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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】SEIKI(Naht)×西村仁志(SHELTER)(2007年7月号)- Naht、蒼の時代──"Learn It From Lone"の追憶:1998-2003

Naht、蒼の時代──“Learn It From Lone”の追憶:1998-2003

2007.07.01

活動休止期を経て実に6年振りの発表となるフル・アルバム『In The Beta City』の完成、長らく入手困難だったファースト・アルバム『Narrow Ways』の新装盤発売と、Nahtの周辺がにわかに慌ただしい。本誌でも当然の如くそれらの作品を手厚くフォローしたいと考えていたところ、関係者から「一度"Learn It From Lone"を総括してみてはどうか」というリクエストを受けた。数奇な変遷を辿ってきた彼らの歩みを語る上で欠かせない自主企画"Learn It From Lone"は、良質な音楽を提供することで周囲を取り巻く閉塞した状況を打破するというSEIKIと西村による不屈の意志が通底した志の高いイヴェントであり、バンドとライヴハウスの強い信頼関係なしでは決して成立し得なかったものだ。無軌道なまでに自らの音楽性を追求することに腐心していた"Learn It From Lone"という蒼の時代に、SEIKIの胸中に去来するものは何だったのか。最新作『In The Beta City』の尋常ならざる充実振りを解く鍵はそこにあるような気がしてならない。(interview:椎名宗之)

安住できる場所からは何も学べない

12_ap01.jpg──そもそも、“Learn It From Lone”はどんな経緯で始まったんですか。

SEIKI:もともと“Forestyle”という前身企画を西荻のWATTSでやっていて。オープン当時から好きなイヴェントが多かったSHELTERに場所を移したかったんだよね。当時は、まだ店長が西村じゃなかったんですけどね。

西村:2代目店長の畠山(亮)さんでもなく、初代店長の平野(実生)さんでしたよね。俺が店長になる前に、2人どっちもが店を取り仕切ってた時期があって。

SEIKI:そう、平野さんだ。vol.1('98年2月22日)の時は、西村はもう働いていたよね?

西村:ええ、ペーペーでしたけどね。vol.1はフライヤーのデザインも覚えてるし、多分家にも保管してあるんじゃないかな。

──SEIKIさんから見たSHELTERの魅力、特性というのは?

SEIKI:圧倒的に好きなのは、スピーカーから出てくるあのコンプ感、SHELTERにしかない音。そこがやっぱり魅力。どれだけ爆音を出しても、音がちゃんとクリアに聴こえる。客として通っていた頃から凄いシステムだと思ってましたから。あとはもちろん、そこで働くスタッフの人間性も“Learn It~”をSHELTERで続けた大きな理由のひとつです。SHELTERに西村がいたから、というのは俺の中で凄く大きいんですよ。ツアーやイヴェントで他のライヴハウスに出た時に、SHELTERの有り難みが凄くよく判る。

──“Learn It~”は、当初からNahtを含めた3、4バンドの出演を基本姿勢としていましたよね。

SEIKI:基本的に4バンド以上は出さないと決めていたんです。'98年当時、SWITCH STYLEとイヴェントで一緒になることが多くて、その流れでvol.1の時に彼らに声を掛けたんですよ。vol.1はSWITCH STYLE、SOAK、HOLE WATERと一緒にやったんですけど、一発目ならこの面子でやりたいというヴィジョンがあった。

──イヴェントのコンセプトはどういったものにしようと?

SEIKI:そんなに構えた感じでもなかったんですよ。当時は誘われるイヴェントに妙な違和感を覚えることが多かったんです。それと、自分達のような音楽をやっているバンド…激しいものとメロディのあるものを巧く融合させているようなバンドが周りに余りいなかったんですよね。だったら自分達でイヴェントを始めてみよう、と。“Learn It From Lone”というのは、「WOUND」という曲の歌詞の一節から採っているんだけど、この場合の“Lone”は“孤独”という意味で、友達や集団の中に安住していても、そこからは結局何も学べないんじゃないか? という意味もあって。ひとり立ちを促すと言うか…。

西村:こうしてリストを見てみると…vol.6('99年8月21日)のCOWPERS、fOULとやった時もよく覚えてるし、vol.10('01年2月10日)のワンマンも印象深いですね。

SEIKI:でも、最初の頃は動員もシビアだったんですよ。当時の店長から「もっと動員が増えるように努力してくれ」みたいなことを何度も言われましたからね。俺がこの企画をSHELTERに持って行ったのと同じ頃にNAILS OF HAWAIIANが自主企画をSHELTERで始めようとしていて、当時の店長に「客層が凄く被ってるから、一緒に何とかならないか?」とも言われましたけど(笑)。

西村:また随分と強引な話だなぁ(笑)。

SEIKI:最初の数回はお客さんが40人程度で、bloodthirsty butchers、COWPERS、PAUMEと共演したvol.4('98年11月6日)で初めてソールド・アウトになったんですよ。その時は本当に凄く嬉しかった。

西村:“Learn It~”を始めた'98年って、Nahtとして活動してから何年目だったんですか?

SEIKI:3年目だね。『SLAKE』を出した辺りかな。当時はPEALOUTとかが周りにいて、よく一緒にライヴをやってたね。NUKEY PIKESもまだ活動していた頃だった。

海外のバンドを積極的に招聘した理由

西村:俺の中で“Learn It~”は、fOULの“砂上の楼閣”やeastern youthの“極東最前線”と並んで凄く思い入れのあるイヴェントだったんですよ。ライヴハウスのスタッフとして“Learn It~”を通じて学んだことはたくさんあるし、自分を成長させてくれるイヴェントでしたね。まだペーペーの分際で、当時の店長に「このイヴェントは絶対に続けたほうがいいですよ!」「必ず後に続く価値のあるイヴェントですから!」ってずっと熱を持って言い続けてましたから。Nahtをいつ初めて観たのかはもう覚えていないですけど…平たく言えば、変拍子の入った特異性は昔から感じていましたね。8ビートでは進まないけど、メロディがちゃんとあるって言うか。

SEIKI:西村は当時から熱い男だったんですよ。グランジ・ムーヴメントが沈下してきて、まだ“EMO”という括りも一般的ではなかった時代にワシントンDCから数多く生まれていた良質な音楽、シーンをちゃんと日本にも紹介したいな、みたいな話を当時西村とよくしていたんですね。音楽的嗜好もよくフィットしていたし。

西村:俺がまだ20代前半の頃、DISCORDの日本支部が出来たら面白いと思って、勝手にそういうパチモンのシャツを作って着ていたんですよ。それを見たSEIKIさんが過敏に反応してくれて、親しく話ができるようになったのはそこからだった覚えがありますね。

SEIKI:そうだね。精算の後にちょっと良い話をして、西村をよく泣かせてましたけどね(笑)。

西村:そりゃグッと来ますよねぇ(笑)。自分がいつ頃から店を仕切っていたか、記憶がおぼろげなんですけど…確実に覚えているのは、vol.6の時に1曲目の「F.A.C.G.B.E.」のイントロですでに泣いていたことですね(笑)。

SEIKI:西村は基本的に感じやすいんだよね(笑)。

──BLUETIP、SHINER、Q AND NOT Uなど、SEIKIさんが自ら招聘した海外のバンドが数多く出演したのも“Learn It~”の大きな特性のひとつで、志の高さを今更ながらに感じますね。

SEIKI:中には東京のオーガナイズだけ頼まれたバンドもいるんだけど、そういったバンドとはたまたま海を隔てているだけで、考えていることやリスペクトしているものは同じなんですよ。俺の中では、津軽海峡の向こうからCOWPERSを呼ぶのと、アメリカからバンドを呼ぶことは全く同じ感覚なんだよね。当時はそうした招聘をやっていた人達も少なかったから自分でやるしかなかったんですけど、ちょうどインターネットというツールが普及し始めた時期だったので、ミュージシャン同士がフェイス・トゥ・フェイスで繋がれる利便性も大きかったですね。

西村:BLUETIPとSHINERがゲストの時は、例外的にLOFTでやりましたよね。

SEIKI:そう。17回やった中で、その2回は敢えてLOFTでやった。サポートしてくれる日本のバンドも多かったし、ひとりでも多くの人へ見せたかったっていうのもあった。vol.9 ('00年10月12日)のBLUETIP来日の時は、fOUL、54-71、BLUEBEARD、200MPH、COWPERS、それにNahtで組みましたね。

西村:俺達SHELTERのスタッフは、その面子を聞いてキレたんですよ。“LOFTでEMO祭りじゃねぇか!”って。俺は結局、怒って行かなかったんです(笑)。BLUETIPはその後、“Learn It~”ではなかったけどSHELTERでもライヴがあったんですけどね。

SEIKI:vol.11('01年6月23日)のBURNING AIRLINESは、彼らがちょうどJET TO BRAZILとツアーをやっている最中で、別枠で“Learn It~”を組んでいたからシークレット・ゲストという形で出演してもらったんです。JET~が先に帰国して、BURNING~の滞在が残っていたので、「もう1本ショウをやる?」とJay Robbinsに訊いたら「やりたい」と。それで実現したんですよね。

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