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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】長渕剛×平野悠(2002年7月号)- 「今こそ歌の持つ力をもう一度見つめ直したい!」

「今こそ歌の持つ力をもう一度見つめ直したい!」

2002.07.01

閉塞した時代の中で生きる希望を差し伸べる使命

平野:長渕さんが今度出したベスト盤を通して聴いてるとね、昔の本当にいい時代のフォークを彷彿とさせて、僕の個人的な感性から言うと凄く嬉しかったの。「オッ、これ三上 寛じゃないか?」とか「友部(正人)じゃないか?」って。僕が20数年近く前にやってた<西荻窪ロフト>っていう店には、森田童子、友部正人、加川 良や高田 渡とかが出てくれてね。ちょうど連合赤軍の事件(1972年2月)とかがあった頃ですよ。僕はそういうフォークにずっと思い入れがあって、そこからロックに入っていった人間なんで。長渕さんを見てると、そういう時代の音楽の精神をしっかりと引き継いでる歌唄いだなぁと思うんですよ。あの頃、音楽でいうと何に一番影響を受けました? 
 
長渕:やっぱり関西フォークです。加川 良先輩とか友部正人先輩とか。連合赤軍のあさま山荘事件の時には、友部正人先輩がトーキング・ブルースで唄ったんですよね、「おお せつなやポッポー 500円分の切符をくだせぇ」(「乾杯」)って。かっこよかったなぁ。 
 
平野:そうそう!
 
長渕:それとあと、加川 良の「下宿屋」とかね。 
 
平野:「下宿屋」は何かのコピーだって噂があったんだけど、僕もあれは大好きだったねぇ。
 
長渕:それと勿論、吉田拓郎先輩や(井上)陽水さんからも影響を受けたし…。あの頃のフォークっていうのは、高田 渡さんにしても遠藤賢司さんにしてもそれぞれに個性があったし、ギターの弾き方も皆主張があった。遠藤賢司の「カレーライス」なんて、今でも僕はギターを持つと思わずフレーズが出てきます。そこから僕は彼らのルーツを手繰り寄せていって、ボブ・ディランやウディ・ガスリーを聴いて勉強したりしましたね。彼らがいなかったら僕は今こうやってインタビューも受けていないし、歌も唄ってないわけですから、そうした先輩たちに対する敬意の念というのは決して忘れないですね。
 
平野:やっぱりあの時代の音楽は面白かったし、希望があったもんな。僕は西荻窪にあるたかだか15坪の敷地でずっと店をやってて、高田 渡なんてステージで唄いながらさぁ…… 
 
長渕:あの人、ステージ中に寝ちゃうんでしょ?(笑) 
 
平野:そう! 俺、しょうがないからステージまで行ってポンと肩を叩いて起こしたら“ゲボッ”ってギターとズボンはゲロだらけ(笑)。そういうのが全部許される時代だったんですよ。 
 
長渕:僕は学生時代に高田 渡さんを学園祭に呼んだんですけど、来ませんでしたからね。連絡したら「どっかまでは来てる」って言うんですよ(笑)。
 
平野:あと、東京ロッカーズとかあの辺の、70年代の終わりから80年代初頭の日本のパンクの時は、長渕さんは何してました? 
 
長渕:その頃はもう、専ら弾き語りで小ホール・ツアーをずっと廻ってました。友達はいましたけどね。<照和>でやってたモッズだとか、陣内(孝則)のロッカーズだとか、サンハウスだとかね。シーナ&ザ・ロケッツもかっこよかったなぁ。ああいう連中と音楽談義に花を咲かせたり、一緒に酒呑んでバカ話したり。刺激的な芸術家ですよ、彼ら。半端じゃない。 
 
平野:じゃあ、その頃はもう自分の世界の中で弾いて弾いて弾きまくってたんだ? 遠藤賢司みたいですね(笑)。彼も昔はいつもギターを肌身離さずでしたよ。 
 
長渕:デビュー当時の僕のコンサートには、遠藤賢司さんとか友部(正人)さんの奥さんとかが遊びに来てくれました。 
 
平野:友部はウチで働いてたアルバイトをカミさんにしたんだよ(笑)。 
 
長渕:ああ、そうなんですか(笑)。 
 
平野:長渕さんがパンクのあの精神に影響を受けなかったのは、それ以前に三上 寛や高田 渡や友部正人なんかの世代のフォークにすでに大きなショックを受けちゃってたからなんですね。 
 
長渕:そうです。だから、僕があの時代のフォーク・ムーヴメントの精神をきちんと継承している最後の世代だと思います。フォークに多大なるカルチャー・ショックを受けて、それを自分のスタイルに変えてやっているという。どちらかというと、保守的な表現形態をとっています。 
 
平野:今、勝負したくなるような若い奴いるかい? 今の若い子たちって、「年寄りは面 倒臭いからとりあえず敬服しとこう」みたいな奴らばっかりでしょう? 無駄なトラブルは避けたいっていうさ。僕らはそのトラブルがあるから面白いわけじゃない? トラブルを背負ってこそいろんなものを勝ち取れるのに。で、最後は「ま、いっか」という中途半端さで、結論を出さずに終わり。僕たちの若い頃は無理矢理にでも結論を求めたけど、これが今の若い子たちの観念だと思うんですよ。
 
長渕:いや、そうじゃない奴らもいるんじゃないですかね? 十把一絡げにそういう連中が際立って見えるけれども、筋金入りのサムライも僕はたくさん知ってますよ。 
 
平野:僕は今、若い奴らのことを信用してないんだよ。今の30代後半の連中って会社でリストラがあったり、子供がいるのに給料も上がらなかったり、一番辛い目に遭ってるでしょう? 勿論それはデフレ・スパイラルだから仕方のないことなんだけど、将来的な展望も見えない。でも僕はどっかで「ザマァミロ!」っていう気持ちがあるわけ。要するに、「この20年間、お前らは政治とか社会とか環境とかの話をするのをダサイと思ってただろう!?」って。だから権力や支配者は勝手に好きなことをやりまくって、その跳ねッ返りが自分の身にまで及んでるんだよ。今まで何もやってこなかったせいで、社会から復讐を受けてるんだよ。「自業自得なんだ!」ってね。 
 
長渕:僕は「ザマァミロ!」っていう言葉は作家としてちょっと使えないんですよね。優しいメロディで「♪ザマ~ミロ~」って唄ってもいいけどさ(笑)。でもそこから何か生きる希望みたいなものを生み出さないとしょうがないじゃないですか? 罵倒して打ちのめすことは誰にでもできることです。大切なのは、そこから何か起き上がることを考えないといけない。 
 
平野:僕はね、もう徹底的に日本は悪くなったほうがいいと思ってるんですよ。一度堕ちるところまで堕ちて、共同体も含めて全部解体するしかない。その時に初めてみんな“これじゃいけない!”と真剣に考えるようになるだろう、と。でもその一方では、「日本って上から下まで腐りきってるじゃん!」というこの現状に対してやっぱり何とかしたい考えも常にあるわけです。だからその狭間でいつも揺れ動いてるんですよ。
 
長渕:まぁ過激派としてはね(笑)、そういう言い方も判りますよ。僕の過激は、また平野さんとは違う。もう25年間も第一線で唄い続けていること自体が過激ですからね。歌の影響力がこれだけ大きくなった今でも、僕は行く時は徹底的に行きますから。平野さんより過激かもしれませんよ(笑)。ただ、今この現状の中で倒れている奴がいる時は、そいつを起こし上げたいという想いがあっての過激が大切ですよね。それは団塊の世代も“三無主義”も思想も何も関係ない、人間として当たり前の即効的な行動です。そういう自分でありたいし、何回も言いましたように麻痺したくないんですよ。だけど、悲しいかなこの業界、熱い野郎、男気に燃える野郎が本当に少ないんです。だから、僕だって平野さんどころじゃなく腹が立つことばっかりです(笑)。
 
平野:なるほどね。倒れている奴がいる時はそいつを起こしてからの過激、か…。そのフレーズはいいね。まぁとにかく、何か面白いことを一緒にたくらもうよ(笑)。今日はお忙しい中ありがとうございました。 
 
(写真:大川奘一郎/本文構成:椎名宗之)
 
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