私にとって歌は身辺雑記、文学でいえば私小説
撮影:Shigeo Jones Kikuchi
──そうした友川さんの海外での人気を証明するかのように、フランスの“An'archives”というレーベルから『HANABI』と題したコンピレーション・アルバムが発売されました。最新のオリジナル・アルバム3作『Vengeance Bourbon』(復讐バーボン/2014年)、『Gleaming Crayon』(光るクレヨン/2016年)、『Going To Buy Squid』(イカを買いに行く/2024年)から選曲されています。
友川:フランス人の知人を介してレーベルからリクエストが来たんだけど、私は言葉がわからないから大関君に対応してもらって。
大関:先方から「レコードを出したい」と連絡が来て、どんな内容にするか話を進めていく中で最新の3作から選りすぐったコンピレーションにしたいということで。選曲もアートワークもマスタリングもすべて向こうにお任せしました。
友川:私は何の曲が入ってるのかすら知りません(笑)。
──アナログ盤のリリースは実に40年振りだとか。
友川:そうみたいですね。よくわからないけど。
──若い世代の間で今また友川さんのアナログレコードが聴かれている現象についてはどう思われますか。
友川:考えたこともない。ライブへ来た人だけがファンだといつも思っているから(笑)。私はテレビにも出ないし、ヒット曲もないし、50年以上ずっと野放しにされたままっていうか(笑)。でも野放しって気持ちいいんですよ。生活は大変だけど気持ちはラクですよ。どこへ行っても後ろ指をさされたりしたら競輪に集中できません。
──友川さんご自身はレコードで音楽を聴く習慣があるんですか。
友川:ないですね。プレーヤーを持ってないので。CDで好きなジャズを聴く程度です。あとは1日中ずっと競輪中継を見てるから。
撮影:Shigeo Jones Kikuchi
──あと、1986年に発表された傑作『無残の美』がCDで再発されるそうですね。
友川:そうみたいね。
──『無残の美』は自死された弟さんのことを唄った表題曲を始め、先ほども話題に出た人気曲「ワルツ」、たこ八郎さんに捧げた「彼が居た」といった楽曲が収録された名盤ですが、友川さんにとっても思い入れのある一作なのでは?
友川:まあね。でも私にとって歌は身辺雑記みたいなもので、誰かに向けて訴えたいことがあるわけじゃない。文学でいえば私〈わたくし〉小説みたいなものですよ。それは今もずっと変わらないし、『無残の美』もその時点での身辺雑記をまとめた作品なんです。
──『無残の美』の制作中に起こったことで今も覚えていることはありますか。
友川:覚えてないね。あまりに昔のことなので。よく酒を飲んでいたのだけは覚えてるけど。
──それは今も同じじゃないですか(笑)。
友川:ある程度飲まないと唄えないんです。それは昔から変わらない。
──たこ八郎さんと親交が深かったのは意外でした。
友川:一時期、相当行き来しました。たこさんは、正月に私の部屋に1週間いたこともありましたね。トシがドラムを積んで運転する車に私とたこさんが乗って、秋田までコンサートをしに行ったこともあります。
──『無残の美』はジャケットのオブジェも象徴的で、アートワークも含めて完成度の高い逸品ですね。
友川:そのオブジェを制作した美術家の中里繪魯洲さんとは今もずっと親交があって、今日の阿佐ヶ谷のライブにも来てくれます。
──再発リリースはさらに続き、来年からは90年代に発表されたP.S.F. RECORDS在籍時のアルバムが順次リイシューされるそうですね。
友川:せっかくつくったものだから、そうやって再発されるのは有難いことですよ。廃盤になったアルバムの曲を唄い続けるのも微妙だし、レコードやCDはある意味普遍だもんね。
新宿ロフト公演で大友良英と初共演
撮影:Shigeo Jones Kikuchi
──今年もまた広州、北京、上海を巡回する中国ツアーを開催されるんですよね。【註:後日、中国ツアーは諸般の事情によって開催中止が決定しました】
友川:そうなんです。去年は3日連続ライブで死ぬほどくたくただったけど、今年は公演と公演の間に移動日を設けてくれたみたい。去年のスケジュールはホントに酷かったから(笑)。北京から深圳までの移動で体がダメになっちゃって、食欲がないからちっちゃいカステラを1個食べる程度で、食事は全く受け付けなかった。家に帰ってきたら5キロ痩せてたくらいだから。あと、こむら返りも酷い上に、ホテルの部屋が寒くてね。私を売れてる歌手と勘違いしたのか(笑)、なぜか高級ホテルで、天井が高いからなかなか暖房が効かないのよ。部屋が広すぎてキャッチボールができるくらいだった(笑)。それに浴槽がなくてシャワーしかないのと、トイレの便座が冷たいのが辛かった。だから今回は、出発前に100均で布の便座シートを買い込みました(笑)。まあ、悪いことばかりじゃなかったですよ。高級料理を毎日用意してもらったし、移動はすべてハイヤーだったし。私が三流歌手なのを理解してなかったのかな(笑)。
──去年のツアーが好評だったのを受けて、再度招聘されたんですか。
友川:いや、主催者は全然違う人なんですよ。もちろん、こっちからお願いしたわけでもない。三流は三流でも儲かると踏んでるのかもしれません(笑)。
──ご自身の歌が言葉の壁を超えて支持されるのはなぜだと思いますか。
友川:わからない。私はジャニス・ジョプリンやトム・ウェイツ、ニーナ・ハーゲンなんかが好きなんだけど、日本には彼らに似た歌手はいないじゃないですか。それと同じような感じなのかもしれない。
──日本語のわかる方が現地に多いということは、中国でも軽妙なMCは発揮されるんですか。
大関:中国でライブをやる場合、MCで話すことを事前に当局へ伝えなければいけないんです。それなら何も言わないほうがいいということで、中国ではほぼMCをしていません。
友川:でも逆に言えば助かってるんです。私は中国語を話せませんから。音楽をやるだけでいいんですよ。ただし、演奏する曲はちゃんと事前に伝えて、その順番も変えちゃダメ。
──ということは、ステージ上で飲酒するなどもってのほかという感じですか。
友川:去年はずっと水を飲んでました。でもそれでいいのよ。次々と唄えばいいわけだから。一人だったら大変だけど、トシや永畑さん、坂本(弘道)さんもいるから。ワンステージ90分、MCなしでやるけど、ある意味日本よりラクですよ。日本だとMCでバカ話をしてお客さんの気持ちを掴まないといけないから。
撮影:Shigeo Jones Kikuchi
──今年もわが新宿ロフトでワンマンライブを開催していただくわけですが、今回はギターに大友良英さんを迎えるのが特筆すべき点ですね。意外にも初共演とのことですが。
友川:以前、新宿ロフトでやったエンケンさんのイベント(『純音楽の友~遠藤賢司七回忌公演』)で大友さんの演奏を初めて生で見たら素晴らしくてね。楽屋で大友さんと話したら、ベルギーで私のライブを見たことがあるらしくて。その場で「今度一緒にやりましょう」と話したら「何でもやります」と言ってもらえて。今回、やっと共演が実現できます。トシも大友さんも常軌を逸した演奏だし、恐ろしい。決して伴奏になんかならないし、大友さんは山本久土さん(※昨年、新宿ロフトで共演した)とはまた違った独自のスタイルを持ってるね。
──大友さんが劇伴を務めていた『あまちゃん』はご覧になっていましたか。
友川:ああ、何回か見てた。それこそこのあいだ、新宿ロフトに出たときに脚本家の宮藤官九郎さんに会って話しましたよ。大友さんの音を言葉にするのは難しいね。言うなれば塊よ、カタマリ。トシだって塊でしょう? 一人暴力団みたいな、組員のいない組長みたいな(笑)。
















