平和を願い続ける音楽の力を信じている
──音楽が担ってたものも凄く大きいですよね。
大熊:ですよね。音楽が導き出してくれるっていう。現場といえば、2019年にブラジルのサンパウロでクレズマー音楽のフェスに呼ばれて。そこでの体験も凄かったよね。
みわぞう:サンパウロのユダヤ教徒が礼拝するコミュニティの場であるシナゴーグで。ユダヤ教徒がたくさんいるその会場で、私は平和の歌を、イディッシュ語やヘブライ語はもちろん、アラビア語でも歌ったんです。迷いはありました。シナゴーグでアラビア語、これは挑戦だなと。
──複雑な歴史がありそうだけど……。ユダヤ人の主な言語はヘブライ語で、ユダヤ人の特にイスラエルでは、主に中東の言語であるアラビア語は減らしていく方向になっていると、どこかで見ました。
みわぞう:どんな反応が来てもおかしくなかった。だけど本当に平和を願うならアラビア語でも同じように平和を歌うべきだと。帰る人もいるかもしれない、怒り出す人もいるかもしれない。不安は大きかったですが、腹を決めて歌いました。そうしたら、拍手が来たんです! 終演後、ユダヤの方々が駆け寄ってきて、「あなたがアラビア語で歌った平和の歌こそが、真の平和の歌だ」と、涙を流しながら喜んでくれました。「ヘブライ語で歌う平和の歌があるなら、アラビア語でも平和の歌が歌われるべきだよね」と。この経験で、私が歌う「平和」の説得力は増したように思います。
──アラビア語で話すユダヤ人も少数派かもしれないけどいたわけで、それなのにその言語を話せないような状況になっているのは、ユダヤ人自身にとって悲しいことなんでしょうね。
みわぞう:言語がなくなるというのは……、多くのイディッシュ語話者たちがホロコーストで命を落としたがために、イディッシュ語が絶滅危惧言語になったと話しましたが、言語が奪われるというのは、本当に辛いことだと……。そして、敵対関係の象徴でもあるアラビア語で歌ったことを肯定的に受け止めてもらえたことで、どこにでも平和を願う人がいるって信じられますよね。平和の歌はアラビア語でも歌うべきなんだって言葉を引き出せたのが、凄く良かった。
──ただ今は、ユダヤ人とイスラエルとをイコールと見てしまいがちだし、だからって反ユダヤ主義になっても危険だし。
大熊:シオニズムがイスラエルのナショナリズムにユダヤを利用している。ホロコーストとかユダヤの悲劇があるからシオニズムは正義だと。ユダヤの悲劇があったのは事実だけど、イスラエル国家の暴力と蛮行も事実。そこは批判しなければいけない。ユダヤの悲劇は忘れちゃダメだし、ユダヤへのリスペクトも持ち続ける。だからこそ批判すべきで。
みわぞう:ユダヤ人=シオニストではないことを広く知らせたい。そして、ユダヤの人々にとって、民族を絶滅させられかけた恐怖たるやとてつもないと思うんです。ピースフルなユダヤの人でもイスラエルを支持してしまうほどの恐怖。だからといって、それを口実に他の民族に同じ思いをさせていいはずなど決してないけれど、彼らが背負ってきたであろう深い絶望と悲しみに、当事者ではない私たちは丁寧に想いを馳せなければいけないと思うんです。それを踏まえての批判なら、きっと確実に平和へ導いてくれるはず。
──うん。理解して賛同などしなくても、知って想像することは必要だし、大事だと思います。
みわぞう:どこの国にも平和を願う人はいるんですよ。
──絶対いますよね。
みわぞう:今、イスラエルを見ていると、イスラエルには平和を願う人はいないかのように思えますが、絶対にいます。そこで彼らが平和を願い続けるのは、相当大変で相当辛いはず。音楽はそういう人たちとつながるためにもあると思うんです。
──そうですね。キツイ思いをしている人のため、絶望から希望へ向かうため。
みわぞう:そういう音楽の力を、私は信じてるんですよ。
──みわぞうさんは悲しみと喜び、絶望と希望、それを感じられる音楽に力をもらって、みんなに届けようとしている。
大熊:自分たちの力以前に音楽の力ってあるんだなと感じますよね。
みわぞう:人に育てられてるのはもちろんですけど、曲や歌、音楽にも育ててもらってるなぁと凄く感じています。















