インディー・ロック・シーンの孤高のヒーロー、ヤマジカズヒデの周辺が賑やかである。まずは'91年から'94年かけて発表されたソロ3作がボックスセットとして再発。寂寥とした心象風景をアコースティック・サウンドに乗せた楽曲はいま聴いても恐ろしく刺激的であり、彼のソングライターとしての普遍的な力をはっきりと示している(小泉今日子の『木枯らしに抱かれて』のインスト・カバーなど、未発表音源4曲も収録)。さらにdipとしてのニューアルバム『feu follet』もリリース。この機会にぜひ、ヤマジカズヒデの音楽世界を体感してみてほしい。(interview:森 朋之)
やっぱり、かなり恥ずかしいですよね
──ソロ名義のアルバムを再発するっていう話があったのは、いつ頃なんですか?
ヤマジ:話があったというか、自分から言い出したところもあるんですけどね。SSE(故・北村昌士が立ち上げたレーベル。北村は80年代にYBO2(イボイボと読む)などの前衛的なバンドで活躍、さらに雑誌『フールズメイト』の創刊、レーベル運営も手がけていた)というところから出てたんですけど、北村さんが亡くなってから、別の人たちがリリースしてたんです。その人たちに確認してみたら、「関係ない人でなくメンバー本人が使用するなら北村さんは権利を放棄してる」っていうことだったので、「じゃあ、自分で出してもいいんじゃん」って思って。UK プロジェクトの人に言ったんですよね。「そういうことらしいよ」って。そしたら「やりましょう」って話になったという。
──自分の目の届くところで、もう一度、ちゃんと発表したい、ということでしょうか?
ヤマジ:そんなことでもないんですけどね。わりと軽い気持ちだったかもしれない。ただ、ヤフオクとかって5000円で売ってたりして、それは俺がもらうわけじゃないし、そういうのは良くないなって思ったりして。で、思い切り安い値段で出すことになったんですよ、今回は。
──3枚組みで3150円。
ヤマジ:みんなに「いいの?」って言われて、安すぎたかな? って思ったんだけど(笑)。でも、いいかなって。
──リマスタリングされていて、さらに新録、未発表曲も入ってて。ずっと聴いてきたファンも楽しめますよね。
ヤマジ:その感じを狙ってるんですけどね。
──改めてこの3枚を聴いてみて、どうでした?
ヤマジ:じっくり聴かざるを得ないから聴いたんですけど、やっぱり、かなり恥ずかしいですよね。じゃあ、出すなよって話なんですけど。でも、みんなは恥ずかしいところを見たいんだろうから、これでいいんだろうなって。俺も自分の好きなアーティストの恥ずかしいところを見たいし、それと同じですよ。
──その恥ずかしさっていうのは…。
ヤマジ:なんかね、昔の交換日記を見つけてしまったっていう感じかな。あとはテクニック的なところもありますよね。下手だな、とか、青いな、とか。なんでこんなに声を震わせて歌ってるんだろう? とか。
──当時の思い出が蘇ってきたりもします?
ヤマジ:あんまり思い出さないかも、それは。「あの頃はこうだった」みたいなのって、自分の曲じゃなくて、他の人の曲じゃないですか。あ、でも、これを出すにあたって(音楽ライターの)小野島大さんにインタビューしてもらったんですけど、その人がすごく細かく、根掘り葉掘り聞いてきて、それでちょっとずつ記憶が蘇ってきたんですけどね。
──ちょうどdip the flagからdipに移行する時期ですよね。
ヤマジ:うん、そのあたり。
──「バンドが少し停滞してるから、ソロをやってみようか」っていうことだったんですか?
ヤマジ:まあ、偶然なんですけどね。確かにバンドに対する意欲はちょっと落ちてたんですけど、北村さんから「ソロを録ってみない?」って話がたまたまあって。「先生、お願いしますよ」なんておだてられて、それでやってみようと思いました(笑)。ただ、やっぱりひとりはちょっと……っていう感じでしたけどね、そのときは。もちろん、CDとか出すのはいいんですけど。
──ソロ用の曲も書き溜めていたんですか?
ヤマジ:これはバンドではちょっと…っていう曲はいくつかありましたけどね。っていっても、はっきりと区別してるわけじゃなくて、なしくずし的だったりするんだけど。これは何となくソロ向き、こっちはバンド向きっていう。
──1枚目の『Sunday Paffac』、2枚目の『Crawl』はかなり内省的というか…。
ヤマジ:ん?
──その頃のヤマジさんの精神状態が出てるんじゃないかと思うんですが。
ヤマジ:…そうっすかねえ。
──'90年とか'91年くらいって、どんな感じで過ごしてたか覚えてます?
ヤマジ:えっと、昼間は寝てましたね、たぶん。あと、あれじゃないですか。“浮浪雲(ジョージ秋山)”みたいな。
──「アチキと遊ばない?」ですか(笑)。あの、当時のインタビューとかで「部屋にはブラックライトしかなくて」みたいなことを話してましたよね。
ヤマジ:「部屋でもクツのまま」とかでしょ? あれはね、その頃は彼女のウチがあって、自分の部屋は録音とか遊ぶためにしか使ってなくて。で、あるときに理科の実験で使うようなビーカーかフラスコが割れちゃって、危ないからクツのままでいたんですよ。誰かが来ても、ケガするからクツ脱がないでいいよって。
──アトリエがわりに使ってた、と。
ヤマジ:そうそう。アトリエって言ってた、そう言えば。高円寺に“OLYMPIC”ってあるでしょ? あの真裏で。
初めて体験する、同時代のムーヴメント
──音楽的には、どんな興味があったんですか?
ヤマジ:何だろう? あ、“BEAT UK”とか観てたころじゃないですか。マイ・ブラッディ・バレンタインとか。
──なるほど。
ヤマジ:その頃は頃すごい、ライブとかも見に行ってた気がする。マイブラも見たし、ダイナソーJr.とかプライマル(スクリーム)とか。あとはチャプターハウス、ペイヴメント、ブリーダーズ……ラッシュの前座をやったこともあるんですけどね。あと、ポール・ウェラーも見たし、太ったリチャード・ヘルとか。
──僕も同じような生活でしたけど、“初めて体験する、同時代のムーヴメント”って感じがあったんすよね。
ヤマジ:あ、それはあったかも、自分も。ちょうどニール・ヤングを好きになった頃なんだけど、そしたらダイナソーJr.とかが出てきて、この人たちもきっと、ニール・ヤングが好きなんだろうなって思ったり。繋がってるような感じはありましたね、確かに。自分が流れから外れてない感じというか。
──そこで感じたものを自分の音楽にも持ち込もうとしてました?
ヤマジ:うん、してました。「昨日のあの感じ、ちょっとやってみる?」っていう感じで。そういう曲もありますよね。『Dear Prudence』(『Crawl』収録)とか。宅録もすごいやってたし…。たぶん、その頃のカセットテープってめちゃくちゃ大量にあると思いますよ。100本くらいあるんじゃないかなあ。そのままCDに入れちゃったのもあるしね。『オモト』(『Crawl』収録)とか。
──音楽的な過渡期というか、いろいろと試してた時期なのかもしれないですね。
ヤマジ:そうですね。MTRを駆使してましたから。まあ、そういうこともバンドでやれるようになってきたから、ソロをやる必要性もなくなってきたんだけど。
──特に『Sunday Pafface』と『Crawl』は当時、“アコースティック・サウンド”という表現をされてましたが、そういう意図はあったんですか?
ヤマジ:……アシッド・フォークな感じ? シド・バレット。すごく好きだったんですよ、シド・バレット。あとはニール・ヤングと。『ハルシオン』(『Crawl』収録)っていう曲とかも、そうですよね。その頃に自分が思ってたアシッド・フォークっていうのが、すごく出てると思う。
──新しいことをやっている、という意識はありました? これが出たら、みんな驚くだろう、とか…。
ヤマジ:いや、それはないです。自分が満足するためにやってたっていう感じなので。特にソロの曲は、完全に世の中の流れから外れてると思ったし。だから北村さんが「出そう」って言ってくれたり、小野島さんが「いい」って言ってくれたのは、すごい意外だった。でも、自分のなかでは“ひっそり出して、ひっそり忘れられた”ってくらいにしか思ってなかったですけどね。けっこう時間が経ってから、「実は好きで聴いてました」みたいなことを言われて、もっと早く言ってほしかったなって思ったりはしますけど。
──僕も聴いてたし、めちゃくちゃ影響受けたましたけどね。僕も高円寺と阿佐ヶ谷の間くらいに住んでたんですけど、全然仕事とかしてなくて、先のことがまったく見えない感じのピッタリで。
ヤマジ:ああ、いいですねえ。ダメ人間のための音楽みたいなね(笑)。
──や、そういうわけではないんですけど(笑)。3枚目の『400 Moai Eyes』は、かなり手触りが違いますよね。バンド・サウンドも増えてるし、『太陽の中の恋人達』みたいなちょっと歌謡曲的な匂いのする曲もあって。
ヤマジ:あのアルバムはね、頼まれて作ったんですよ。友だちの男の子と女の子がいて、「映像を撮るから、サウンドトラックをやってくれ」って言われて。“こういう感じの曲で…”みたいな話もあって、いろいろ作ったんだけど、結局、映像が完成しなくて。結果的には俺がひとりで架空のサウンドトラックを作った、みたいになっちゃったから、だいぶ違う感じですよね、最初の2枚とは。でも、これはこれでけっこう好きなんですよ。エンジニアとふたりでいろいろ試せたし、『Lust for Life』っていう曲では、dip の3人で初めて録音したり。
──当然、ソロと平行しながら“バンドをどうしていくか”ってことは考えていて。
ヤマジ:というか、ソロで活動してるつもりは全然なかったから。