ロックの向こう側、その果てにあるもの
──これは大袈裟でも何でもなく、この『PINK』は日本のヘヴィ・ロック・シーンにとって今後大きな指標となり得る作品だと思うし、前衛的な部分と良い意味で大衆的な部分とのバランスも絶妙ですね。
ATSUO:そう言ってもらえるのは素直に嬉しいです。今回はもうなりふり構っていられないと言うか、とにかく「先へ行かせてもらうよ」っていう感覚だったんですよね。日本に限らず、海外に対しても。向こうのバンドと情報交換をしたり、実際に海外を回ると、自分達が肌で感じているロックの向こう側、その果てにあるものを強く打ち出したくなるんですよ。ここ何年か、“エモ”とか“カオティック”だとか、ロックの世界は随分と泣きたがってるんだなっていう印象があるんです。でも、僕らにとってはそれが嘘泣きに聴こえてしまうんですよ。インスト・バンドが凄く増えてきて、言葉の意味を放棄し始めている感じもありますし、そういうコミュニケーションとしての言語を使わないことが気になっているんです。だから今回はメロディや言葉にリアリティを強く持たせたかったんですよね。今のロックには余りリアリティを感じられないし、無理矢理泣いている気がしてならないんですよ。
──まぁ、音楽に限らずあらゆる表現はみな虚構の世界という言い方もできますが…。
TAKESH:ただ、嘘泣きするにしても舌の出し加減が凄く目に付くんですよね。僕らが『PINK』で提示したかったメロディは“泣き”ではなくて、誤解を恐れずに言えば“キャッチー”さなんですよ。スーッと入ってくるし、こっちからも入って行けて、一緒に口ずさんだりできるものと言うか。それは歌じゃなくてもギターのフレーズでもいいし、そういうことで意味が生まれてくると思うんです。僕らと聴き手の関係性がもっと濃くなりますからね。漠然と“泣いてる”という印象だけ醸し出すなら凄く簡単だし、と同時に姑息だなと思うんですよ(笑)。
──要するにそれじゃ“気分だけのロック”ってことですよね。アルバムのラストを飾る「俺を捨てたところ」をいわゆるエモ好きに聴かせたら、もう“泣き”どころの騒ぎじゃないでしょうね(笑)。
TAKESH:ずーっとサビみたいなもんですからね(笑)。ここ数年、海外のバンドからコンタクトを受けることが多いんですけど、そういったバンドは僕らが括られているような“ドゥーム”とか“ストーナー”のジャンルじゃないんですよ。“エモ”とか“カオティック”と呼ばれるバンドからのアプローチが実は多いんです。それは僕らがただ単に“ヘヴィ”ってことじゃなくて、実験的なものを作ろうとしても必ずメロディが“先にありき”だからだと思ってます。もしかしたら僕らのメロディが欧米の人達の概念にはない独特なものかもしれないし、それは判りませんけど。ただ、歌はあくまで日本語で唄っているので、言葉を超えたメロディの部分で強い印象を与えているのかもしれませんね。
──海外をツアーで回った時の現地の人達の反応はどんな感じだったんですか?
ATSUO:基本的に凄く熱いですよ。日本語なのに、空耳で覚えた歌詞を唄ってる声も聴こえますし。
TAKESH:「あれ、オカシイな、ここコーラスはないのに何か聴こえるな」と思ったら、目の前のオーディエンスがシンガロングしてるんですよ(笑)。
ATSUO:海外で受けている他の日本のバンドとはまた違ったところにいるとは思うんですけどね。ヨーロッパにしてもアメリカにしても、日本の音楽に対して“ストレンジなもの”を求める傾向にあるじゃないですか。僕らは表面的にはストレートなロックですからね。
──海外から戻って日本のロック・シーンに目を向けると、やはり埋めようのない隔たりみたいなものを感じますか?
ATSUO:いやぁ、まず日本には純然たるハード・ロックって存在しないじゃないですか。とかくテクニック志向であったり、お笑いであったり。
TAKESH:真面目にやればやるほどそうなってしまうところはありますよね。まぁ、僕らはそれを真面目に追求しようとは思わないですけど(笑)。ロック自体が欧米からの輸入文化だから、元々ないものなんですけどね。
ATSUO:結局、ハード・ロックの居場所が日本には育たなかったんですよね。
TAKESH:そういう本来何もない土壌で活動している自負はありますね。日本のロック・シーンは基本的に村社会なんですよね。細分化されたジャンルがいくつもあって…それに比べると海外のほうはジャンルの境界線が日本ほど厳格ではないし、“来るもの拒まず去るもの追わず”な雰囲気ですかね。
──そう考えると、BORISが活動の場所を海外に求めるのは極めて自然な流れと言えますよね。
TAKESH:いや、今どき海外で活動すること自体騒ぐような時代でもないだろうし、日本のインディ・レーベルからアルバムを出すような感覚で、ごくごく普通に海外のレーベルからリリースしている感じなんですよ。多少言葉のやり取りに時間が掛かるっていうだけで。
ATSUO:うん。それと日本語で唄ってても全然やれるっていうのは実感してますね。
TAKESH:言葉の制約は確かにあるのかもしれないけど、伝えたいことがあればきちんと届くと思ってます。デタラメな英語をステージの上で発しているわけじゃなく、ちゃんとした日本語でシャウト(笑)してますからね。そこに何か意味があるんだろうなという捉え方をされているんだと思いますよ。
ATSUO:“叫びのための叫び”ではないって言うか。意味合いとか曲の世界があって、僕らの中に感情っていうものが生まれるわけじゃないですか。人種が違っても感情はみんな持ってるものだし、意味が判らなくても何かしらの感情の部分で共鳴してくれる部分があるのかな、と。感情とか音の手触りとかメロディとか、聴き手がピントを合わせる部分をはっきり音として提示したいですよね。