1970年代、「15、16、17と私の人生暗かった〜」と、怨歌「夢はまたひらく」を歌った藤圭子は、27歳になった時、突然引退。その娘、宇田多ヒカルは、団塊世代にとってノスタルジックな歌いやすいR&B(リズム&ブルース)「Automatic」を作詞作曲し、平成になって突然現れ、スターになった。そして母と同じ年齢になった瞬間、事実上の引退を表明した。
藤圭子の怨歌は、“レコード”で聞いたが、宇田多のR&Bは“CD”で聴いた。私はこの母子の歌に、「貧倖」のイメージを重ね合わせ“貧しくても幸せな生き方”をカラオケ屋でよく歌う。
宇田多の引退宣言と同時期の8月22日、大型CD販売店「HMV渋谷店」の閉店が決まった。「渋谷系」と呼ばれた音楽をHMVは発信し続け、一時代を築いたが、手軽なインターネットの音楽配信が売り上げを伸ばし、宇田多のデビュー時に比べ音楽CDの販売は半減。まさに、HMVの閉店はCD不況のシンボルだ。CDも、LPレコードと同様に「古めかしい物」の象徴の一つとなり、HMV渋谷の閉店は消費の街、渋谷の“お葬式”のようだ。
一方、近頃の音楽業界ではAKB48を中心に“アイドル軍団”と呼ばれるグループが次から次へ竹の子のように現れ、もう何がなんだかわからない上に、韓国からも「少女時代」など3組ほど上陸中だ。彼女等の楽曲の主力販売方法は、きっとネット配信だろう。コツコツと小遣いを貯め、CDやLPレコードを買う習慣は消えた。かつては、「貧しくても幸せな生き方」の象徴の一つに、レコードとCDがあった…。レコードジャケットと歌詞カードは宝物で、大切に扱い、大事にコレクションもした。
過日、8月中旬に放映されたテレビドラマ「帰國」(TBS系列)の中で、陸軍将校役の長渕剛は、“貧倖”についての長いセリフを見事に語り、演じきった。戦後65年。日進月歩の“音楽”の有り様に、文化省の言うところの“リアル熟議”をしたいが、もう打つ手はない…と思う。いい時に宇田多は見切りをつけた。
一方、肺ガンのため突然に芸能レポーター人生に見切りをつけられたのは、梨元勝氏。まだ65歳であった。梨元さんは、清水健太郎の繰り返す薬物事件について、「Vシネマ業界は怪しい…」と発言をし、Vシネマに生きる人々とひと悶着あった。梨元さんは、とりわけ芸能人の違法薬物事件については、「絶対ダメだ!!ダメなものはダメ!!」と、厳しいレポートをし続けた。
しかし、安直な“復帰会見”については、厳しい発言をしながらも、個々の芸能人の才能を冷静に分析しながら、「もう大丈夫だ!!」と信じた才気溢れる芸能人に対しては、密かに“再生”にも力を貸していた。
その筆頭が、ショーケンこと萩原健一との“和解”であろう。しかし、シミケンこと清水健太郎のかもし出す“ブラックな影”に対しては、慎重な対応をし続け、シミケンの前途には“要注意マーク”を続けていた。
梨元さんが「怪しい…」と指摘していた通り、シミケンは合計5回目の違法薬物使用等の容疑で、8月19日に再び逮捕された。口うるさい芸能レポーターが、また一人いなくなった…。
高須基仁 PROFILE
1949年生まれ。中央大学在学中の1968年、丸太を抱えて防衛庁に突入し実刑判決を受ける。卒業後は玩具メーカーのトミーに入社。UNOカードなどのヒット作を連発する。その後、芸能プロダクションを経て、モッツ出版を起業し多数のヘアヌード写真集をプロデュース。現在はラジオ、新聞で連載多数。ロフトプラスワンでは1996年から高須基仁プロデュースイベントを定期開催し、現在同店では最長開催イベントとなっている。