平成ももうすぐ終わる。
思い返せば平成は様々なことがあった。
たとえば、1992年。歌手の尾崎豊が死去。甲子園で松井秀喜が5打席連続敬遠。映画『シコふんじゃった。』公開。そして「風船おじさん」行方不明。中でも私たちの記憶に最も残っているのは荒井注のあの事件しかない。そう、カラオケBOX事件だ。
荒井注が静岡県の伊東市にカラオケBOXをオープンしようとした。しかし、入口を小さく作ってしまったために、肝心のカラオケ機器を建物の中に入れることができず、オープンを断念したあの事件である。
約26年経った今でも私は荒井注のカラオケBOXについて考える時がある。何とかして機器を中に入れる方法はなかったのだろうかと。
最初に考えられる方法は、入口から入れるのが無理ならば、入口以外から入れる、という方法である。裏口、ベランダ、窓など、他にも出入りできるところはあったはずだ。しかし、その方法を荒井注が試さないわけはない。きっとどこの出入口よりもカラオケ機器が大きかったのだろう。
入口よりも大きいものを入れるという話から思い出されるのはボトルシップ。それに倣わない手はない。よって次に考えられる方法は、カラオケ機器を分解して建物の中に運び、それを中で組み立てるという方法である。これなら問題なく中へ入れることはできる。しかし、分解して組み立てる技術を持った者がいないと始まらない。この方法が選択されなかったということは、技術者がいなかったのだと推測される。
原始的ではあるが、石鹸で滑りを良くして入れる方法や、油で滑りを良くして入れる方法も考えられる。ただし、これらの方法は入口と機器がほぼ同じ大きさであるならばまだ可能性があるかもしれないが、あまりにも大きさが違うといくら滑ろうが無理である。また、石鹸や油で機器が汚れてしまうのも大きな問題だ。
そうなるとあの方法しかない。それは漫画『キテレツ大百科』に出てくる発明品からヒントを得たものである。この世の物体は原子が集まってできていて、その原子同士の間には隙間がある。その隙間を通ることができれば、物体同士はすり抜けることができるという。これを利用し、入口のドアの原子とカラオケ機器の原子が衝突しないようにすれば入れることができるはずだ。しかしこれこそ難しい方法であるのは明らかだ。
結局、良い方法は思いつかない。私は荒井注の役に立てないのか? いや、ひとつだけ役に立てることがある。それはこの事件を風化させないということだ。そうすれば近い未来、何か良い解決策が生まれるかもしれなく、タイムマシンが発明される可能性もある。
そこで私は、いつまでも記憶しようとある語呂合わせを考えた。
ドア19センチに対しカラオケの機械92センチ
1992年、荒井注カラオケBOX事件
これならいつまでも忘れない。
そういうわけで今回は、他の平成の出来事の語呂合わせも作ったのでぜひ活用してもらいたい。同時に平成を懐かしんで欲しい。
なお、試験には出ないので受験生は無視したほうが良い。
いく(19)ら注意しても救急(99)車のように騒ぐ
1999年、吉村作治が成人式で激怒
1人でも9人でも95人でもペア分けできない!
1995年、梅宮アンナが羽賀研二とペアヌード
200MBのファイルをダウンロードするのはむ(6)り
2006年、仲間由紀恵 with ダウンローズ解散
200曲弾きながらイギリスへGO(5)!
2005年、イギリスの海岸でピアノマン保護
19から99%脱退しました
1999年、19から326が事実上脱退
200デシベルなんて無理! 頑張って7デシベル
2007年、船場吉兆の女将ささやく
2011針縫う大ケガ!
2011年、反町隆史のドーベルマンが隣人を噛む
カウント2.007で跳ね返した!
2007年、池谷幸雄、プロレス・デビュー
全治2015カ月でもおかしくなかった
2015年、池谷幸雄、イベントで退場する時に助走、バック転、後方1回宙返りをして右アキレス腱断裂、左ふくらはぎ肉離れ
行く(19)ぜ、最低95回はアメリカに!
1995年、吉田栄作、渡米
仁王(20)立ちではなく倒(10)立
2010年、池谷幸雄、選挙カー上で倒立
行く(19)急な(97)腹痛で
1997年、乱一世「トイレはCMの間に」と発言
能楽狂言方和泉流二十(20)世宗家の(0)ダブル(2)ブッキング
2002年、和泉元彌、ダブルブッキング
イ(1)タタ自打球(9)自打球(9)自打球(9)
1999年、巨人後藤、3球連続自打球
20時17分の電車が来るぞ!
2017年、松本伊代と早見優、線路立ち入りで書類送検
行く(19)ことができない、91回以上プロポーズをした男がいるから
1991年、武田鉄矢、飛び出してトラックを止める
せきしろ
1970年、北海道生まれ。主な著書に『去年ルノアールで』『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『たとえる技術』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』など。