大熊ワタル率いるバンドオーケストラ「シカラムータ」、大熊とツートップ「ジンタらムータ」でチンドン太鼓、パーカッションを響かせている、こぐれみわぞう。その姿はライブハウスや野外音楽イベントだけではなく、権力にNoと訴えるデモやスタンディング、平和を願うパレード、盆踊り、寄せ場での祭りなど、市井の人々と常に共にいて、素晴らしい空間を作り続けている。
打楽器奏者として活動しているみわぞうさんが歌い始めたのは東日本大震災を経てから。2012年にスタートした、年に1回開催される『みわぞう祭り』はジャンルを超えた音楽性と華やかな歌声と存在で祝祭感溢れるライブを展開。4年振りに行なわれた今年6月の『みわぞう祭り』、コンセプチュアルな構成は初の試みだそうで、圧巻だった。世界各地、戦前から現在。時を超え土地を超え、苦境や困難を超えていくぞ、諦めないぞと歌い継がれた民の歌を、その成り立ちを、みわぞうさんが歌い語り、奏でる。観客はペンライトを振る。みわぞうさんの歌声は歌の中の数多の人々の想いが乗り移ったかのように響き渡る。素晴らしかった。
念願のみわぞうさんインタビュー。クレズマー、チンドンなど音楽の豊かさ、面白さ。社会との対峙、眼差し。大熊さんも参加し、楽しい話の中に大切のことがたくさん含まれている。(Interview:遠藤妙子)
東日本大震災と原発事故を機に、よしっ歌おう! と
──実はジンタらムータや『みわぞう祭り』のライブにしばらく行ってなくて、盆踊りやデモやスタンディングという場所でしかみわぞうさんと大熊さんのライブは見ていなかったんです。でもそこで、その場の空気をビタッと読んで、自分が前へ出るのではなくみんなを盛り上げているからこそのみわぞうさんの存在感が素晴らしくて。
こぐれみわぞう:わあ、嬉しいです。
──そしたら6月に『みわぞう祭り』があると知った。早速チケット予約して観に行ったら、これがまた素晴らしかった。プロテスト・ソングのカバーで、カバーって独自の解釈、独自のアレンジで自分の個性を出すアーティストもいますが、『みわぞう祭り』では曲に対して敬意を表している感じがしました。
みわぞう:それが伝わって嬉しいです。
──曲の持つ感情がみわぞうさんに乗り移っているというか、みわぞうさんが曲の感情を引き出しているというか。自分より曲。だからこそみわぞうさんの存在感がどんどん出ていて。自分が自分が、ではない存在感。素晴らしかったし、なんでそれができたのかな? って。
みわぞう:ありがとうございます。そもそも私の音楽活動は1997年のソウル・フラワー・モノノケ・サミットからで。そこで初めてチンドン太鼓、打楽器奏者としてデビューしたんです。モノノケ・サミットには5年ほどお世話になり、その後はシカラムータ、ジンタらムータでチンドン太鼓やパーカッションで活動してきました。で、2011年3月11日、東日本大震災と原発事故を機に、この沈みゆく日本を音楽で元気づけなきゃいけない、このままでは日本は転がり落ちていき、戦争へ向かうのでないかと。第二次世界大戦前夜のドイツの空気はこんな感じだったのかもしれないと、直感しました。
──天災であり人災でもあったわけで。
みわぞう:そうですよね。みんなが衝撃を受けて絶望した。地震だけでなく放射能汚染にも見舞われて、日本中が不安になっている。もう、居ても立っても居られない感じになったんです。チンドン太鼓はみんなを励ますことができる。でもそれだけでなく、今の状況はかなりマズいと、警鐘を鳴らさなきゃいけない。それには言葉が必要、よしっ歌おう! と。歌手でなくても、とにかく伝えようって。みんな声を上げよう! 元気を出そう! 生き延びよう! みんなが幸せになる世界にしよう! そういう思いで歌い始めたんです。みんなのためって言うとおこがましいですが、いま生きているみんなとこれからも生きていきたい、と。
──自分の気持ちを訴えるのではなくて。
みわぞう:それは全然なかったです。自分の気持ちをのせて歌ってはいるんですけど、自分自身の感情を伝えたいとか自分をアピールしたいという感覚はないです。そういうことが、言っていただいたようなことに反映されているのかと。
──官邸前で金曜日に行なわれていた反原発のスタンディングでも、ドラム隊の人と並んで太鼓を叩いてましたしね。
みわぞう:官邸前ではコールに合わせた打楽器で、大熊さんも私もドラム隊の一人としてやってましたね。
大熊ワタル:チンドン音楽がそもそもステージ芸じゃないしね。通行人が主人公で、チンドンは風景を盛り立てる。演出する。
──あ、そうですね。それが原点なんですね。
大熊:いや、実はこの人(みわぞう)、チンドンは全く興味なかった(笑)。
みわぞう:最初は全く興味なくて。音楽やる前は演劇をやっていたんです。
モノノケ・サミットの活動を通じてチンドンはストリートの音楽だと実感
──演劇からどういう流れで音楽に?
みわぞう:1995年2月に渋谷シードホールでクレズマーの音楽劇があったんです。当時、私は大学生で、舞台スタッフとして関わっていた。そこに出演していたのが梅津和時さん率いるベツニ・ナンモ・クレズマーという日本初のクレズマーバンドで。
大熊:総勢18人の。
みわぞう:巻上公一さんや大熊さんもメンバーで、大熊さんと知り合ったのもそれが最初。初めてクレズマーを聴いたときは驚きました。懐かしいって言葉だけじゃ全然収まらない、「やっと帰ってきた!」って声に出してしまったぐらい(笑)。昔、私はここにいた! って気持ちになる音楽だったんですよ。
──クレズマー音楽って東欧系ユダヤ人の伝統音楽ですよね。ベツニ・ナンモ・クレズマーは躍動感に溢れていました。クレズマーってダンス・ミュージックでもあるんでしょうか?
大熊:東欧系ユダヤ人の生活や庶民の音楽ですね。庶民文化の一つ。冠婚葬祭で、喜びのときも悲しみのときも演奏して、ダンスもする。言語的にはユダヤ文化と同じでコアにはヘブライ語があるんだけど、中世ドイツ語とか、その後に移り住んだポーランド、それにウクライナ、ロシアなどのスラブ語。様々な要素が合体した文化であり音楽。そこがまた面白い。ヨーロッパでもアジアでもない、モザイクとかミクスチャーって言われてる音楽で。楽しさと悲しさが共存してる不思議な音楽なんですよ。
──大熊さんはいつ頃からクレズマー音楽を?
大熊:僕が初めてクレズマー音楽を知ったのは1988、89年頃。チンドンをやっていて、シカラムータをやるだいぶ前ですね。篠田昌已ユニットで一緒だった中尾勘二が「こんなユダヤ音楽があるぞ」って見つけてみんなで聴いた。初めて聴く音楽だけどチンドンの音楽と共振する。ミックスしたら絶対、面白い音楽ができるだろうって予感がしましたね。
──でもみわぞうさんはチンドンには興味がなかった(笑)。
みわぞう:クレズマー音楽はすぐに好きになったんですけど、チンドンとクレズマーは結びつかなくて。大熊さんに「チンドン興味ありますか?」って聞かれて、被せ気味に「全然興味ないです」って(笑)。
大熊:即座に(笑)。
みわぞう:ところが、その2年後、モノノケ・サミットでチンドン太鼓デビューするんです。97年夏のモノノケの初の海外ツアーに大熊さんが参加することになり、私も行きたがっていたら、チンドン太鼓担当のうつみようこさんがご事情で参加できず、バンドはチンドン奏者を探し始めた。ところがなかなか見つからない。そこで中川敬さんが、「みわちゃん、試しにチンドンやってみたら?」と。私は海外に行きたい一心で猛練習して、1カ月半後、ちゃっかり香港でデビューしました(笑)。当然ながらビギナーだったので、バンドには迷惑をかけてしまいましたが、モノノケのライブは見ていたし、曲も全部知っていたこと、うつみ先輩の演奏も、チンドン屋さんの叩き方も知っていたことはずいぶんと役に立ちました。
──実はチンドンも馴染んでいたんですね。
みわぞう:そうかもしれないです。実際にやってみて、チンドンはストリートの音楽って実感しました。モノノケの体験は大きいです。阪神淡路大震災で被災した場所で歌う、なんせ現場の音楽ですからね。中川さんのプロテスト魂を目の当たりにしながら、打楽器奏者としてかなりの場数を踏めた。大熊さんも昔からクラリネットを持ってデモや寄せ場に行っていたし、大熊さんが参加してきたA-Musikの竹田賢一さんもプロテスター。周りでそういう方たちが音楽で声を上げているのをずっと見ていたんですよね。中川さんや竹田さんには本当に感謝しています。
──あ、みわぞうさん、お箏を習っていたってことですが、みわぞうさんがお箏弾いて、後ろで大熊さんがクラリネット吹いてる動画、見たことあります(笑)。
みわぞう:コロナのときに撮ったんですよ。
──絵的にちょっと面白くて(笑)。
大熊:でもね、お箏って邦楽のイメージあるけど、大昔に大陸から伝わってきたものなんですよね。だから演奏してると邦楽スケールじゃなくても、たとえばトルコ音楽とかクレズマーのスケールと合うんですよ。「昔はこうだったよねー」って楽器同士が自然に響き合う。やってみた僕らもびっくり。
──どんどん発見が。
大熊:クレズマー音楽を知って、より一層面白さを実感しましたね。















