許容しているって言うか、すべてを内包している。すっげぇ悪い奴もいればいい人もいてグッチャグチャになってて、混沌としてるのにひとつの秩序が保たれてるって感じ。崩壊せずにちゃんとうまく機能してるって言うか。1人1人の持ついろんな色彩やいろんな輝き方があって、それがひとつになってもはや何色なんだか判んないんだけど、東京っていうひとつの色になってるわけですよ。不気味な輝きを全部内包して。表面的にはアイドルみたいなキラキラした世界もあるし、その裏ではブランドに対する物欲や金銭欲が渦巻いてる。いろんな活動の発信中心基地でもあるし、悪徳の巣窟でもあるわけですよね。それらが全部同居してて、互いに容認せざるを得ないって言うか。その感じが、今回のコンピレーションのコンセプトっていうものと等しいと思ってるんですよね。
呑み込んで呑み込まれながら生きている
──東京という街と同じく、実に幅広い層のアーティストが参加しているという。
吉野:要するにいろんな人がいるから面白いし、素晴らしいわけ。ひとつの色で統制しようとすると、おんなじ顔になっちゃうわけです。全員に学生服を着せるとかさ。そういうのは面白くないんですよ。いろんな人がいて、反目し合いながらもおんなじひとつの条件下でひとつの秩序として生きているっていうようなニュアンスを「東京」という歌の中に込めたかったんです。音像的に具体的なことを言うと、こうして静かに座ってるといろんな音が聴こえますよね? 都会の中にいると特に。車のブワーンと走る音、足音、人のザワザワ、遠くの車の音、何の音かよく判らないけどおっきな通りから聴こえるちょっとリバーブが掛かった音。よーく聴くと、それは1個1個の音ですよね。救急車のサイレンの音だったり、車のクラクションの音だったり、植物の有機的な音だったり、無機的な工場の音だったり。それらがウワーッと取り巻いている中で、俺たちもその一部として生きている。そのニュアンスを出したかったんですよ。だから、ギターの音は全部輪郭を排除してるんです。
──ああ、あれはやっぱり意図的だったんですか。ゴツゴツした音の出っ張りがないし、遠く向こうのほうで聴こえる音像なんですよね。
吉野:そう、家にいて青梅街道を走る車の音がブワーッと遠くで聴こえるあの感じ。あのニュアンス。あと、一斉に6時の鐘が鳴ると、一斉に鳴っちゃうから音が反響しすぎて、場所によってちょっとタイムラグがあるんですよね。それでいてヘンなディレイが掛かってる。それが建物にも反響して、何の曲か一瞬判らなくなる。突然おっきな音になってウワーンって鳴る感じって言うか。あのニュアンスって、駅前の雑踏の中でも無音の中でも感じるし、都市の向こう側に沈む夕陽みたいなでっかいものにも感じるんですよね。それを表現したかったわけ。ドッタリしたリズムで、止まらずにドッタリドッタリ動いていく感じをね。いろんな悲しみとか喜びは全部引っくるめて進んでいきながら、ボワーッとフィードバックしてるって言うか。それでもドッコイ生きている感じ。そういうニュアンスは今回のコンピレーションにも共通してるし、自分たちの曲はそれを象徴するような曲にしたかったんですよね。
──チャールズ・ブコウスキーのトリビュート・アルバム『酔いどれ詩人になるまえに』に収録されていた吉野さんのソロ楽曲「回転木馬」にも通ずる世界観を「東京」という曲には感じるんですよね。迷走したままで、それでも日常はぐるぐると容赦なく回転していくと言うか。
吉野:そうですね。それでも1人1人はしっかりと生きていて、テーマはやっぱり"生き物"なんですよね。有機物も全部呑み込んで生きている。呑み込んで呑み込まれながら生きている、みたいなね。
──吉野さんの仰る通り、この『極東最前線2』に参加しているアーティストの多種多様さが面白いんでしょうね。いい意味で節操がなくて、混沌としているからこそ面白い。
吉野:うん。混沌としてなきゃ面白くないんですよ。いろんな人を内包しているっていうのが文化だと思うし、文明の元だと思うし、それが凄く大事だと思ってるんです。
──今回、小谷美紗子さんが「東京〜イースタン小谷.Ver.〜」というイースタンユースとは同名異曲のオリジナル曲で参加されていますが、この選曲は吉野さんのリクエストだったんですか。
吉野:いや、違う。小谷さんが「この曲がいい」って言って、それを俺たちのプレイでやりたいってことで。
──小谷さんはイースタンユースの新曲が「東京」というタイトルなのをご存知だったんですか。
吉野:その時はまだ俺たちの「東京」は出来てなかったから、偶然って言うか結果的にこうなった。俺は曲を作ってるうちに東京っていうキーワードになってきて、いろんなことが繋がってくるんだけど、小谷さんの曲が「東京」っていうのをすっかり忘れてたんだよね(笑)。で、"ウワーッ、小谷さんも「東京」だ! これじゃ「東京」と「東京」になっちゃうぞ!"って気がついて、曲名を変えたほうがいいかな? って思ったんだけど、小谷さんにお伺いを立てて「『東京』っていう曲になりそうなんだけど、いいかな?」って訊いたら、「いいんじゃないですか?」って(笑)。それで、「じゃあすんませんけど、我々も『東京』で行かせて頂きます」ってことになった。おんなじスタジオで録ったんだけど、どっちのトラックも「東京」だったんですよ。随分とややこしかったと思うけどね(笑)。
異なる個性がひとつの条件下で同居するのが大事
──言うまでもないですが、小谷さんの「東京」も紛うことなき名曲ですよね。
吉野:そうですね。小谷さんなりの感じた東京観なんでしょうね。
──小谷さんの「音」、イースタンユースの「矯正視力〇・六」(アルバム・ヴァージョン)に次いで両者の共演はこれで3回目だから、レコーディングはもう阿吽の呼吸といった感じでしたか。
吉野:小谷さんは楽譜の人なので、コードのことは判らんのですよ。逆に俺たちはコードの人間だから、楽譜が判らない。でも、今回も楽譜が用意されてたんですよね。読み方がいまいちよく判んないから耳コピと見よう見まねで何とか演奏したけど、小節で割ってあるから難しいですよね。「これで合ってますかね?」なんて確認しながらやったりして、案の定勘違いとかしてたり。「ああ、ここはそういう意味なんだ?」なんて言いながらね。
──その勘違いが逆にいい演奏になっていたりとかは?
吉野:いや、そこは直しながらやってたね(笑)。
──ははは。でも、小谷さんは楽譜を重視しながらもフィーリングを大切にする方ですよね。
吉野:うん。結果オーライみたいなところはありますね。曲のディテールだけは壊さないようにして、その中で自由にやらせてもらいましたけど。
──吉野さんは他にも、toeの「ラストナイト」にゲスト・ボイスとして参加されていますね。冒頭のハミングと中盤のセリフで吉野さんの記名性の高い"ボイス"が堪能できますが。
吉野:あのセリフは用意されてたんですよね。あれは俺じゃなくて山嵜君(山嵜廣和、ギター)が作った詩なんですよ。もともとそういうフレーズを入れようと思ってたらしくて。最初は漠然としてたので、自分でもガッツリと長い詩を作ってたんですよね。ずーっとメロディに乗ってるような、ラップじゃねぇけど朗読みたいなヤツを。でも、待てよと。ちょっと内向的で重いなと思ってやめにしたんだよね。「それもちょっと聴いてみたいな」って山嵜君に言われたんだけど、何だか曲がぶっ壊れそうでナシにしたんですよ。余り悲壮感があるのはダメだなと思って、捨てたんです。
──やっぱり、各アーティストから楽曲が届くたびに驚嘆と歓喜が絶え間なく訪れる感じでしたか。
吉野:うん、ホントにそんな感じ。"へぇー"って思うことの連続でしたね。凄く贅沢なことだと思いますよ。
──イースタンユースが「1分間」をカヴァーしたこともあるコクシネルや、遠藤ミチロウさん率いるNOTALIN'Sといった諸先輩方には恐縮しつつも大感謝、といった感じですか。
吉野:いや、全然。生意気盛りなもんで、「どうもー! ウィッス!」って感じ(笑)。
──若手であれキャリアの積んだ人であれ、そこは分け隔てなく横並びであることが大事ということですね。
吉野:それがいいんですよね。やっぱり幅がないと豊かじゃないですよ。ベテランの先輩方と何処の馬の骨だか判んないようなのとが同居していないと。みんな互いに似てないんだけど、互いの点が線になっていくって言うか、このコンピレーションっていうひとつの枠、音楽っていうひとつの条件下で同居しているのが大事だと思うんですよ。そこで深みを表現したかったと言うか。いろんな人がいるから面白いんであって、おんなじ話の合う奴だけ寄り集まって後は排除するっていうのは面白くないですよね。
──8年前に発表した『極東最前線』がそうであったように、各アーティストの音楽を聴いたことのないリスナーが彼らの音楽性を知るきっかけになる機能がこのコンピレーションにもありますよね。いわゆる入門編としても聴けると言うか。
吉野:そうですね。新しい音楽や人とは、縁というものがなければなかなか出会わないものですからね。どんどん凝り固まりがちにもなるしさ。だから何かのきっかけで"おっ!"って引っ掛かれば、そこからまた違う道が拓く気がする。このコンピレーションがそういうものとしても機能してくれればいいなぁと思いますね。
──個人的にも、吉野さんが小谷さんやタテタカコさんの音楽を推していなければ知る機会がなかなかなかったと思うんですよね。
吉野:俺もそんなもんですよ。誰かがいいって言ってたから聴いてみたら好きになったっていうのは凄く多いし、そういう口コミで知ることばっかりな気がする。テレビでガンガン流れてるからとか、チャートで1位だからとかで聴いてみることはほぼないですよね。
『孤立無援の花』から変化した音楽と向き合う意識
──それにしても、イースタンユースのように我が道を往くと言うか群れるのを良しとしないバンドが、こうしていろんなバンドを巻き込んだコンピレーションを構想して良質な形として提示するのがつくづく面白いと思うんですよね。
吉野:ニノは社交的だけど、俺は人と関係を持つことが余り得意じゃないんですよ。だから人望みたいなものはないんだけど、仲間になりたいとか、群れを成したいっていう願望はないんですよね。いろんな人がいて面白いと思ってるだけだから。このコンピレーションで言えば、ひとつの箱の中にこれだけいろんな人たちを入れちゃったらどうなるだろう、俺は面白いと思うんだけどなぁ...っていう感じ。先人たちが面白がって作ったものを俺も面白がって、それを血としたり肉としたりして生きてきたから、そういう面白そうなことをやりたくなる遺伝子が引き継がれているんでしょう、恐らく。
──前回と同じく、『国民爆音大会2000』のようなイヴェントを今回の参加アーティストを迎えて行なう予定はありますか。
吉野:それは調整が付かずに間に合わなかったです。今から仕込んでも来年になっちゃうし、余り意味合いがなくなっちゃうので。これだけ参加してくれた人たちがいるから、そこから4、5組を選抜してお願いするっていうのも意味がないし、3日も4日もかけてやるとしても、これだけいたらそれじゃ収まらない。そこで2つ、3つのステージを用意するなんてなればちょっとしたフェスになってきちゃうし、そんな力量は俺たちにはないですからね。1年越しくらいで準備しないとできない規模だし、調整も利かないだろうし、まず各々が忙しいだろうから。だから今回はちょっとできんわ、っちゅう感じです。
──まぁ、各アーティストとは過去に一度共演を果たしているわけですからね。
吉野:そうですね。馴れ合いみたいになって集まるよりも、各々がまた勝手に活動していくのが"らしい"んじゃねぇかなとは思いますけどね。
──ライヴのほうの『極東最前線』に回数が付かなくなったのは、積み重なっていく重さを避けたいという思いからですか。
吉野:うん。もともと重いのは余り好きじゃないですからね。だんだんとカウントが増えていって、100回記念とかになるのが何かイヤだったんですよ。続けることに意味があるとか、そういうのがイヤだった。俺たちはただ好きでやってるだけだから。1回1回が始まって終わりっていうのがいいやと思って、それで数字を取っちゃったんですよ。
──ちなみに、もうぼちぼち100回くらいにはなりますか。
吉野:100回は行ってないなぁ、まだ。でも、50回は超えてると思うよ。
──『極東最前線2』と同じタイミングでベスト・アルバムが2枚発表されますが、トイズ・ファクトリー盤(『1996-2001』)のほうに『口笛、夜更けに響く』の収録曲が入っていないのは意図的なことですか。
吉野:まぁ、トイズ盤じゃねぇし。トイズが関わってるのは『孤立無援の花』からだし。っていうのもあるし、何かいいかなっていう感じ。自分でも『口笛〜』を改めて少し聴いてみたけど、余りにギャップがあるから、『孤立無援の花』以前と以降で線を引いちゃったんですよね。
──今の吉野さん自身が聴いても、『口笛〜』はちょっと異質な感じですか。
吉野:あそこで線引きだなと思いますね、やっぱり。『孤立無援の花』で唄い方も変わったし、音楽をやってく上での意識もあそこが線だと思うんですね。
──『孤立無援の花』が真の意味でのファースト・アルバムという意識もありますか。
吉野:うん、そうですね。それ以前はまたそれ以前、って感じで。
──トイズ盤は、アルバムで言えば『孤立無援の花』から『感受性応答セヨ』までの時期ですが、今日に至る音楽性の足固めの時期とも言えますよね。
吉野:うん、まぁ振り返ればっていうことだけど。その時その時で必死になってやってましたけどね。何が正しいのかはその時点では判らないわけですから。
──メジャーに移籍した当初は、バンドの知名度も飛躍的に上がった時期でもありますね。
吉野:バイトを辞めれて嬉しかったんですよね。現場仕事の地獄から解放されて"やったぁ!"と思って、この機会を放すもんか! って思ったんですけど、でも媚びんのもイヤだし、やれるだけやってみようと思って。それまでは聴いてる人との交流なんていいやって言うか、知らねぇよ、帰れ! って感じだったけど...まぁ、今でもそういう部分は多少あるんだけど(笑)、でも、どうにか聴いてる人の心をグッと掴んで、相手の気持ちとこっちの気持ちを繋げたいっていう意識はその頃に芽生えたんじゃないですかね。
『DON QUIJOTE』以降、バンドがグッとタイトになった
──メジャーに移って、リリースの工程上の締切に四苦八苦するようなことは? ドンと来い! という感じでしたか。
吉野:"参ったなぁ"とは思ってましたけど、6時起きで現場へ行くよりは全然いいし、音楽で"参ったなぁ"なんて何だか贅沢なことだなと思ってますよ、未だに。だって、自分が好きなことなんだから。金を払ってでもやりたいことだし、"好きなことをやって金くれんの!?"って感じですよ、今でも。音楽をやる上での苦しいなんて屁のカッパですよね。何で生きてんだか判んないような苦しさに比べれば、生きている実感に満ちてますよ。締切なんて嬉しいくらい。"締切あんのかぁ、参ったなぁ! 忙しいなぁ、どうも!"って言うかさ(笑)。嬉しいですよね、すっごく。
──キング・レコード盤(『2001-2006』)のほうは、cursiveとのスプリット・アルバム『8 Teeth To Eat You』を挟んで『其処カラ何ガ見エルカ』から『365歩のブルース』までの時期ですが、キングに移籍して以降はバンドの自由度が更に増した印象がありますね。
吉野:そうですね。あそこからが今の俺たちっていう感じ。俺にとって『孤立無援の花』の次の線引きは『DON QUIJOTE』なんだけど、『DON QUIJOTE』からが今のステージって感じかな。だから微妙だよね、キングの頭からじゃないんだわ。『其処カラ〜』まではまだトイズ的なあの時代なわけ。『DON QUIJOTE』以降、やっとガッツリとまともになってきたっちゅう感じ。ようやくピントが絞れてきたって言うかさ。
──その絞れてきたピントというのは、唄い続ける意味やテーマみたいなことですか。
吉野:そういうことよりもバンドの方向性って言うか、バンドがグッとタイトになってきた。メンバー間の関係性も大人になったんじゃないですかね。
──ちょうど国内でレコーディングをするようになった時期ですよね。
吉野:そうそう、ちょうどそこの線なんですけど。人間関係はそんなに変わんないけど、プレイヤーとしての3人の感覚がタイトでシンプルになった気がするんです。そのぶんだけ個性がより濃く出せるようになった。
──誤解を恐れずに言えば、それ以前は"吉野 寿&イースタンユース"みたいな感じだったということでしょうか。
吉野:そういうわけじゃなくて、イメージとしてはパンクとかロックを実践することに頑張ってたって言うか。今考えればだけどね。もっと尖ってる部分、人が持ってるいろんな面のうちのエッジの部分を抽出することが人間の闇に光を当てることになるんだと思ってたんだけど、それだけじゃないでしょ? っていうことですよね。もっとでっかい何かがあるんじゃねぇのかな? っていうのはもう薄々気づいてて、でもそれをどう形にしていいか判んないし、いろいろやるようになった。理屈で判ろうとしてるうちはやっぱりダメなんですよ。身体がちゃんと判らないと体現ができない。それで時間が掛かってたんじゃないですかね。頭では判ろうと随分前からしてたんだけど、出口がなかなか判らなくて。『DON QUIJOTE』辺りでそのカギがガチャッと開いた感じはするんですよね。完璧かどうかは未だに全然判らないけど、ひとつ別の戸が開いた気はする。
──『DON QUIJOTE』以降、昨年発表された『地球の裏から風が吹く』までの作品に通底するのは、腹の括り方のように思えるんですよ。痛みを痛みとしてしかと受け止める、"この淋しさが生きてる証さ/震える足元が生きてる証さ"(「滑走路と人力飛行機」)という。
吉野:まぁ、それでもハナクソをほじってるみたいな感じですけどね。何て言うんだろうなぁ、ステレオ・タイプな人生の苦悩みたいな表現っていうのは陳腐ですよね。そこから抜け出すにはどうすればいいのか、修業が足りないですもんね。やっぱり時間が必要なんでしょうね。『DON QUIJOTE』以前も我々は我々なんだけど、もっと深みが必要だったんですよ。"この椀の汁には何が入ってるんだろう? 何でダシを取ってるか判らないけど何か旨いぞ!"って言うか、そういう深みが欲しかったんです。
──判りやすい旨さという表面的なものよりも、コクやまろみみたいなものの表現欲求が強まったということですか。
吉野:うん。そういうものになってきたんじゃないでしょうかね。
真心が籠もっているのは必須条件
──ただ、こうして2枚のベスト・アルバムを聴いて改めて痛感するのは、イースタンユースの音楽に一貫してあるのは"真心の籠もった歌心"だということですね。
吉野:そうじゃないとやってる意味がないですからね。ロックンローラーとしてキャーッて言われたいとか、格好いい人になりたいとか思ってやってるわけじゃないから。生きている人間の持つ何とも言えない味わいみたいなものに反応したいし、そういうものを掘り起こして形にしたいんですよ。それによって世の中の人たちと関わりを持ちたいと思ってるし。だから、"真心"なんて必須条件ですよね。持っていて当たり前で、それを特にセールス・ポイントにする必要はないって言うか。ないほうがおかしいんであって。
──ライヴもまた、世の中の人たちと関わりを持つ場という意識が強まってきましたか。
吉野:そうですね。やっぱり関わる場ですよね。歳を取れば取るほど関わる場なんだなって思うようになってきたですね。
──メンバー3人のプレイヤーとしてのコクが増したぶんだけ、プレイの表現力が格段に向上したのが今のライヴを観ても如実に窺えますね。それこそ10年前とは全然違うと思いますし。
吉野:全然違いますね。味があるなぁと思いますよ。ニノはもとからプレイ的にも上手だけど、俺と田森(田森篤哉、ドラムス)は決してそんなに上手なプレイヤーじゃない。でも、自分のことはさておき、田森は味があるなぁって思いますよね。ドラムのテクニックもちょっとずつだけど向上してきてるんです。でも、何よりも味がある。凄くあるんですよ。いいドラマーだと思いますね。そんなこと言わねぇけど、本人の前では。調子に乗っちゃうからね(笑)。
──ご自身のギターに関してはそうですか。
吉野:ダメだね(笑)。全然ダメだよ。顔を洗って出直してこい! って感じだね。
──吉野さんのギターこそ"味がある"という表現がぴったりだと思うんですけどね。
吉野:いやぁ、ダメだよ。ギターを弾くのが向いてないんだね。最近つくづく思うんだけど、俺は手がもともとちっちゃい上に、小指がすっげぇ短いんですよ。で、普通の人なら届くネックの部分に届かないんだよね。だからコードが全然押さえらんないんですよ、指が届かなくて。手もちっちゃいから握力もそんなにないし、余り上手に弾けないんですよね。それでチューニングを変えたりして、余り押さえないようにしているんです。家では結構練習するほうなんですけど、全然上手くならない。これは絶望的だ、向いてないなって思うけど、そんなこと言ったってしょうがないから俺なりにやってるだけで。とにかく自分にやれることをやれるだけの力でやるしかないんですよ。
──でも、小谷さんの「東京〜イースタン小谷.Ver.〜」での吉野さんのギターは凄く味わい深いし、あの何とも言えぬ寂寥感を増幅させる情感豊かなプレイだと思いますけどね。
吉野:まぁ、それは俺なりに精進した結果なんですけどね(笑)。工夫しないと、普通の正攻法ではとてもじゃねぇけど全然追い付かないです。"俺奏法"みたいに工夫していかないと、この手のちっちゃさと小指の短さのハンデを克服できないんですよね。だから、半ば言い訳的に味とか独自性とかを引っ張り出してきてるわけですよ。
──ただ、歌唱力や演奏力が拙いからこそ心が打ち震える音楽はたくさんありますよね。
吉野:人の音楽を聴いてる時はそう思うことがありますね。"そこがいいんだよ、上手くなったらオシマイだよ"って思う時はあるけど、自分には当てはめないようにしてます。それじゃ言い訳になっちゃうから。「いいんだよ俺は、下手なのがいいんだよ」って言っちゃ、そこでオシマイですから。
同じ絶叫でも知性の有無で大きく異なる
──歌に関してはどうですか。自分の理想に近い唄い方ができるようになってきましたか。
吉野:これもダメですね。俺が審査委員長だったら100点中3点くらいです(笑)。ダメだな、才能ねぇわ、って感じだね。でもそれも、才能があるとかないとか言ったって始まんないし、イヤならやめちまえ! と思ってるから、俺なりに工夫してどうにかこうにか暗中模索でやってるっていうのが現状ですよね。
──ただ、近年の歌は朗々と唄い上げる中にもそこはかとない悲しみが行間に滲んでいたりするのを強く感じますね。そのほうが闇雲に叫ぶよりも深い悲しみがじんわりと伝わってくるんですよね。
吉野:今回のベスト・アルバムのお陰で昔の曲をイヤっちゅうほどまた聴く羽目になったんだけど、それじゃダメだなって思うことが多いですね、やっぱり。いくら喚き散らしても、感情っちゅうものは表現できないんですよね。いいところでグッと厚みを増すんならいいけど、ただ泣き喚いているみたいでお気の毒みたいな感じになっちゃって、それじゃダメだなと思って。キーの関係上ギャーッてなる時もあるけど、それが効果的ならいいんですよ。でも、なかなか効果的じゃなかったりとかして、そこは難しいですね。声は生の肉体から発するものだから、ちょっと調整すれば声が出るようになるってもんじゃないんですよね。持って生まれたものが凄くおっきいから、それとどういうふうに付き合っていくかっていうことですもんね。それは未だにどうしていいのか俺は判らないけど、俺なりに"こうじゃないかな? ああじゃないかな?"と思ってやってきた結果が今になってるっていうだけですね。
──敢えて酒灼けした声で唄ってみたり、際限まで取り繕うのを排除して何度も何度も唄い直してみたり...。
吉野:そうやっていろいろやってみたんですけどね。だいぶマシになってきたとは思うんだけど、自分の声の質自体がもともと気に入らねぇから、もうどうしようもないんですよね。声の質は変えたいですよね、変えられるもんなら。女子の声とかにガッチャーンって(笑)。
──ははは。吉野さんはもともとふんわりとした女性の歌声がお好きですもんね。
吉野:好きですね。それかトム・ウェイツみたいな声になりたいですね。ああいう鋼のような声にね。スクリーミン・ジェイ・ホーキンスとかさ。ああいう声の太さもねぇし、つくづく自分の声は中途半端だなって思いますよ。いかがわしさも余りないしさ。今回のコンピレーションに入ってるゆらゆら帝国の歌なんて、圧倒的にいかがわしいですもんね。
──ゆらゆら帝国の「タコ物語(LIVE)」は、このコンピレーションの中でも一際異彩を放つナンバーですよね。
吉野:何でこんなに人気があんのかな? って感じですよね。みんな気持ち悪くねぇのかな? って思うし(笑)。いかがわしすぎですよね、もちろん最高なんだけど。歌詞もエロすぎるでしょ? だけど格好いいんですよね。ただ、ベタっとしてない。ヌルっとはしてるけど。ベタっとした汗っぽさとはちょっと違うって言うか、そこがやっぱりインテリジェンスだと思うんですよね。知性なんだと思う。そう、知性が大事なんですよ。絶叫したり喚いたりするにしても、知性に基づいてそうしているのか、ただ駄々っ子が喚き散らしているようなものかっていうのは似て非なるものですよね。その辺は凄く難しい。
──イースタンユースの諸作品からもベタつかない知性は確かに感じますけどね。
吉野:まぁ、俺たちなりに努力した結果ですけどね。だけど根本的に頭の悪い男だからなぁ、俺は。人の真似をしてもしょうがないですからね。真似することはできるんだけど、真似したって満足はできないし。自分の中からまっすぐ出てきて、抜き差しならないところまで詰めてあるものじゃないとオッケーにならないですもんね。そうなるとやっぱり、1人の人間がいろんなことはできないんですよ。そういうのは今までやってきて思い知ってますけど。だから、そこをどういうふうに詰め切るかっていうのは、どれだけ曲を作っても難しいですよね。
"次はねぇからな"っていう気持ちは常に抱いている
──吉野さんのソロ・プロジェクト"outside yoshino"は未だに開店休業中ですが、再開の目処は立っているんですか。
吉野:今いろいろと考えてます。いろいろと考えて、復活への道を模索中ですね。ただ何かね、ソロをやってて一度悲しくなっちゃったんで。これをやってて何か意味があるのかな? と思っちゃったんで、その原因を今はじっくりと考えて、やり直す道を探しているところですね。
──自分の核が剥き出しになりすぎたことで一旦休止にしたと仰っていましたよね。
吉野:それもあるし、ライヴのやり方にしても課題が残ってるんですよ。他の出演者がいるような所でやると完全におかしなことになるってことがひとつ勉強になったし、商業施設でライヴをやるのも、ショーっていう形からどうしても脱けられないって言うか。面白いイヴェントに参加できたこともあったんだけど、全体的にはやっぱりちょっとおかしなことになっちゃうなぁ...と思って。カフェ・ライヴっていうのも何回かやったんだけど、ちょっとヘンな感じを拭えなかったんです。どうせヘンな感じになるんだったら、いっそ全部がヘンな感じになれば俺の持ってる個性のおかしな感じも少しはプラスに働くんじゃないかなとか、いろいろ考えてるんですけど。
──そもそも独りで唄おうと思うに至ったのは、バンドでは成し得ない表現欲求に突き動かされてのことなんですか。
吉野:バンドでは成し得ないって言うよりは、独りで何にもできねぇ奴が何人集まったって何にもできねぇんだから、独りでやっちゃえ! って思ったんですよね。ギター1本で自分の責任を全部取ろうっていうところから始まって、そういうやり方を持っていれば、そこから何にでもなれると思った。逃げられない最後の場所って言うか、詰め切って最後に残るものって言うか。それは何だ? っていうのもやってみきゃ判んなかったことだし、そこは放棄しないようにしてる。
──"しゃらくせぇや"というのが本音でしょうけど、この20周年というのはバンドにとって通過も通過、大通過という感じですよね。
吉野:死なねぇで生きてきたから20年経っちゃっただけですよ。思えば遠くまで来たなとは思いますけど、誰だって生きてりゃ20年経つし。
──20年前はバンドが20年続くなんて露にも思わずでしたか。
吉野:20歳の人はそんなこと考えてないと思いますよ、誰も。言われりゃ想像はするかもしれないけど、ホントに実感を持って考えようなんて奴はいないと思うし、それが20歳だと思う。そうじゃなきゃイカンと思う。そんなこと考えるな! と思うよね、20年後のことなんてさ(笑)。その時に考えりゃいいんだよって思うよね。
──ただ、こうして20年経って「東京」のような実り豊かな歌を聴くと、イースタンユースの音楽が今後どう深化していくのか、より一層楽しみになりますね。
吉野:社会的に見ても用事はねぇし、音楽以外にやりたいこともないですからね。だからやれる状況にあるうちはやるでしょうし、やれなくなったらダメでしょうし。そう思いながらやってますけどね。"次頑張ればいいや"とは思ってない、いつでも。"次はねぇからな"っていう気持ちだけは持つように心懸けていますね。
──余談になりますが、吉野さんが先日のブログで、ツアーから戻って「東京大好き!」と書いていたのがとても印象に残っていたんですよ。でも、冒頭の「東京」という新曲にまつわる吉野さんの話を聞いて朧気ながら納得できました。もう少し吉野さん独自の東京観について聞かせて頂けますか。
吉野:東京は大好きなんですよね。ツアーでアメリカもぐるっと一周したし、国内でもいろんな街に行きましたけど、東京が一番いい。東京はよくできた街だと思う。優しい。圧倒的に優しいね、東京は。あったかいんですよ。だって、こんな俺でも生きてていいんだもん。認めてくれてるって言うか、認めてるかどうかは判んないけど、許容はされてるわけですよね。だから何とかかんとか生きていける。田舎じゃ多分、俺は生きていけないですよ。そこで排斥されて終わっちゃうと思う。あと、最近はちょっと物騒だけど、東京には拳銃を持ってウロウロしてる奴もいねぇし、秩序も保たれてるからね。
人間としてドッコイ生きている生々しさが好き
──アメリカの都市は、何処か突き放すようなところがあったりするんでしょうか。
吉野:俺はアメリカ人じゃないから、街が持ってるニュアンスっていうのは旅行客としてしか捉えられないけど、ニューヨークは東京に近いと思いますよ。やっぱりいろんな目的があっていろんな人種の人たちが集まってきてるから、何でその街にいるのかっていう目的意識があるんですよね。みんなそれぞれの目的に向かって生きている。それでいて、東京よりももっと酷くグッチャグチャになってるわけ。英語を喋れない人もいるみたいですからね。でも、英語なんて判んなくても何年も住んでいる。街の一角がアラブ人だけだからアラビア語しか使っていなかったりとか、チャイナ・タウンで中国語しか喋れない人が余裕でずっと生きてるとか、どうにかこうにか片言の英語や身振り手振りみたいなものでやっていける懐の深さがある。そういうところに凄くあったかみを感じるんです。ただ、自分のアイデンティティみたいなものを常に自分で掴んでおかないと、バラバラになって呑み込まれちゃうと思う。その街の持つエネルギーにね。そうなると、引き摺られて闇のほうに持っていかれる可能性が高いと思うんだよね。そういう恐ろしさもありますね。
──浮き足立っているとそのまま流されてしまうわけですね。
吉野:うん。だから甘ったれてると持ってかれちゃうぞ、ってことですよね。自分で踏ん張って立ってないとダメっていう。そういう厳しさも好きなんですよね。そこも大好きなんです。みんなちょっとずつズルしながら、人間としてドッコイ生きているその生々しさも好き。ズルや意地悪をされると"ウワッ、イヤらしい野郎だな、人間のイヤなとこ見たな"って思うけど、そういうところを見れるのもまた一興。人間くさくて俺は好きですね。建前を保ちきれないカオスみたいなものがチラチラッと見えると面白いですよ。
──それに比べて、東京の人は少なくとも表面上は意地悪なことはしませんよね。
吉野:東京にいる人は優しいですね。特に東京生まれの人たちは、どんな地方の人よりも優しい。あっさりしててね。何事にも「へぇ、そうなんだ? いいよ、いいよ」っていう感じで、優しい。それは俺が田舎から出てきて凄く驚いたことなんです。あと、東京で「そんなダサイ服着て!」って言う人はみんな田舎者だね。田舎から出てきて、東京で頑張って自分を変えた人がそういうことを言う。でも、みんな目的意識を持ってるから、自分でも苦労するわけですよね。なかなかそんなに思い通りには行かないから。ただ、その苦労したぶんだけ人に対して優しくできる。田舎で決められたレールに乗っかっちゃったまんま生きてる人は、そういう挫折みたいなものが判んないんだと思う。だから非寛容なことが多いんじゃないかな。必ずしも田舎=非寛容だとは思わないけど、そういう部分は多い気がするね。
──札幌も日本有数の大都市ですよね。
吉野:帯広よりはマシだったね。ただ、札幌も東京ほどあったかみはない。まぁ、北海道はもともと冷たいんだよね。人との関わりが余りベタつかない。ほっといてくれ、っていう感じ。あと、遠回しに嫌味を言ってみたりする特性が意外とあるんだよね。そういうところは余り好きじゃないね。まぁ、自分にもそういうどうしてもなくなりきらない北海道人の特性はあるけどさ(笑)。でも、ホントにそういうところは好きじゃない。いじけて自分の枠に閉じ籠もるって言うか、そういう性質はあるよね。"いいじゃん、そんなのどっちでも!"って思えるようになったのは、東京に来てからだね。東京は北海道に比べて大らかな人が多いなと思ったよ。逆に、北海道っぽい大らかさも東京にはあるんだよね。大陸的で大雑把って言うか、ざっくりしてるところもあるし。
──北海道出身の吉野さんからすると、東京はこれで湿気さえなければ万々歳なわけですね(笑)。
吉野:うん、湿気さえなければ最高だね。でも、だいぶ慣れてきた。梅雨の季節も少しは楽しめるようになってきたしね。
──この街から歌を発信していくという意味でも、吉野さんにとって東京という街は大事な立脚地であると言えますか。
吉野:個人的には大事な気がしますね。東京は人の坩堝だし、人生の坩堝だし、善悪の坩堝だし、狂気の坩堝でもあるし、喜びの坩堝でもあるんですよ。だからこそ面白いんですよね。東京、大好きですよ。