〜ステータスポイントを『投稿』に振り分け過ぎた者たち〜
ラジオのコーナーや雑誌の投稿ページにネタを一心不乱に送り続ける投稿者。それは決して誰かに頼まれたわけではないのに、時には何かを犠牲にしてまで送る。そんな特異で奇抜で最高の情熱を投稿にそそぎ続ける者たちの生態に迫るインタビューである。
初採用はアンタッチャブルの『シカゴマンゴ』
──初めて採用された番組は何? TOSHIの『Xハラスメント』?
セパタクロウ(以下、セパ):アンタッチャブルさんの『シカゴマンゴ』です。20歳くらいでした。番組が始まった時に「ちょっと送ってみよう」と思って送って、読まれて、「あ、ラジオって本当に読まれるんだ」って思って。そこからですね。
──その頃は大学生? それとも赤ちゃん?
セパ:大学3年になる年くらいですね。アンタッチャブルさんが前の年のM-1で優勝して、その次の春から番組が始まりました。
──アンタッチャブルが好きだったの?
セパ:はい。昔『虎の門』っていう番組をよく見てて、それにアンタッチャブルさんが結構出てて。ラジオだと伊集院さんの番組にも出てて、いつも聴いてました。
──『シカゴマンゴ』が初採用って言ってたけど、それは初めての投稿だったの? それとも初投稿はTOSHIの『Xハラスメント』?
セパ:投稿はその前にも、ちらっとしたことがありました。まったく読まれなかったんですけど。最初に送ったのはLa'cryma Christiの番組でした。宮川賢さんの番組(『宮川賢の誰なんだお前は?!』)の中に箱番組があって、そこにハガキで投稿しました。一言ネタみたいなコーナーで、ドラムのLEVINさんがよくスティックをクルクル回すんですけど、それをイジるようなネタでしたね。その後、aikoさんのオールナイトニッポンコムにも一回出しました。それは高校3年くらいですね。試しに一通送ってみようって放送中に送ったのを覚えてます。ニッポン放送の電波が入りにくい地域に住んでたので、「aikoさんの声が聞こえづらいです。なんとかならないでしょうか」みたいなメールですね。今考えるとそりゃ読まないですよね。
──ほぼ苦情! アンタッチャブルが好きだったってことはお笑いを見るのも好きだったの?
セパ:そうですね。テレビのバラエティとかもちろん見てました。小学校の時、お楽しみ会でちょっとした漫才をやったりとかして。
──漫才をやってたのか! 俺は小5の時のお楽しみ会でイモ欽トリオのモノマネしたけど。
セパ:大学1年の時はコントサークルにいました。大学が日芸だったんですけど、喋る仕事か、書く仕事か、どっちかやりたいなと思ってたんです。一応、放送学科だったんで、両方選択肢あるなと思って。大学いる間にどっちか決めようと思ってて、結局決まらなかったんですけど。で、就職もなんもしない時期があって、その頃は声優さんになりたかったですね。
──声優!
セパ:喋る仕事がしたくて、オーディションとか受けにいったりしてたんですけどあんまりうまくいかなくて。その間も並行してラジオに投稿は続けてて。そっちのほうは順調で、アンタッチャブルのお2人は「面白い」って笑ってくれるようになってて。だったらこっちのほうが向いてるのかなって意識が変わってきたんです。
──ラジオではどんなコーナーに出してた?
セパ:『ツッコミ先行宣言』っていうコーナーによく出してました。柴田さんがお題のツッコミを出して、そのツッコミの前のボケの部分を作るというコーナーが。最初は一言ネタのコーナーだったんですよ。一言あって、ひとくだりあって、最後にツッコミが入って。それがだんだん1本ネタみたいなのを送る人が出てきて。たとえばブラックマヨネーズさんやおぎやはぎさんがやってそうな漫才、みたいなのを書いてくるんです。それが面白くて。
──長文、というか、話を構成していくのが得意だったのかな?
セパ:そうですね。そもそも大学行ってる時も、ドラマの脚本とかの勉強をして、そういう賞とかに応募してたりしてたんで。人のやりとりみたいなのが多分、好きなんだと思います。で、ブラックマヨネーズさんがゲストで来た時に「本人たちにやってもらおう」という企画がありまして、その時に僕のネタが採用されて、すっごいウケたんです。
──人生が変わるフラグが立った! 荒川コーチに出会った王選手みたい!
セパ:そしたらその頃の僕のラジオネームが『さすらいダーリン』って名前だったんですけど、吉田さんがそのネタをやった後に「今のネタ、実は『さすらいダーリン』っていう名前で僕が投稿してたんですよ」みたいなボケを言ったんですよ。それくらいクオリティが高かったよ、ってことで。それがすごい嬉しくて。
──それは嬉しいよね! 俺だったらその話をいつまでもしそう。何度も何度も。そして疎まれそう!
セパ:その後から、他のコーナーでメール読まれた時も、「あー、やっぱり『さすらいダーリン』さすがだね」みたいになっていったんです。それで、番組のイベントで、今言ったような芸人さんのネタをリスナーが書くネタライブをやろうってなって。その時にまた採用されて、その後番組から「作家とか興味ありますか?」って電話をいただいて、『シカゴマンゴ』のスタッフになりました。
──直接電話が! ブッチホンみたい! 作家になりたいとか思ってた?
セパ:ブラックマヨネーズさんがゲストの時のちょっと前に、声優さんのオーディション受けにいって、全然うまくいかなかったし、途中のなんか、実技試験みたいな時に、自分がもう飽きちゃってたんですよ。試験してること自体に。なんでこんなことやってんのかな、みたいに思ってて。そんなんでやってても多分うまくいかないだろうな、そんな時に、褒められたんで、じゃあこういう方向だったらもしかしたらそのうち何かあるかもしれない、とは思ってました。
「作家志望」とは書かずに構成作家に
──アンタッチャブルの番組に入った投稿者は1人?
セパ:はい。僕だけでしたね。
──緊張しなかった?
セパ:ずーっと緊張してました。アンタッチャブルさんの番組の時は、ほぼ、何も喋らなかったです。
──そういうもんだよね。面白くないと思われたくないから、言葉を選んで、選びすぎて何も話さなくなるし。
セパ:結局、そのあと半年くらいで番組が終わっちゃったんですけど、その半年間ほぼ喋ってなかったと思います。ちょっとだけ仕事ふられたりして、メール選んだりとか。
──最初の仕事は覚えてる?
セパ:番宣スポットを考える仕事でした。
──俺は最初、FAXで募集するネタを作ったことをすごく覚えてる。本当は投稿する人のためにわかりやすいお手本みたいなネタを書かなきゃいけないんだけど、とにかく面白いと思われたいから、そうじゃないのを出して、注意されて。
セパ:そうですよね、コーナー説明用のネタでも基本みたいなのが欲しいんですよね。でも、そういうの作るの難しいですよね。
──あれ? セパタクロウにはいつなったんだ? おさるがモンキッキーになって、でもおさるに戻して、だけどまたモンキッキーに改名したのは知ってるんだけど。
セパ:投稿してる時は『さすらいダーリン』だったんですけど。『シカゴマンゴ』に入って最初の放送で、「さすらいダーリンが今、作家として来てるんだよ」ってアンタッチャブルさんが言って、作家になったんだから名前を変えたほうがいいんじゃないかみたいな感じで「新しい名前をつけよう」とメールで募集して、何個か候補があって。その時に「さすらいダーリンもこれから作家になるんだから自分でも何か候補出せ」って言われて出したやつが、セパタクロウ。それで、投票があって結局それになったんです。
──今でもアンタッチャブルの2人に会ったりするの?
セパ:番組終わってからはほぼ会ってないです。何回か『不毛な議論』にそれぞれゲストで来てくださってるんですけど、それもだいぶ前なんで、もう長らくお会いしてないですね。会っても何も喋れないんですけど。もともと、いた時も喋ってなかったんで。端っこにいて。
──俺も伊集院さんに会ったら何も喋れないかな。
セパ:全然会ってないんですか?
──23歳くらいから会ってないと思う。でもTBSに行った時、スタジオで録音かなんかしてて。
セパ:あ、ありましたね。「久しぶりに見た」って言ってましたね。
──いまだにテレビとか出てると見ちゃうけどね。「あっ、テレビに出てる!」って。昔はあまりテレビ出演をしてなくて、ちょっとでも出ると嬉しくて見てたから、その名残りかな。で、俺とは『シカゴマンゴ』が終わって、すぐに出会ったんだよね?
セパ:そうですね。『シカゴマンゴ』が4月の頭に終わって、すぐ、次の週くらいから山里さんの『不毛な議論』が始まってました。2010年の春です。3月に顔合わせみたいなのがあって、せきしろさんに初めて会った時は25歳だったと思います。
──25歳! そんな若かったの? あの時、伊部(※もう一人の構成作家)が何歳だったんだろう?
セパ:伊部さんさんは山里さんと同じ歳くらいですね。多分、今の僕より若いです。
──みんな若い! 今は後輩は入ってきてないの?
セパ:いないですね。今、手伝ってもらうほどの仕事が多分ないですね。来てもらったとしても、逆に、申し訳ないと思います。状況が変わったら、そういう話が出る可能性もありますけど。「作家志望」ってメールに書いてる人もいますが。
──ああ、それ、書いてくる人っているよね。
セパ:僕、それこそ、投稿を本格的にやろうと思った時に、「作家になる」みたいな本を読んだんです、一応。それを読んだら「作家になりたかったら、『作家志望です』ってメールにちゃんと書いたほうがいい」っていうことが書いてあって。
──そんなこと書いてあるのか!
セパ:「そしたら欠員が出た時に呼ばれるかもしれないから」って書いてあったんですね。だけど、これを鵜呑みにしてる人はなれないんじゃないかな、って僕は思って。書かなかったんです。そしたらうまくいきました。僕の場合は。
──そうだなぁ、たとえば俺が選ぶんだったら書いてあるのは選ばないかもしれない。
セパ:まぁ、そう、わかります。
──でも、それで選ぶ人も多いと思う。
セパ:それもわかります。
──どちらも作家になったとして、まったくタイプが違う作家になりそうだけどね。では最後に。ここでもよく『不毛な議論』のコーナーについての話になるんだけど、思い出深かったコーナーある?
セパ:『にしおかすみこイントロクイズ』ですかね。「にぃ〜〜〜」だけ言って、「ピンポン! にしおかすみこ!」って言ってブーって鳴って「残念でした! 正解はにしおか〜……とくまだよ〜」みたいなやつ。けっこう爆発したコーナーでしたよね。でも、まぁ短期間で終わっちゃいましたけど。
──そんなのあったな! 思い出したよ。代わりにジャック・バウアーのコーナーを忘れそう。ありがとう!
せきしろ:1970年北海道生まれ。主な著書に『去年ルノアールで』『カキフライが無いなら来なかった』『まさかジープで来るとは』『たとえる技術』『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』など。
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