トミーがやってくれればバンドはもちろんやるつもり
──今年は昭和100年ということで、昭和の時代にこだわり続けたマックショウとして何かアクションを起こすのかと期待しているのですが、改修工事が決まった野音の抽選はことごとくはずれたそうですね。
KOZZY:あの手この手を使って野音に応募したけどダメだった。モッズも何度もトライしたけど今年は特に凄い倍率で当たらなかったと聞いた。野音は本当に厳選な抽選みたいで、くじ引きするのを見に行ってもいいらしいね。昭和100年に関しては、何だかメディアも騒いでメジャーどころの人たちまでやってるから僕らは逆にいいかなって言うかさ。もう20年以上、昭和、昭和と言い続けてきたからね。昭和100年を謳ってやりたいことがあるならどうぞ、みたいな(笑)。
──こうしてマックショウの再評価に繋がるアコースティック・バラッド集をリリースして、バンドを稼働させようという気持ちは?
KOZZY:そりゃもちろんやりたいよ。トミー(神田朝行)がやってくれればもちろんやるんだけど、どうしてもやらないって言うか、やる気が起こらないのかな。
──トミーさんは昭和98年(2023年)秋以降、ずっと腰が重いままと言うか……。
KOZZY:そこを僕が「そう言わないでやろうよ」と言ったところでさ。ちなみに僕とトミーは7歳くらいからの友達で、中学生の頃からロックンロール・バンドを一緒に始めて、19歳で上京して、同じバンドでデビューして……。50年ずっと一緒にいたわけじゃないけど、57歳にもなって「そう言わずにやろうよ」とは僕からは言えない。言えるのは「まあそうだよね、しんどいよね」くらい。
──半世紀に及ぶ親友であり、バンド仲間である二人の関係性には、われわれの想像が及ばない深さや二人にしかわからないことがたくさんあるんでしょうね。
KOZZY:音楽を作ることに関して、一番最初から僕がイニシアチブを取って進めていくことは変わらないんだけど、僕もトミーもバイクボーイも自分がいなきゃバンドの演奏にはならないことを重々理解している。その中で「バンドをやろうという気持ちにならない」と言われたら、「まあ……そうだよね」としか言えない。僕も他のバンドをやっていなければ「そう言わないで何とかやっていこうよ」と言えるのかもしれないけど、やりたいことは他にもあるし、まあ仕方のないことなのかなって言うかさ。
──岩川さんの中でも、マックショウのベーシストは神田さんじゃなければダメだという考えは揺るぎないものなんですよね?
KOZZY:まあね。どう考えてもそれはそうでしょ? 音楽的にそんなに難しいことをやってるわけじゃないし、何か発明したわけでもないし、ロックンロールの基本的なことをただやってるだけなんだけど、そのことに対して「気が乗らない」と言われたら、ああ、そうですか……としか言えない。今の段階ではね。
──そうした神田さんの心境の変化は何が原因なのか、思い当たる節はありますか。
KOZZY:やっぱりコロナ禍で3年も休んだことが大きかったと思う。その前からマックショウ自体が新しいことをやると言うよりも、アルバムを出してツアーをやってというルーティンみたいな形が続いて、体力的にも精神的にも凄くしんどかった。僕は趣味も仕事も音楽だからルーティン化するマックショウも楽しめていたけど、コロナ禍でルーティン化していた流れが崩れてしまったところもある。アルバムを出して、年に1、2回ツアーをやって、野音が取れたらやる、キネマ俱楽部でもやる。そういう決まった手順がコロナ禍で崩れちゃった。それで調子が狂うみたいなことが僕らバンド界隈だけじゃなく、普通の仕事をしてる人たちでもあったんじゃないかな。その後、コロナが収束してきて元の形に戻るのかと言えば、なかなかそうはならなかった。従来の在り方に戻るには手間も時間もかかると僕も思ってたし、ひとまず年に1回のツアーで慣らしていこうかと考えてやってみたけど、その1回のツアーがめちゃくちゃしんどかった。車で全国を移動するのもキツくてさ。ツアーで回りきれないところは僕のソロで行ったり、トミーと二人で行ったりして。そうやって各地で演奏すること自体は凄く楽しいんだけど、たとえばグッズをどれくらい作ればいいのか見当が付かない世の中になっていたり、そこからまた積み上げていくしかないと僕は考えていたけど、トミーは乗ってこなくなっちゃった。そうこうしてるうちに野音が当たって、2年前(2023年)の8月にライブをやれた(『ザ・マックショウ ラストサマー・コンサート'98 〜真夏の夜の夢〜』)。トミーはそれもちょっとしんどかったみたいで、野音が終わった後に「やめたい」と言われた。もうバンドをやめたいなんて僕ですら今まで何度もあったし、どんな仕事だってあるでしょ? 別に特別なことじゃない。だからコロナ禍が落ち着いてきて日常が戻りつつあった過程で戻りきれなかった、ってことかな。それはお客さんもそうで、コロナを境にライブへ全く来なくなっちゃった人がけっこういるからね。それまで普通にやれていたことが億劫になったり尻込みしてしまうようなことが、マックショウだけじゃなく世の中でもけっこうあったと思う。それはもうどうすることもできないし、マックショウの場合は僕がソロでやっておくから、ここはひとまず休んだら? って感じかな。
マックショウを存続させるなら今はこの形しかない
──今回のアコースティック・バラッド集は、マックショウの屋号を守り抜くための作品とも言えるのかもしれませんね。
KOZZY:何と言うか、ここでバンドを解散して、また違うバンドを一から始めようって感じにはならないんだよね。またいつかやれるのならやりたいし、その日が来るまで革ジャンもちゃんとメンテナンスしてさ。そろそろ梅雨の時期に入るから(笑)。まあ、大きい会場を押さえて解散ライブをやるのでも良かったんだけどね。昭和100年を機に野音かキネマ俱楽部を押さえて解散もしくは活動休止でも良かったんだけど、いかんせん野音もキネマ俱楽部も取れなかった。
──それは神様がまだ大きな決断をするなということでしょうね。
KOZZY:そういうことだと僕も思う。こうしてまだCDも出せるし、このあいだのMANDALAもお陰様で即完で、ライブをやれば必ず大合唱が起きる。そうやってマックショウをずっと応援してくれる連中がいるので、ここで無理に終わらせるのも違うなと思って。
──マックショウが発表してきた不朽不滅のナンバーを岩川さんが唄わなければ、伝統の灯が絶えてしまいますし。
KOZZY:マックショウを存続させるとしたら、今はこの形しかないからね。バイクボーイはまだ叩けるから、今度ライブに呼ぶんだけどさ。
──冒頭で少し話題に出た、荻窪TOP BEAT CLUBで7月13日(日)に行なわれる『ロックンロール頂上セッション vol.3 〜The Mack Beat Session!〜』ですね。ザ・イエロー・モンキーの廣瀬洋一さんがゲスト参加するという。
KOZZY:ヒーセ先輩がマックショウを好きみたいで、「全部弾けるから弾かせてよ」と言われてね。バンドをやり始めた時にキャロルやKISSが好きだったらしくて、根っこにあるのはグラム・ロックなのかな。マックショウはアメリカへ行くとグラムのバンドっぽいという受け取り方をされることがあるのでそういう流れなのかなと思ったら、単純に曲が好きみたい。「じゃあ一緒に何かやりましょうよ」とお誘いしたら、「ドーム・ツアーが終わるまで待ってくれる?」と大御所バンドらしいことを言われたんだけど(笑)。
──廣瀬さんはもともとヘヴィメタル・バンドをやっていた方で、イエモンの音楽性もまたマックショウとは異なるものですが、そうした異ジャンルの方にもマックショウの音楽を支持されることは励みになるのでは?
KOZZY:そうだね。全然違うジャンルでも、音楽を好きな人だからそう言ってくれるんじゃないかな。このあいだポール・シムノンが来日してイベントへ遊びに行った時も、スカフレイムスの人たちに取り囲まれて「マックショウ最高だよ! 実はこっそり観に行ってるんだよ」と言われてさ(笑)。コルツじゃなくてマックショウを好きなのが意外だったけど、好きな音楽っていうのはボーダーレスなんだと思う。
──目下、バンド・アンサンブルの楽しさはコージー・イワカワ・ロックンロール・レビューという大所帯編成で満喫していますね。
KOZZY:うん。“ロックンロール・レビュー”というくらいだから一つのショーとして、僕の好きなロックンロール、コルツやマックショウの楽曲を演奏できる面子を揃えてやってる。コルツやマックショウを単体で観たいという人たちも多いだろうけど、今やれるのはこの形だね。
──コルツもマックショウもソロも集約したバンドを図らずも今やっていることが象徴的ですね。それに加えてモッズ先輩を始めとするプロデュース業も活発で。
KOZZY:さっきも話した通り、依頼されたら断りたくないし、オーダーをくれるのは素直に嬉しいことだから。ずっと憧れだった森山さん(森山達也|THE MODS)から頼られるのも嬉しいことだけど、もちろんプレッシャーや責任感もある。もとから好きで憧れていたわけだから、ファンの立場に立って見ることも大事だと思うし。昔は後ろにくっ付いて歩いていたのが、今やバンドを取り巻く一番古い人間が僕くらいになっちゃったのもあるよね。そういう面がありつつ、信用されて仕事を頼まれてる部分もあるからやり甲斐はある。あと、大西ユカリさんとの仕事を通じて吾妻光良さんや憂歌団の木村充揮さんといった諸先輩方が僕の曲を誉めてくれたなんて話を聞くと、やっぱり凄く嬉しい。