わずか数文字で状況を一変してしまう言葉がある。
(5時間後)
カッコと四文字で構成されるこの言葉もそのひとつだ。
この言葉を付けるだけで、聞きなれた言葉の印象は別のものになり、頭に浮かび上がる風景は一変する。やがて想像を掻き立て、ドラマ性を生み出す。
たとえば、お笑い芸人であるねづっち氏。彼のお馴染のセリフとして「ととのいました」というのがある。誰もが一度は耳にしたことがあるだろう。ねづっち氏はなぞかけを得意としていて、なぞかけが出来たと同時に「ととのいました」と言うのだ。
これに先ほどの言葉を付けてみる。
ととのいました(5時間後)
これではととのうまでに5時間かかったことになる。ねづっち氏のなぞかけは即興性が強く、スピードが持ち味だが、それらの特性がすべて失われてしまっている。これが『(5時間後)』という言葉の力だ。
そしてドラマ性が生まれ始める。
5時間後に完成したなぞかけ。ここからじっくりとなぞかけを考えるねづっち氏の姿が浮かび上がって、いつもとは違う真剣な表情が見えてくる。
ではその5時間をねづっち氏はどのように過ごすのか? 舞台上でじっと考えている時もあれば、意味もなく歩き回ることもある。歩くことによって脳は活性化すると言われているから、間違った行動ではない。
時には外の空気を吸いに行く時もあるだろう。そういったリフレッシュも必要だ。ブドウ糖を摂取することもあるだろうし、夏場なら水分、そして塩分を取ることもあるはずだ。熱中症でなぞかけができなかったなんてことになったら大変だ。
こうして思いついた言葉やフレーズ、過去のエピソードなどを紙にメモし、その断片的な情報を元になぞかけを作っていく。自分ひとりで作るとどうしても偏りが出てしまうし、ひとりよがりになってしまうため、周囲の人に相談することも忘れない。雑談から良いなぞかけが生まれることだってある。
そうしてなぞかけをいくつか絞り、そこからひとつ選び、さらにブラッシュアップしてやっと完成する。しかしすぐに発表するわけではなく、壁に向かって何度も練習する。
この間、お客さんは客席でずっと待っているわけではなく、外出することも可能である。会場近くに観光スポットがあればそこに行くのも良いし、買い物や、いつも作ろうと思っていてすぐに忘れてしまいがちな合鍵を作ったり、洋服の直しを頼んだりして思い思いの時間を過ごす。「でもそんなことしてたらなぞかけを見逃す人もいるのでは?」とお思いの人もいるだろうが心配ない。ブザーを持っているからだ。フードコートで料理ができたら鳴る、あのブザーだ。なぞかけが完成したらブザーで知らせてくれるので問題はない。
そうしてお客さんがすべて揃ったところで、ねづっち氏はこう言うのだ。
「ととのいました」
このようなドラマが生まれる。『(5時間後)』という言葉の力がおわかりいただけただろう。これは私が想像したドラマであって、十人いれば十種類のドラマが生まれる。
ねづっち氏関連でもうひとつ例を挙げてみよう。
ねづっちです(5時間後)
この場合、5時間後に「ねづっちです」と言ったことになる。通常はなぞかけをし、終わってすぐにこのセリフを言う。それなのになぜ5時間もかかったのだろうか?
真っ先に考えられるのは「忘れていた」という理由だ。なぞかけが終わって家に帰って寝ようとした時に言っていないことを思い出し、「やばい! ねづっちですって言うの忘れてたっち!」と慌てる姿が目に浮かぶ。語尾は想像だ。そこから連絡先を知っている人には電話で、そうではないお客さんなどにはSNSや配信で「ねづっちです」と伝えたことだろう。
もうひとつ考えられるのが「笑い待ち」をしていたというもの。笑い待ちというのはお客さんの笑いがおさまるのを待つことである。お客さんが笑っているのに話を進めても聞こえないし、お客さんも流れを見失ってしまう。そこで笑いがおさまるまで待つ、というある種のテクニックである。
披露したなぞかけがウケまくって、お客さんの笑いがなかなかおさまらず待つ。もうそろそろ終わりかなと思ったら、再び思い出して笑う人たちの第二波が来て、そこに初めはなぞかけの意味がわからなくてキョトンとしていた人が、「ああ!」とやっと先ほどのなぞかけの意味を理解して笑い出す波も加わり、さらにまた思い出して笑う人たちが出てきて、結局笑いが完全におさまったのが5時間後。そこでやっと「ねづっちです」と言ったのだ。
このように『(5時間後)』はかなりのポテンシャルを持っている。いくつかの例とそこから生まれるドラマ性を表にまとめたので是非ご覧いただきたい。
というようなことを約2時間言い続けているイベントをロフト系列のお店でやらせていただいているので、もしも興味を持たれた方がいましたら是非お越しください!