プロテスト・ソングに「歌ってくれ!」と言われるような感覚
──そしていよいよ『みわぞう祭り』をスタートさせる。
みわぞう:『みわぞう祭り』は東日本大震災を経た2012年から、みんなを励ます場を創りたくて始めました。2022年までやって、今回4年振りだったんです。それまでは様々なゲストも招いてみんなで楽しくというコンセプトで、サブステージを作ったり、切り絵や漫談などの芸人さんたちを呼んだり。海外旅行ができなかったコロナ禍は「ジンタらムータ航空で行く世界一周」ってテーマで。
あと『三文オペラ』特集もやりました。私はドイツの詩人で劇作家のベルトルト・ブレヒトがとても好きで。『三文オペラ』はブレヒトが手掛けた戯曲。ブレヒトの詩にクルト・ヴァイルやハンス・アイスラーが曲をつけたブレヒト・ソングは主に、第二次世界大戦前夜のドイツで響いていたものなんですね。東日本大震災が起きて、真っ先に歌おうと思ったものは、実はブレヒト・ソングだったんです。第二次世界大戦前夜のドイツと東日本大震災直後の日本の空気は似てるんじゃないかという直感で。当初は原語のドイツ語で歌っていました。ドイツ語で意味は伝わりにくくても、このドイツ語の響きだからこのメロディに合う、原語とメロディの密接な関係は無視できない、この響き合いに力があるんじゃないかと。でもやはり、聞いたそばからわかる日本語の瞬発力もほしくなった。誰かいい訳詞を書いてくれないかなって。今までも素晴らしい訳詞がたくさんあるんです。でも詩としての訳なのでメロディにのせにくい。学者さんによる硬めの訳がほとんどでした。そうしたら劇作家で演出家の大岡淳さんが『三文オペラ』の公演のために新訳を発表したんです。それが実に素晴らしくて、雷に打たれたかのようでした。もう絶対にこの訳詞で歌いたいって。そしたらコロナ禍になってしまい、外出自粛期間を逆手に、家で『三文オペラ』の歌を片っ端から歌ってみた。すると、大岡さんの訳詞が素晴らしいおかげで、おっさんも娼婦もどれも歌えたんです!(笑) もう、この戯曲の主な登場人物男女5役が歌う20数曲、全部私一人で歌おう、と。それから大岡さんとタッグを組んで。2023年には神戸の西神中央ホールで、ホール主催での公演もさせていただきました。
──6月に行なわれた4年振りの『みわぞう祭り』はブレヒト・ソングに、世界各地の戦前から現在までという時代と土地を超えたプロテスト・ソングを歌い、映像をつけて曲の背景を話してくれて、客席からペンライトが光り。みわぞうさんの集大成のようでもあり、このインタビューの最初に言ったとおり曲への敬意が伝わって。素晴らしかった。
みわぞう:『みわぞう祭り』で歌ったプロテスト・ソングは、今の時代のために役に立ちたいというか。曲が「歌ってくれ!」って言ってる感じを受けたんですよ。「今の時代に役に立つと思うから歌ってー!」って(笑)。
大熊:なにか降りてくるんだよね。
みわぞう:私は歌いながら、身振り手振りがつくんですが、実は頭では全然考えてなくて、曲と歌詞が導いてくれるんです。
大熊:巫女さん的な(笑)。
──そうなるまで曲をしっかり深く聴き込んだからでしょうね。
みわぞう:オリジナル音源はモノ凄く聴き込みます。どんな思いで作られたのか、どんなふうに受け止められたのか、曲が生まれた背景……。聴き込むとありとあらゆる情報が入っているのがわかる。そのバイブレーションに自分を合わせる、チューニングする。芸術活動って多かれ少なかれ、スピリチュアルな作業だと思うんです。
──きっとそうなんでしょうね。客観視から主観になっていく瞬間っていうか。あ、逆かな。主観を飛び越えていくって感じかな。
みわぞう:説明できない感覚になりますよね。6月の『みわぞう祭り』でユダヤの煙草売りの子どもの曲をやったんですけど、歌っているときの自分は、完全にその子ども。目の前には客席が見えているのに、その子が見ていたであろう風景も広がってる。と同時にそれを客観視している自分もいたり。
イディッシュ語で歌う、学ぶことそのものが平和を守ること
──ライブ全体はしっかり構成されていて。構成はみわぞうさんが?
みわぞう:全部私が。竹田賢一さん、中川敬さんの訳詞以外は、自分で訳し下ろしもしました。
──演奏もしっかり構成されつつ、どこかフリーキーで凄くカッコ良かった。
みわぞう:関島種彦さん、近藤達郎さん、木村仁哉さん、イトケンさん、そして大熊さん。もうバンドが素晴らしいんですよ。私はホントに素晴らしい方々に助けられています。ところで、東欧ユダヤの言語のイディッシュ語の歌をイディッシュ・ソングと言って、私はこれを長年歌い、学んでもいます。イディッシュ語の話者の多くがホロコーストで命を落としたため、イディッシュ語は絶滅危惧言語になりました。そんなイディッシュ語で歌う、学ぶことそのものが、私にとって平和を守ることなんです。
──あと現場が大きいですよね。目の前の現場とも向き合ってることで、どんどん広がっていったんだと。やっぱり東日本大震災からってのはありますよね。
みわぞう:ありますね。それ以前はデモに抵抗があったんです。大熊さんは以前から積極的にデモなどに行っていた一方で、私はどうも苦手で。社会的な意識が低かった。でも東日本大震災が起きて原発事故が起きたときに目が覚めました。1カ月後の4月10日に「素人の乱」が高円寺でデモをやると聞いたそばからすぐ連絡して「ジンタらムータ、参加します! 演奏します!」って。
大熊:この人(みわぞう)は凄かった。僕は3.11直後、じっとしていたんですよ。僕はもともと考えてから言葉を出すタイプなんで。
──大熊さんは3.11前も活動していたから、余計に事態の深刻さを理解していたんですね。
大熊:まあ、考え込んでたんですよ。逆にみわぞうはバンバン駆け回って(笑)。覚醒してたよね(笑)。
みわぞう:完全に覚醒しました(笑)。
──凄い(笑)。原発事故で権力の酷さを知った人は多いでしょうね。私もそうです。それまでは何も考えてなかった。
みわぞう:3.11で気づいた人は多いですよね。私も突き動かされるように、思い当たる仲間たちや先輩がたに、片っ端から連絡しました。それで『高円寺・原発やめろデモ!!!!!!』にもたくさんの人がいた。チンドン屋さんもたくさん来てくれた。デモで歩きながら演奏して。そこからもう、能動的に声を上げようと思えるようになりました。
大熊:高円寺の反原発デモは大きかったね。何かに駆られたように、どうしようもないけどやらなくちゃって。絶望に近い気持ちもあったけど、いざ始まったら、友だち、知らない人、学者もバンドマンもいて。たくさんの人がいて凄い高揚感で。状況としては危機感なんだけど、なんだろう、達成感があった。これからもっとやれるっていう。
みわぞう:放射能汚染でみんなピリピリしていたし、危機感も絶望感も強い時期でした。だけど高揚感と希望が持てたという。あの体験は凄く大きかった。















