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INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】長渕剛×平野悠(2002年7月号)- 「今こそ歌の持つ力をもう一度見つめ直したい!」

「今こそ歌の持つ力をもう一度見つめ直したい!」

2002.07.01

自分の立ち位置、それは“日本”

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平野:僕は日本のロックに絶望したというか、カウンター・カルチャーとしてのロックが凄い好きだったんですよ。「売れなきゃクソだ!」という発想がすべてを支配しているような音楽業界に対して僕は興味が全くなくなって、そんな中で長渕さんの「静かなるアフガン」に出会った。物凄く衝撃的でした。僕はあの昨年の9.11の直後に“とにかく現場を見なければダメだ!”と思って、ニューヨークへ飛んで行ったんです。そこに一週間ちょっと居て、何度も「グランドゼロ」に佇んで思ったのは、どんな理由があろうとも“やっぱりテロは許せない!”と。でも、いつの間にかそれが、アメリカの空爆もやむを得ないと思っちゃうんですよ。恐いですね。あのアメリカの巨大な怒りのエネルギーを現場で味わってしまって(註:私がマンハッタンにいた時は2~3万人が殺されたと言われていた)、それで日本に帰ってきて“あれ~アメリカってオカシイんじゃないか?”って初めて冷静になれたくらいなんです。僕はアフガンにも行ったことがあるんですけど、長渕さんは?
 
長渕:行ったことはないです。僕はテレビの映像の中でしか感じていません。あの事件があった時は丁度ツアー中でしてね、怒りを通り越して、もう言い様も知れない無力感、虚しさで一杯になりました。そして、“こんな歌を唄っていていいのか?”“こんなコンサートをやっていていいのか?”と、今までそんなに危機感を持ってなかった自分がたまらなく恥ずかしくなりました。それで正直に書き上げたのがこの「静かなるアフガン」だったんです。結局、ニューヨークにもアフガンにも僕は行ってないし、今回のこの歌に関して「自分の立ち位置が見えない!」っていう厳しいお叱りの言葉を受けたこともあったんです。その時、僕は即答しました。語気も強かったと思います。「その立ち位置とは“日本”だ!」と。テレビで見てる戦争っていうのは、僕らにとって所詮は絵空事なんですね。向こうで起きている悲惨な出来事に対して、自分のこととして受け止めなくてはいけないのに、それができないんですよ。でも、「戦争はやっちゃいけないことなんだよ!」っていうのを敢えて僕はここで言わなきゃいけないと思ったし、言いたかったんです。だから、そのままストレートに書いたし、アフガンやニューヨークで起きたいろんな出来事を日本に、東京に、自分の根ざした地域、町にパンした時に、そこには戦争というものがたくさん転がってるという危機感を持ってくれるだろうと。まずは、そこから始めようと。
これは僕がよく話をすることなんだけれども、我が子の手を引いて横断歩道を渡ろうとするでしょう? そこへ学校帰りのランドセルを背負った子供が、信号が赤なのに道を渡ろうとする。トンネルの向こうから車が来ている。「見てごらん。車が来てるよ、危ないよね?」と我が子に言う。「信号が赤だから、こういう時は青になるのを待って、右向いて左向いてから渡るんだよ」と教える。それが他人の子供となると、信号が赤で道を渡ろうとすると「ほら、ああやって渡ろうとしたら車に轢かれたりするんだよ…ほらほら、車が来たよ…(パンと手を叩いて)ほら! やっぱり轢かれちゃったよ!」っていう、履き違えた豊かさや平和に麻痺してしまった僕ら日本人の今の現状なんです。その時に我が子の手を引いていようがいまいが、「危ないッ!」って本能的に飛び込めるか飛び込めないかが一番大事なことで、いつの間にか一番大切な何かが失われていってるんです。 
 
平野:そうですね。 
 
長渕:身体が俊敏に対応しないんですよ。僕はそのことが、自分自身がそうなってやしないか? っていうことが物凄く厭でね。戦争が起きても他人のこと、湾岸戦争のことも歌にしたけどそれも他人のこと、そんなに深く考えていない。次から次へと不安ばかりを掻き立てるようなニュースが目に入ってくる。答えもないまま。国会の中継を見ても、一人の人間を集中的にいじめる。新しい内閣ができても、猶予も与えないまま「ダメ! ダメ! ダメ!」の連続。果ては少年の陰湿な事件や幼児虐待が起きたり……。いつの間にか僕らは“なぜこんな事件が起こるんだろう?”という疑問を抱くことすら去勢されてしまっているような状況だ。だからこそ音楽が持つ力、歌を唄っている力をもう一度見つめ直したいと再度真剣に思うんです。僕には家族がいて、25年間も歌をこの国で唄っているわけだけども、その時代、その時代で唄わなきゃいけない歌っていうものがやっぱりあると思うんですね。“売れる”“売れない”っていう競争社会から離脱しても、「この歌を残しておくんだ!」と。他人が切られた傷を見て“痛いんだろうな”と思うんじゃなくて、自分で切ってみて、そこに塩を擦り込んで“本当に痛いんだな”と思うくらいの気持ちがあるから表現者なわけでしょ? 今回の場合は特に、“売れる”“売れない”はもう頭の中にないんです。とにかく歌を書いて、万人の前で唄わねば、と。でも、NHKを筆頭に各放送局で「静かなるアフガン」がオンエアされない状況っていうのは、僕は考えなかったんですよ(笑)。
 
平野:素晴らしい! ……でも、考えなかったの?(笑)
 
長渕:メーカーも考えなかったんです。これは僕らの買い被りだったんだけれども、“NHKこそはきっと取り扱ってくれるだろう”と。でも、そこが一番ダメだった。やっぱり甘かったな。
 
平野:甘い、甘い(笑)。僕がただ売りたいだけの宣伝マンだったら、絶対にリリースは反対していたね(笑)。 
 
長渕:今は若干変わってきてね、最初に日本テレビが挙手してくれましたね。今度収録(『FUN』6月21日にOA済)に行きますけども。プロデューサーの藤井(淳)君、ディレクターの江成(真二)君には本当に感謝しています。
 
平野:それ唄っちゃうの? 
 
長渕:唄います。
 
平野:おっとっとっと……(笑)。
 
長渕:“売れる”とか“売れない”だけじゃなくて、この国の危機感を感じてほしいんです。平和であることの感謝を感じてほしいんです。人間を心から愛したいんです。みんなみんな、愛してほしいんです。そして、歌の持つ力を信じたいんです。真面 目に考えることを照れないでほしいんです。今回メーカーやスタッフも含めて自分たちがこういう歌を出したことは、特別なことじゃないんです。当たり前のことなんです。 
 
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