「そもそもこんなに長く生きるとは思ってなかった。せいぜい50歳か60歳くらいまで生きられたらいいなと思ってた。でも、私の親族がわりと長生きなんです。お袋が85、親父が93まで生きたからね。だから自分が、望むと望まないにかかわらず、長生きしちゃうのかなと思ってます」
齢75の友川カズキがインタビュー中に発した言葉である。種田山頭火、中原中也、住宅顕信、西村賢太といった友川が敬愛する表現者はみな、短い生涯を駆け抜けた。「無残の美」の主題となった、詩人でもあった友川の弟、及位覚(のぞきさとる)もそうだった。近年、その歌を若い世代が渇望し、海外からもライブやリリースのオファーが絶えない。デビューから半世紀を過ぎてもなお、これだけ果敢にライブと創作を続ける意欲の根っこにあるものは何なのか。世代も言語も国境も超えて聴き手の胸を突き刺す異形の歌は如何にして生まれるのか。さる10月18日、阿佐ヶ谷ロフトAで行なわれた『友川カズキ Live in 阿佐ヶ谷』のリハーサル前に友川に話を聞いた。(Interview:椎名宗之)
上海、北京、深圳と回った昨年の中国ツアーで死にかける
撮影:Shigeo Jones Kikuchi
──昨年末、新宿ロフトで開催された『デビュー50周年記念コンサート「一人ぼっちは絵描きになる」』の後に行なわれた中国ツアーでは、だいぶ疲弊したと聞きましたが。
友川:スケジュールがあまりに過密で疲れちゃってね。3日連続の公演で、初日の上海が終わって翌日の北京に移動するのに新幹線で4時間半ですよ? しかも上海ではTシャツを着ていたのに、北京は夜の気温が-8℃なんだから。さらに北京から次の深圳までが飛行機で4時間半。朝は5時半に集合とかだし。
──現地のお客さんの反応はいかがでしたか。
友川:こんなに熱狂するものかな? と思うくらいでした。3カ所で1,000人くらい入ったんです。ライブハウスというよりも、ちょっと広いホールみたいな所で。若者がほとんどでした。
──友川さんのレコードやCDが向こうでも流通されているんですか。
友川:いや、ネットで買ってるんでしょう。どの会場でもライブ終了後に1時間くらいサイン会をやったんです。お客さんが古いLPやCDを持ってきてズラーっと並んでね。トシ(石塚俊明)も一緒だったから頭脳警察のLPを持ってくる人もいたし、永畑(雅人)さんも一緒だったから「パスカルズのファンです!」と言ってくる人もいた。向こうは日本語ができる人がけっこういるんですよ。
──中国では以前からライブをやっているんですか。
友川:(マネージャーの大関直樹に)ソロで一度行ったよね?
大関:約10年前に北京のライブハウスに呼ばれたことがありましたね。
──年明けの台北公演はどんな感じだったんですか。
友川:台北はうんと親しい人が呼んでくれるから、もはや親族に会いに行く感じです。台北はかれこれ4回目かな。お客さんのリアクションも温かいし、何の危機感もなくやれます。
大関:台北でのライブの主催者は「先行一車」というレコードショップ兼バーのオーナーで、その店名は友川さんの曲から採っているんです。
台湾でのライブ
──今年3月にフラワーズロフトで行なわれた『ウクライナ人道支援ライブ PLAY FOR PEACE Vol.4』に出演されたとき、その前日の名古屋でのライブは泥酔のあまり記憶にないとMCでお話しされていましたよね(笑)。
友川:あれは前田さん(主催者のサミー前田)が悪いよね(笑)。彼が昼から開いてる焼鳥屋を知ってるっていうので行ったら、カウンターだけだけど妙に落ち着く店でさあ。他に飲み屋は開いてないっていうし、一人だったからリハーサルも短くて。開演までの空き時間が4時間近くあったんです。観光するって柄でもないし、その店でずっとウイスキーのダブルをロックで延々と飲み続けることになっちゃった(笑)。
──飲みすぎて記憶をなくしたライブはそれが初めてですか。
友川:昔はよくありましたよ。もともとそういうタイプなんです。
──ステージで寝るのが常習だったという高田渡さんみたいな方もいらっしゃいますが。
友川:そこまでのレベルじゃないけどね(笑)。でも、昔のようにバカみたいに飲むことはなくなりましたよ。ライブの日以外はほとんど飲まなくなりました。
──『PLAY FOR PEACE Vol.4』のMCで知ったのですが、過去にウクライナでライブをやったことがあるそうですね。
友川:2016年にキーウでやって、400人くらい入りました。それはヴィンセント・ムーンが撮った映画(『友川カズキ 花々の過失』)の流れで、彼の知り合いが主催者として呼んでくれたんです。最初は300人の会場だったんだけど、増えそうだってことで隣の400人入る会場に急遽変更になったんですよ。ロシアから丸1日かけてバイクでやってきたカップルもいて、その人たちに「『ワルツ』をやってくれ」とリクエストされたことも記憶に残っています。そうやって私の曲を知っている、ちゃんと聴いている人がいること自体に驚くけど、やっぱりネットで情報を得ているんでしょう。日本にいても私のことを知らない人が圧倒的多数なのに、外国へ行くと知ってる人が結構いるっていうのもおかしいよね。
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ウクライナでのライブ
















