自分達が楽しめるかどうかがまず第一
──『In The Beta City』における躍動に満ちたグルーヴは、3人でスタジオに入って自然発生的に生まれたものなんですか?
SEIKI:活動を休止する前にも、スタジオでTSUYOSHIがああいうグルーヴのあるフレーズを弾いたことがあって、“こういうのも面白いかもな”と思ってた。TAKAHIROは最後まで4つ打ちみたいなものに抵抗があったみたいだけど。
TAKAHIRO:抵抗っていうか、最初は機械のように叩くのはどうかなと思ってたんですけど、どこかのタイミングで吹っ切れたんですよ。やろうとしてることはそんなに小洒落たものじゃなくてもいいんだなと思って。TSUYOSHIと「サザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』だって4つ打ちだよね?」とか話をしていて、そんなもんかな? と(笑)。
TSUYOSHI:『ザ・ベストテン』にサザンが初登場した時の映像(1978年8月31日、場所は新宿LOFT)をテレビで見る機会があって、俺にはジョギパン姿で演奏してるサザンが、上半身裸で「Waiting Room」を演奏してるFUGAZIに見えたんですよ(笑)。素直に恰好良く思えたし、極端なことを言えばサザンもFUGAZIも一緒なんじゃないかと。ジャンルがどうこうじゃなくて、フレーズ単体で恰好良ければそれでいいっていうか。そのフレーズを厳選して曲を作っていけば、バンドに未来があるかなと思って。
SEIKI:劇的に変化したとは俺自身思ってないんですよ。結局同じ人間がやってるわけだし、分母が“Naht”であればいい。
──同時期に新装発売されたファースト・アルバム『Narrow Ways』(オリジナルは1999年7月発表)、トイズ・ファクトリーから発表されたセカンド・アルバム『spelling of my solution』(2000年10月発表)を聴き続けてきた僕の耳でも、『In The Beta City』は紛うことなきNahtの作品だと感じましたよ。音楽至上主義を貫く姿勢は一貫して在ると思いましたし。
TAKAHIRO:俺も『In The Beta City』が完成した時にそう思ったんですよ。もっと違うものになるのかなと思って聴いてみたら、ちゃんとNahtだったっていう。
SEIKI:自分達の資質がそのまま滲み出たものだから。道筋は違えど、辿り着く所は似てると思うんですよね。
──タイトルにある“Beta City”という概念をSEIKIさんに伺いたいのですが。
SEIKI:プロトタイプという意味で、不完全なもの。もしくはこれから先に展望のあるもの。“Beta City”とはその象徴ですね。インターネットの世界がその最たるものだけど、今は不確実なものがあたかも正確なもののように伝えられていく時代ですよね。世界は近未来として存在している一方で、どこかプロトタイプな部分が根強くある。完全・不完全みたいなことを当時よく考えていたんですよ。人間ですらも進化の過程であって、何かのプロトタイプなのかなと思ってみたり。
──Nahtというバンドの在り方にも同じことが言えそうですね。
SEIKI:そうかもしれない。「Nahtはこういうバンドだ」って他人に言い切られたほうが楽な時もあるけど、そういうのはもう背負うのが厭だったし、人間は本来移ろいやすいもので、“移ろいやすくてもいいんじゃないか?”と思えたんですよ。
──移ろいやすさという名のグレー・ゾーンがもっとあってもいいんじゃないか、というような?
SEIKI:当然そこには苦悩もあるし、オピニオン・リーダーに1票を投じる側にいるのを宣言することにもなるんだけど、今はこの自分達のサイズが心地好い。何も代弁していないし、今回の作品を“俺達は俺達の音楽をやる”という宣言と受け取ってもらっても構わない。
──確かに、今のNahtのライヴはまず自分達が存分に楽しむことをファースト・プライオリティにしているのが観ていてよく判ります。その姿勢がダイレクトに『In The Beta City』にパッケージされていますよね。
SEIKI:うん。そう思います。
──それと、デジタル・テクノロジーが随所に小気味良いアクセントとして使われているのが本作の特徴のひとつですね。決して無機質にならずにいいバランスを保っているし、テクノロジーに使われているのではなく、能動的に使いこなしているというか。
SEIKI:前作に比べると、メロディの抑揚とかメロディに委ねていた曲の旨味みたいな部分は少し減っているんですよね。よりグルーヴ感を出そうとしたし、一本調子なところも敢えて作っている。かつてメロディが担っていたフックの部分をエレクトロニクスに委ねたというか。
──「Calvanize Me!」や「Ill Beat Awakes」で使われているコンガのパーカッシヴな味付けもフックなわけですね?
SEIKI:そういうことです。
──でも、まさかSEIKIさんがステージでコンガを叩くとは思わなかったですよ(笑)。
SEIKI:自分でも思ってなかったですよ。できるかどうか判らないけど、まずはやってみようというところから始まった。
──ライヴに臨む姿勢は、やはり活動を再開してから変わってきましたか?
TSUYOSHI:誤解を恐れずに言うと、いい意味で頑張らなくなった。「今日のライヴは頑張ります」って言う人がいるけど、じゃあ頑張らない日もあるのかな? って思う(笑)。俺は普段生活してる感覚でステージに立つように心懸けていて、その姿勢がより意識的になりましたね。ステージに立って全く違う人間になれるわけじゃないので。
TAKAHIRO:前は1本1本のライヴが勝負してる感覚でしたね。ステージに立つ時は「何こっち見てんだよ!」くらいの気持ちで臨んで(笑)。そういうのが今は全くなくなって、ライヴをやるのが凄く楽しみになったんですよ。
SEIKI:逆に言うと、今は俺達の周りの人達やシーンみたいなものに余りコミットしていない状態なのかもしれない。でも、そういうのはもう余り関係なくて、自分達が楽しめるかどうかが第一。それが大前提であって、オーディエンスの過剰な期待にも素直でいられるというか。「よし、俺達に任せておけ!」とは決して言いたくない。
──結成から12年を経て、純粋に音楽を楽しむことを前提にしたアルバムをようやく作り上げることができたとも言えますよね。
SEIKI:嬉しいですね。音からもそういうのが伝わるんだなと思うし、自分達が作ったものに対して純粋な気持ちで享受しているところが俺達にもありますから。