読む対象が子供でも容赦はしない
──和尚と増子さんが一番好きな梅図作品、あるいはキャラクターというのは?
和尚:俺はやっぱり『猫目小僧』なんですよね。あとは『洗礼』とかですね。子供の頃に読んだ楳図漫画と、大人になってから読む楳図漫画とでは全然違うんですよ。それが同じ作品でも、何年か経ってから読むとまた違う感慨を覚えるんです。
楳図:子供の頃は、話に出てくる子供の立場からしか読めないですからね。主人公に危害をもたらす、敵対する存在にどうしても目が行くでしょう? 『洗礼』で言えばさくらの母親の若草いずみがそうだし、『へび女』で言えば弓子に散々襲い掛かってくるへび女は怖い存在だし。それは子供の目線なんですよね。それが大人になって全体を俯瞰して見られるようになると、「屈折した自分を持つとへび女のような行動をとることもあるのかもしれないなぁ」とか「『洗礼』の母親も、母親である前に一人の女性として生きたかったのかなぁ」とか、受け止められる範囲が広がってくると思うんですよね。
増子:俺はなんせ、先生の作品の7割方は持ってますからねぇ。先生が凄いと思うのは、永年描き続けて歳を重ねていくごとに作品の内容に含蓄されるものがどんどん深みを増してるところですよね。長編の『14歳』とかも話のスケールが凄くデカいし、人間模様の描写が事細かで。
楳図:ありがとうございます! (増子を見て)今日もシマシマのシャツを着ていらっしゃるし(笑)。
増子:ははは。猫目小僧はもちろん大好きだし、好きなキャラクターはあり過ぎてひとつには選べないけど、敢えて言うなら『赤んぼう少女』のタマミかな。先生がお化け屋敷をプロデュース(後楽園ゆうえんちの『楳図かずおのおばけ屋敷~安土家の祟り』、1994年)した時にタマミの扮装がいて、あれには感動して涙が出ましたね。「出たーッ!」って(笑)。
楳図:あの時はタマミちゃんそっくりの顔の方がいらしたんですけど、背が凄く高かったんですよ。それで、うーんと背の高い人を無理矢理うーんと背を小さくさせて、赤ん坊の洋服を着させようっていう発想だったんです。
増子:あれはホントに最高でした。今まで見てきたお化け屋敷の中で一番面白かったですよ。
楳図:普通、お化け屋敷というのはお化けを隠そうとするんです。僕の場合はそれをやめて、見えてるところから行こうと思ったんですね。あと、お化け屋敷って暗い、汚い、チープっていう印象がありますけど、それを全部逆にして、華やかでゴージャスにやろうと考えたんですよね。今はもうなくなっちゃって、ちょっと残念なんですけどね。
和尚:先生はピーターパンそのものだと思うんですよ。純粋だからこそリアルに描写できると言うか。それがリアル過ぎるから、俺達は子供の頃に凄まじい恐怖を覚えた。
──楳図先生ご自身がお好きなキャラクターは何ですか?
楳図:猫目小僧とおろちは凄く好きなんですよね。どこが好きかって言えば、ダーティーなところもそうだけど、ずっと孤独なところなんです。
増子:おろちは時空を超えていろんな所へ行くんだけど、そこに居たことを忘れちゃうんですよね。なかったことになってる。他人の人生に少しずつ関わるんだけど、そこに情は残さない、っていう。凄くドライですよね。
楳図:ええ。猫目小僧=おろちっていうふうに僕の中では繋がって、進化していったんですよ。
増子:そう考えると、俺は今の子供達が凄く可哀想だと思いますよ。だって、今の漫画ってそのほとんどが子供向けじゃないですか?
楳図:そうそう、漫画のほうが子供の目線に合わせちゃってるんですよね。
増子:今の漫画は闘いのトーナメントをダラダラ続けてるようなものばかりだと思うし、俺達が子供の頃に読んでた楳図先生の漫画は内容が大人だったんです。決して子供向けじゃなかったし、だからこそ凄く面白かった。先生が描く女性は凄く色っぽくて、小学生の時に読みながらドキドキしましたからね。
楳図:たとえ読む対象が子供だとしても、僕は別に容赦しなかったんですよね。自分の思い付いた考えを子供に合わせるよりも、これ以上思い付けないところまで思い付いたものをそのままドバーッと出しているから、妥協は全然してないんですよ。
──子供の頃に憧れた漫画でも、映画でも、ロックでも、身の丈以上に背伸びして無理矢理喰らい付いたものですけどね。
楳図:絶対そうですよ。僕らだって、子供の頃に精一杯背伸びしたかったですから。判らないものは判らないものとして、「そういう世界もあるんだな」っていう捉え方をしてましたしね。
やりたくないことはやりたくない
増子:子供に対して子供言葉で話し掛けるんじゃなくて、「怖い話ってこういうものなんだぞ」って真剣に子供に伝えてくれる大人がほとんどいなくなったんじゃないかな。それじゃ商売にならないと思ってるのかもしれないけど、逆なんだよ。それだけ深い内容なら間違いなく長く売れ続けるわけだから。あとね、田舎にある“ほこら”をイタズラすると祟りがあるぞ、みたいなことを教えてくれたのは楳図先生の漫画だったと思いますね。今の子供は平気で墓石をブッ倒したり、お地蔵さんにスプレーでヒップホップみたいな文字を書いたりとかするでしょ? そういう連中は一度猫目小僧にシメてもらったほうがイイよ!(笑)
楳図:お稲荷さんとかお地蔵さんとかは迷信的なものなのかもしれないけど、だからと言って無視はできないですよね。それを建てた意味がちゃんとあるわけですからね。
──映画の中にも、イタズラ心からお札を破ってしまい、神社の祠に封印されていた妖怪ギョロリを結果的に解き放ってしまう傍若無人な若者が登場しますね。
増子:俺ならあんなものを絶対に開けようと思わないし、第一そんな所に行かないよ(笑)。
和尚:たとえば、先生ならお札を破りますか?
楳図:僕はそういうことはしませんね。普段からお化けとか幽霊の存在を信じてないですけど、「ここは幽霊が出ますよ」なんて言われる所へは行きませんよ。野性の勘が働くのかもしれませんね。野性の勘は非科学的なものかもしれないけど、論理が積み重なった結果として導かれた感覚だから、ある意味で論理ではあると思うんです。咄嗟の判断をしなければいけない時に、論理でいちいちあれこれ考えてたら間に合わなくなるじゃないですか?
増子:そういう直感っていうのは、太古の昔から我々のDNAに擦り込まれているものですよね。ヘビを見るとイヤな気持ちになったり、暗闇の中が気色悪いとかはみんなそうですよね。
楳図:そうですね。今問題なのは、DNAに擦り込まれてない怖いことが現実に起こり始めてることなんです。
増子:今の時代、自然に対する畏怖の念がどんどん薄れてますよね。俺は今子供達が読んでる漫画もその一因だと思うんですよ。つまり、最後は何をやっても主人公である自分が打ち勝つというような。
楳図:そう! それはね、アメリカ映画にその罪があると思うんですよ。正義の名のもとに必ず勝つっていう構図がね。
──こうして話を伺っていると、和尚と増子さんが少年時代の情操教育として楳図先生の作品から如何に影響を受けたのかがよく判りますね。
増子:いや、ホントそうだよ。出てくるキャラクターも恰好いいしね。立派な大人でも、怖い時は取り乱したりすることを一番学んだ漫画なんだよ。『漂流教室』の食糧を独り占めする教師とか、非常時に態度が豹変する人間の姿とかね。姿形が醜くなって、「絶対こうはなりたくないな」って思うくらい醜くなるんだよね。妖怪百人会にやられる漫画家とかさ(笑)。
──先生が今後やってみたいことはありますか?
楳図:うーん、余りそういうことを考えてないんですよねぇ。お話を頂いたらやらせてもらっている、という感じで。でもまぁ、映画はやっぱり撮りたいですよね。自分で撮って、ちゃんと自分もその作品の中で出演して。知能程度が遅れてる人の役とか、僕はそういうのがイイんじゃないですかねぇ?
和尚:ははは。まことちゃんがそのまま大人になったような……“まことさん”とか?(笑)
楳図:そうそう。相当ヌケてるんだけど、天真爛漫で。でも凄くパワーを持っていたり、とか。まぁ、いろんなことにチャレンジしていきたいですね。基本的に、やりたくないことはやりたくないんですよ。やって面白そうだなと思うものならやりたいです。仕事以外では5ヵ国語を勉強してますけどね。知らない外国語の発音の仕方とか、学ぶと結構楽しいんですよ。
──では最後に、和尚と増子さんのお2人から楳図先生にエールをお願いします。
和尚:先生にはずっとそのままでいてほしいですね。先生からはいつもパワーを貰ってるし、いつ見ても感動する。今回の『猫目小僧』のように、時代を超えて映像化されることの意味がよく判るんです。先生が70歳っていうのがとにかく信じられないですね。こうなったら、100歳を超えてもずっとこのままでいてほしいですよ!
楳図:医療の最前線では、アンチエイジング(抗老化、抗加齢)の研究が盛んと言いますからねぇ。
和尚:じゃあ、アンチエイジングの先駆け的存在として(笑)。
増子:楳図先生は、俺にとって日本の漫画界のローリング・ストーンズなんですよ。最長不到のキャリアにして、新しい作品を絶えず発表し続ける存在ですからね。
楳図:僕は本質で生きてるだけですから、これからもずっと変わらないと思いますよ。お2人とも絵の世界の目線で見てもらえてると思いますけど、絵に余り関心のない人達を今後もっともっと引きずり込みたいですよね。判ってもらうというよりは、グイッと引きずり込むくらいのパワーで行きたいです。今日は本当にどうもありがとうございました!