Rooftop ルーフトップ

INTERVIEW

トップインタビュー【復刻インタビュー】長渕剛×平野悠(2002年7月号)- 「今こそ歌の持つ力をもう一度見つめ直したい!」

「今こそ歌の持つ力をもう一度見つめ直したい!」

2002.07.01

これからの唄い手を自らプロデュースしていきたい

01_3.jpg

平野:長渕さんが今までに選んできた道は間違ってないという気は凄くするんですね。で、問題は今回の「静かなるアフガン」ですよ。それ以前に湾岸戦争のことを書いた歌(「JAPAN」)の時は問題にならなくて、今回問題になったのは何なんだろうな? と考えてみたら、ブッシュの親父の時はやっぱりどっかでバーチャルで見てたわけじゃないですか? だから余りピンと来なかったけれども、今回のアフガンっていうのは本当に直接僕らにガーンと来たんですよ。これから始まる21世紀が見えてしまった気がして。「静かなるアフガン」の歌詞は、“これはちょっとストレートすぎるよ!”と思ったけど、でもこれこそが長渕さんや僕たちが本当に思っていた自然な言葉なんだろうなって。これこそがロック魂! 
 
長渕:(微笑)
 
平野:ここまでムチャクチャにやれちゃうのは凄いですよ! 過激派・長渕 剛!(笑) 
 
長渕:結局、表に曝されている人間はとてつもない安心感とか、父性愛、母性愛に飢えていてね、表に立たない人間っていうのは表に立たないぶんだけその飢え方が違うんですよ。だから怖いですよ、自分が表に立つ以上はね。ある種の覚悟がないとね。 
 
平野:発言し、メッセージを送り続けているんだもんね。
 
長渕:ええ。だからあの歌を作った時には、不安とか恐怖から自分が解き放たれたい、癒されたいという気持ちが大きかったですね。“何なんだろう、こういう事件というのは?”っていう。社会派ノンフィクション作家の高山文彦さんとか、医療機関でアフガンに行ってる人たちとも話をさせてもらってね、いわゆる“反戦歌”としてではなく、最終的には“ラヴ・ソング”とか“祈り”に通 じる歌を書きたかったんです。それで、それまでにアフガンとアメリカがどういうふうに結び付いて、どういった形で戦争になったのかという経緯を彼らにレクチャーしてもらう必要があったんです。その中で「この時期にこの歌だけは絶対に譲れない!」という想いが沸き上がってきたんです。作家としては、他にも書き方が一杯あったかもしれない。ビンラディンをモグラにして、アフガンの空を黒いカラスにして、カラスとモグラのイタチごっこというふうにしたほうがもっと普遍的になったかなとも思うんです。だけど、あの時期に自分が直感的に書いた歌詞──「(ビンラディンは)アメリカが育てたテロリスト」──という部分は真実ですから、そこを唄わないわけにはいかなかったんです。その後に来る恐怖なんていうのを考えることより、“事実”より“真実”を知るべきだと。言い換えれば、二、三行の事実が書かれてある新聞の記事の中から、その奥底にひそむ真実を読み取る力が失せてしまった自分がまたまた恥ずかしかったです。緊張感がまだまだ足りないんですよ。だからなおさら、唄った。
 
平野:いや、とにかく凄い詞だったし、あとやっぱりオケが良かったね。あれをチョイスした感性はスゲェなと思って…もう感激しちゃったんだけれども。これから長渕さんがこの歌を引っ提げてどういう闘い方をするのか? っていう部分に凄い興味があるんだけれど。 
 
長渕:僕一人の力じゃ何にもならないですから。今は殆どの放送局で曲がかかってきてまして、NHKも「周りがかかってくるようになれば…」という応対でしたからね。あの歌をどれだけテレビやラジオで唄えるかってところで、今の僕としては一杯一杯ですね(笑)。
 
平野:俺たちの周りじゃさ、「NHKが曲をかけない? じゃあNHKまでデモかけようぜ!」とか話が飛んでるんだけど(笑)。去年、<小倉あやまれ友の会>っていうのをやったんですよ。『特ダネ!』っていうフジテレビのワイドショーの司会をやってる小倉(智昭)っていうのが番組の中でロックをバカにしたんです。サッチー(野村沙知代)とニューロティカというバンドがライヴをやってる映像を見て、小倉氏がサッチーに引っかけて「この会場の若い子たちはいくら貰って来てるの?」って言ったんですよ。これには腹が立ってねぇ。大企業とのあの横柄なやり取りっていうのも凄く腹が立つし。一度対応したら後は知らないよ、っていう無視の決め込み。それで頭来たからデモ組んで、最後はフジテレビのロビーを占拠して。それでも向こうは無視ですよ、当然ね。その次に、フジの株主総会に出席する委任状と議決行使権を手に入れて、今度は株主総会に殴り込みですよ。
 
長渕:やりますねぇ。 
 
平野:それで、「伝統あるフジの株主総会がこれだけ荒れた!」って警備部長が泣いて、そこで初めて冷静に話し合うことができて、太田英昭さんという話の判る役員さんが出てきて、ついに向こうから詫び状を取っちゃった。
 
長渕:取ったんですか? それは素晴らしい(笑)。
 
平野:これは政治でも何でもないですよ。それで、フジテレビの太田さんと「お互い思想は違うかもしれないけど、日本を憂いている気持ちは同じだね。俺たちおやじも何とか頑張りたいね、少しでも日本を良くするために…」って、これが判り合えてしまうんですよ。とにかくこのワイドショーの言い放しは面白くないし、「ウソは泥棒の始まりだから、少ない小遣いをはたいて来てくれた若いロック・ファンに謝れ!」と。別にお金が欲しいわけじゃないし、あの時ロフトへロティカを観に来たお客さんは自分のお金を払ってくれたわけでしょう? それを公共の電波を使って「この子たちはいくら貰って来てるの?」なんて言われたら怒るでしょう? 
 
長渕:ええ。当たり前です。 
 
平野:確かにくだらないことかもしれない。たかだか小倉氏がちょっと放言をしただけで怒るなんてのは。でも、そういう不条理に対して諦めないで、ひとつひとつ怒っていくことが僕は必要なんじゃないかと思ってるんですよ。長渕さんも今怒ってないといけないんだよ、理由はたくさんあるし(笑)。その怒りを僕たちと共有しましょうよ。長渕さんの歌が放送局でかからなくて「面白くない!」と言うのなら僕らは共闘できるし、長渕さんの思っていることがこちらに伝われば僕らは動きますよ。それくらいのことは考えてインタビューしているんですよ。NHKがブッ飛ぶのを見たいんですよ(笑)。 
 
長渕:ライヴハウスはこれからの唄い手が唄う場ですよね。彼らがプロを目指して段々段々富や名声を持っていくわけでしょう? 有名になる前の連中が唄う場所がライヴハウスであるっていう認識が僕の中ではあるんですね。今振り返れば、自分もそんな時代に無責任にいくつでも曲を書けたら、って思うんですよ。当時、僕も毎日のように曲を書いてて、東京に出てくる頃は300曲くらい曲を持ってたんです。でもその殆どはプロになってから捨てましたけどね。毎日ライヴハウスで唄ってて、その頃はバンド・ブームで周りはバンドばっかりだったけど、自分はギターとハーモニカだけでやってて……そういう連中を育てませんかね? 僕はそういう連中を育てたいんです。今アコースティック・ギターとハーモニカでデビューしてくる連中っていうのは少なくないんですけど、最低限の技術をもうちょっと磨かないといけないと思うし…。そういう連中がもっともっと出てきて欲しいんです。まぁこれが実現するかどうか判らないですけど、自分の音楽活動の一環としてプロデュース・ワークをやっていきたいんですよ。つんくがモーニング娘。みたいなのをプロデュースするくらいならね(笑)。精神性もきちっとしていて、ギターやハーモニカの見せ所もハッキリと判っている本物のアーティストを僕らが育てて、テレビ局に送り込んだほうが、100のデモをやるよりも効力はあると思うんですよ。だから、集合を掛けてロフトでオーディションをやってね、フォーライフ ミュージックエンタテイメントでテープ審査をやって、最終的に僕がプロデュースをする、と。どうですか? 
 
平野:確かにそれは面白いね。やりましょう、やりましょう。 
 
休刊のおしらせ
ロフトアーカイブス
復刻